その1 小学校の三年生から


私のスポーツ以外の趣味に、実は「囲碁」があります。
始めたのは小学校の3年生の頃ですから、
何と囲碁暦40年!以上あります。
税理士会の中でも40年もやっている人は少ないみたいです。

最初に囲碁を教えてくれたのはでした。

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写真はその頃父と良く打った碁盤です。
この碁盤を見ると、
負けて悔しくて泣きながら打っていたことを思い出します。


その教えてくれた父も、残念ながら数年前84歳で他界しました。
幸いにして吉田家は遺族がもめるほど財産がなかったものですから
今ではこの形見となった碁盤しかもらえませんでした。


母も健在でまた兄弟仲良くいることもでき、それをまったく
不満にも思っていません。
私に五体満足の健康な身体と、囲碁というすばらしい趣味を
授けてくれた父に今でも心から感謝しています。




その2 双子のライバル


始めた頃、近所に双子の友達がいました。
その双子は後に東京代表になったくらいのアマ碁界で有名な双子
なのですが、当時は彼らと一緒に30級くらい(初歩の初歩)でスタートしたと
思います。

数年前大ヒットした「ヒカルの碁」という漫画をご存知でしょうか。

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今ではその漫画の影響で、小学生が碁を打つのは
まったく珍しくないのですが、40年ほど前は、本当に
珍しかったと思います。
その3人で、週に3日も碁会所に通っていました。
ただ熱心に通った理由は、途中にある肉屋でハムかつが食べられたことと、
行くと必ず先生がチョコレートをくれたからです。


また、父は定年になったら碁会所を開くのが夢だったらしく、
その市場調査(!?)のために日曜日になると、
都内のあちこちの碁会所に連れて行かされました。

それほど真面目に囲碁を勉強した覚えはまったくないのですが、
小学校高学年になると一応棋力は初段くらいにはなっていたでしょうか。

「ボク打てるの?」
碁会所で面白半分にかかってくるオヤジ連中に、面白いように勝ちました。
それを横でニヤニヤしながら父は見ています。
でも、その頃の碁会所は本当に活気があったと思います。


また、今では小学生の大会が全国規模で盛大に行われますが、
当時はそんな大会もありませんし、子供教室すらなかったと思います。

父は私が中学生になると市谷の日本棋院に連れて行きました。
多分プロにしたかったのだろうと思います。
しかし、お恥ずかしい話、実は囲碁のプロという世界がどういうものか、
本当に親子共々まったく知りませんでした・・・。




その3  名門「木谷会」入会


当時、市谷の日本棋院に「木谷会」という教室がありました。

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今では伝説となってしまった教室なのですが、
その頃全盛極めていた木谷門下の棋士達が熱心に運営していました。


生徒が30人くらいしかいないのに、先生は常に10数人もいました。
その先生達も当時の大竹名人を始め、石田、加藤、武宮
当時の三羽烏、その後タイトルを総なめにしていった趙(治勲)
小林(光一)など早々たるメンバーが指導していました。
(碁を知らない人はまったく分からないと思いますが、
碁を少しでもやったことのある方なら、皆必ず分かる超有名人達です。)


ただ中学生になったばかりの私は、そんなおじさんたち
まったく興味がなく、故木谷礼子プロ、小林千寿プロ、小川誠子プロなど、
美しくてやさしいお姉さま方より熱心に指導してもらっていました。

当時その教室内で大人に混じって小中学生が確か5、6人在籍していたと思います。
そのほとんどがその後プロ棋士になっていますから、
やはり伝説の教室だったのでしょう。
面白いように棋力が上がっていって、何度か教室内のリーグ戦で優勝したり
して楽しかった思い出しかありません。


ただ、ここで私の人生初(!)の挫折を味わうことなります。
中学2年生の冬、当時確かに棋力4、5段はあったと思いますが、
プロの道はキッパリあきらめました。
才能がないと自ら判断しました。

この判断は正しかったと今でも思っています。
(そんなにエラそうに言うほどのことでもないか・・・)




その4  高校で大活躍


高校(都立竹早)に進学して、バスケットボール部に入部。
週6日シゴかれてしばらく碁からは遠ざかります。


高校2年になって、始めて「全国囲碁高校選手権大会」が
行われることになりました。
当時はTBSがスポンサーで、朝日新聞の高校野球に対抗してか
「高校野球に次ぐ、高校囲碁を広めよう!」
と力入れていました。
当時のキャッチフレーズが、多少臭い感じがしますが
打ち込め!青春!!


我が高校も私を大将にあと2名駆り出され、急遽囲碁部を創設。
東京大会を勝ち抜き、見事全国大会出場を決めました。

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その時のカップです。私の宝物です。
東京代表の四校がTBSのスタジオに呼ばれました。

その時の代表校は麻布、開