その1  人種差別という重いテーマ


昨日まで確定申告で忙しかったのですが、
それでも本は読んでいたのですね。
何冊か読んでいた中でいちばん面白かった本。

Anpon

 


「新iPad」を発売したばかりのご存知ソフトバンクの孫正義社長!
まだまだ、お若く働き盛りなのに、先日早くも「半生記」が出てしまいましたね。

ちょうどアップルのスティーブ・ジョブズ氏が亡くなって、その彼のベストセラー本と
時を同じくして出た本今まさに話題の本です。


まず「あんぽん」という題名が強烈ですね。
「あんぽん」とは孫氏の元の日本名「安本」から来るそうです。
幼少時のあだ名だったのでしょうね。
ただ本人はこう呼ばれることをひどく嫌っていたのだそうです。

確かに子供の頃、差別用語で
「あんぽんたん!」
という言い方はなかったですか?
東京ではかなりばかにしたような言い方です。

この本は、孫氏が在日朝鮮人としてかなり差別をうけていたこと
から始まります。

この本で何度もでてくるフレーズ
「孫氏は・・・朝鮮部落に生まれ、豚の糞尿と、豚のえさの残飯、
そして豚小屋の奥でこっそりつくられる密造酒の強烈なにおいの中で育った・・・」

この事実に正直かなり衝撃を受けます。
今や日本を代表する大金持ち、つまり「世界長者番付でトップテンに入る」
ほどの孫氏が実はそんな生い立ちだったのかと。


ただこの本が、もともと週刊誌の連載記事でもあったことから、
「週刊誌的な暴露記事」のように、
読者をひきつけるような「思わせぶりな」書き方であることは認めます。
でも実際、孫氏ご本人が知らないことまでかなり綿密に調べ上げていた
この著者の取材力というか「執念」に驚きます。


この30年の間に、「ベンチャービジネスの騎手」と言われた方は
リクルートの江副氏、ライブドアのホリエモンとこのソフトバンクの孫氏です。
お分かりのように二人は捕まってしまって堀の中ですね。

唯一ソフトバンクの孫氏だけが生き残り頑張っています。
なぜ彼だけが生き残ったのか、そしてこれからも生き残り続けるかという理由を
孫氏の強烈な「生い立ち」にあると、この筆者はいっているようなのです。

ある意味「人種差別」という重いテーマかもしれませんが、
ソフトバンクが日本経済をもっとけん引してほしいという願いから
しばらくご紹介してみましょう。




その2 在日三世の韓国人


孫正義氏は在日三世の韓国人でしたが、
1990年9月に日本に帰化しています。
帰化する前の名前が「安本正義」

この本は孫氏の生い立ちである在日朝鮮人の多く問題を取り上げています。
昔歴史の教科書でおぼろげながら習ったことかもしれませんが、
これほど「なまめかしい問題」があったとは正直知りませんでした。
現在、北朝鮮の拉致問題が取りだたされてはいますが、
歴史の事実として、我々日本人も直視しておかなければならないことなのでしょう。


在日朝鮮人の問題はいまからおよそ100年前の日韓併合(1910年)
まで遡ります。
以降、日本政府は朝鮮人の方々を何万人規模で強制連行して、
炭坑や鉄道づくりなど危険な仕事に従事させてきたのです。
しかも、太平洋戦争が始まると、日本政府はそれまで以上に強制連行を強化し、
多くの朝鮮人を九州各地の炭坑などで過酷な労働をさせてきたのです・・・。


孫氏は九州の鹿児島本線と長崎本線の分岐点である交通の要所
「鳥栖駅」の朝鮮部落で生まれます。
危険すぎて日本人が誰もやりたがらない「貨車の振り分け作業」を
多くの朝鮮人がそこでやっていたので、朝鮮部落ができたのだそうです。

家は貧しく、(何度も出てくるフレーズ)
「豚の糞尿と、豚のえさの残飯、そして豚小屋の奥で
こっそりつくられる密造酒の強烈なにおいの中で育った・・・」
そうです。

でもこの本で衝撃的だったのは、
「小学生や中学生であった頃も自分が朝鮮人あることを隠して
安本という日本人であるとして暮らしていた」
そんなくだりです。

当時の日本人の朝鮮の方々への偏見や差別がかなりあったということを
物語っているのでしょう。
重い歴史的事実に驚きます。

在日三世の孫氏にはそんな被害者意識はないとは言っています。
でも現実に、かつての朝鮮半島では
「日本の軍部の人たちが、突然村に来て銃で脅して
多くの朝鮮の方々を日本に連れてきた」
そんな事実があったのですね。
今問題となっている北朝鮮の拉致といったいどう違うのでしょうか?



その3 16歳で単身渡米


孫氏が小学校にあがると、父親の仕事の関係で北九州市に引っ越します。
この孫氏の父親である安本光憲氏はなかなかの人物なようです。

当時は朝鮮人ということだけで、就職もできなかったくらいでしたから、
仕方がなく鳥栖で「密造酒」や「豚の飼育」をしていたのです。
北九州市で金融業を始め、その後パチンコ業に進出して
一財を成します。
そんなビジネスを小さい頃から目の当たりにしてきた孫少年は
まさにその父親から「帝王学」を叩き込まれます。

「そんな実地教育を父親から受けてきた僕からしたら、
ハーバードのビジネススクールも、東大も幼稚だし低能です・・・」

そんな思いを持っていることも驚きました。


この本でもっとショックだったのは、孫少年は高校一年生のわずか16歳の時、
高校を中退して単身渡米してしまうことなのですね。
若干16歳で普通そこまで思わないはずでしょう。
この意志の強さに驚きましたが、そういう一大決心を
するに至ったのは、どんな背景があったのだろうかと
思いませんか。
九州有数の進学校です。そこで成績も良かったのですから、
多分東大くらい楽に受かったのでしょう。

その渡米の理由を知ることで、この孫正義氏の「パソナリティーの根源」が
理解できるのですね。


これには「在日」という出自の問題がかなり根深くあったようです。
幼稚園の頃、朝鮮人であることでいじめを受けました。
その頃、石を投げつけられてできた頭の傷がまだあるそうです。
北九州市に移ると、自分が在日朝鮮人であることを隠します。
「安本」として日本人として振る舞ったのでしょう。
当時の担任の証言から、彼も在日であったことは知らなかったそうです。
中学生になってもそれを隠して名門中学に移ります。
必死に勉強して、久留米大附設高校に進学します。
久留米大附設というと、あのホリエモンの母校ですね。
今も東大に多数合格する九州有数の進学校です。

でもその高校もわずか半年ほどで退学してしまいます。
それはなぜか?彼はこう言っています。


「たとえ東大にしても国籍の問題で官僚にもなれない」

「ほんとうは教員になりたかったけど、韓国籍だと無理だと分かった。
でも、たとえ韓国籍であっても、アメリカの大学を出れば、日本人は
もっと僕を評価してくれる・・・」


差別も偏見のない自由の国アメリカに夢をみて
単身渡米したのです・・・。




その4 同年代にビルゲイツとスチィーブ・ジョブズ


孫正義氏が「カッコイイ」と思うのはこの
「青雲の志を抱いて若干16歳で単身渡米する」というところです。

渡米した理由は、この本にもいろいろ書かれていますが、
父親が病に倒れたとか、人種差別の偏見に嫌気がさしたとか
本当のところは、いろいろあるとは思います。

でも、何よりそれを実行したことがすばらしいのですね。
海を渡ったアメリカでは、まさに「新産業革命の勃興期」でした。

この「新産業革命」=「情報革命」が大事な点です。

孫氏がカルフォルニアのバークレー校の一年生になったとき
同じ年代で大学の一年生で
マイクロソフトのビル・ゲイツ
アップルのスチィーブ・ジョブズ
サン・マイクロシステムズのスコット・マクネリ、ビル・ジョイ
グーグルのエリット・シュミット
アスキーの西和彦・・・

こういうそうそうたる「時代の寵児」の世代がアメリカにいたことなのですね。

もしそのまま九州の名門高校で勉強して、
日本の東大でも京大でも入っていたとしても
彼はこれほどまでになっていたか・・・。


1970年代は、まさに革命の時でした。
それまで企業や大学の研究室で、高額な予算をかけて研究されてきた
コンピュータでした。

「チップとCPU・集積回路を買ってきて手作りでパソコンが
誰でもできる時代が到来」

したときなのです。
彼の言葉を借りれば

「私たちの世代はシリコンバレーのチップに革命を見たのです。」

ちょうど孫氏が好きな名著「竜馬がいく」をそのまま地で行っているような
人生ですね。お分かりになりますか?
明治維新の頃、「黒船を見た」若者達が革命を起こしたのです。
「シリコンバレーのチップ」こそがまさに「黒船」なのです。


この時代感覚に、孫氏の潜在的なパワーを感じるのですね。
その後、孫氏はもう一つ「黒船」を見るのです。
これはつい最近ですからお分かりになりますね。

1995年の「インターネット黒船」です。
孫氏と龍馬が重ねって見えてくるのは私だけでしょうか・・・。




その5 人との出会い


ソフトバンクについてまだまだ言いたいことはたくさんあります。
こうやって、経営者本を取り上げる理由をまた書きたいと思います。

どんな大企業でも最初は中小企業なのです。
それどころか、最初はマンションの一室からスタートしたところも多いし、
あのソニーやホンダも小さな町工場から発展しています。

今や日本を代表する企業となったソフトバンクがどうやって発展したのか
やはり知りたかったのですね。

今まで書いてきて、孫正義氏が若干16歳で渡米して何かをつかんで
日本に帰ってきたのです。
でもそうはいっても「無」からスタートしているのは間違いないのですね。
多くの中小企業の経営者にこれは言いたいことなのです。

「あのソフトバンクだって何もないところからスタートした」と。

ただどんなきかっけでチャンスを掴んだか?
そういうところが、こういう経営者本から私は知りたいのですね。


この本で知りえたのは、「人との出会い」でした。
孫正義氏が猛勉強の末、カルフォルニア大学バークレー校経済学部三年に
編入したとき、後にシャープの副社長になった佐々木正氏にあうのです。
この出会いこそが彼が渡米した最大の収穫だったのでしょう。


当時、「シリコンバレーのチップに革命を見た」孫正義氏は
シリコンバレーを回っていました。
その時にシャープの技術者であった佐々木氏に出会うのですね。

その後、孫正義氏が開発した「自動翻訳機」をその縁でシャープに
売り込みに行きます。そのわずか一年後です。
その行動力に驚きますが、その佐々木氏も孫氏に
かなり惚れ込んでいたことも分かります。
なんと2000万円も出して彼の技術を買ったのです。
その後、この本によるとかなり孫氏を支えたようです。
個人的に一億円の連帯保証にもなったと・・・。

結局孫氏は1981年に佐々木氏の進言を受け入れ、ソフトバンクの前進の
「日本ソフトバンク」を立ち上げたのです。
やはり、この方のおかげで今のソフトバンクがあるのですね。

もう一つのきかっけは、今話題の「野村証券」の力なのです。
ここは読んでいて、個人的に面白かったところです。

最近「オリンパス」や「AIJ」などの問題で野村証券が叩かれ
OBとしては腹立たしく思っていますが、
私が在籍していた1980年代は野村証券が一番輝いていたころだったのです・・・。




その6 野村証券との関係


孫正義氏と野村証券との関係。
これは大事なのでしょう。ソフトバンクの成長を手助けしたのは
確かに野村証券だった感じています。


1983年5月。孫氏が若干25歳の時に、東京丸の内の東京商工会議所で
孫氏の門出を祝うパーティーが行われました。
その発起人は野村証券の田淵節也社長。
出席者は、三和銀行の川勝頭取、日本電気の関本社長、ミサワホームの三澤社長、
イトーヨーカ堂の伊藤社長・・
当時の日本の産業界の名だたる顔ぶれが集まったそうです・・・。
ちょっと今では考えられないパーティーですね。

それくらい当時の野村証券には力があったのですね。
なぜなら、もその前の1970年代には野村証券は多くの有望な企業を発掘し
株式上場をさせてきたからです。
日本警備保障、ミサワホーム、イトーヨーカ堂、ユニー、
セブンイレブン、ロイヤル、すかいらーく、デニーズなどなど・・・。

確かに野村証券の力によって株式公開した優良企業は多いのです。
逆に他の証券には追随をさせない圧倒的な力もあったのです。
当時「公開するなら野村」という金看板もありました。

また野村証券もそういう企業からの信頼も厚く、
多くの優秀な野村OBを送り込んでいました。
(ただし今世間を騒がせているような悪いOBではない・・・)

その中で、1975年に当時野村証券の企業部長だった「大森康彦氏」を
日本警備保障に送り込みます。
野村の企業部長を務めた方ならそうゆう公開企業からは引っ張りだこ
だったと思います。
さらに、その大森氏をソフトバンクの副社長としてまた送り込みます。
これには当時マスコミも大騒ぎしたそうです。
それはそうですね。
日本警備保障=現セコムという一部上場企業それも従業員6000人の
大企業から、わずか従業員60人という無名企業に移ったのですから。

田淵社長の孫氏の力量を見抜いた眼力と
懐の深さを感じますね。
私は1984年に野村証券に入社しましたが、当時の社長はこの
田淵節也さんです。
そのあと社長になった同姓の社長と比較されて、「大田淵」を
称されるお方です。

入社式時くらいしか顔は見れませんでしたが、
本当にオーラのがありました・・・・。
まさに野村証券の「全盛時代」の大社長だったと思います・・・。


そんな順風満帆のスタートだったのでしたが、
ここで「人生最大の挫折」を味わいます。
これはまったく知りませんでした。

なんと慢性肝炎で3年半にも及ぶ長い闘病生活をしいられてしまうのです・・・。
しかも5年以内に肝硬変になる可能性がある重病だったそうです。

当時結婚して子供ができたばかりだったそうです・・・。
まさにこれからというときに・・・。



その7 日本人に帰化


長い闘病生活を終えた孫氏は、野村証券から送り込まれた大森氏を
解任し社長に復帰します。
この本はどうも大森氏の事はよく書かれていないのですね。
しかし、1994年にソフトバンクが店頭公開するまでは
特に1980年代は結構ソフトバンク自体が苦難の連続で
あったことをこの本から知りました。

孫氏の実家はパチンコ屋であったことから、
実際にパチンコチェーンに進出する構想があったことや、
名前の通りパソコンのソフトを取り次ぐことを本業としていた時期や
パソコン雑誌にまで手を出していたことも。

ところで「ソフトバンクって何屋さんなの?」
という疑問も持たれる方も多いのでしょうね。

今なら携帯事業をやっている会社とすぐ分かりますが、
日本テレコムを買収したのは2004年、ボーダフォンを買収したのは
2006年なのですね。

最初にアップしたように
「ソフトバンクの急成長の理由は何か?」
ということを一番知りたかったのですが
どうもこの本はそこに焦点はあててないのですね。
孫氏のルーツに絞った書き方です。

個人的には1998年に東証一部に上場したり、
ナスダック市場を創設したりするなど、
証券市場の力を借りて成長したと思っているのです。

やはり資本市場から巨額の資金調達をすることによって
急拡大したのでしょう。
特に野村証券からスカウトした北尾氏とともに、
ソフトバンクを急成長させてきたのは
周知の事実でしょう。


最後に面白かったのは、孫氏が帰化したくだりです。
1990年に孫氏は帰化しています。

普通日本人に帰化すると日本名にしますよね。
今までの「安本」にするはずです。
でもあえて、「孫」とつけた。
でも当初は、日本人の名前として存在しない「孫」を法務省は認めなかったそうです。
ただここで孫氏は秘策を講じます。
夫婦別姓を認めている韓国では日本人である奥さんは「大野」という旧姓のまま
だったのですね。
まず、この奥さんの名前を先に「孫」に改姓するしたことで、
自身も「孫」という前に変更することができたそうです。
ここに、「在日韓国人」としての誇りを感じます・・・。

もっといろいろ書きたかったのですが、もう3月も終わり、
いよいよプロ野球も開幕します。
ソフトバンクを心から応援したくなりましたね。


(ガンバレ!ソフトバンクシリーズ おしまい)


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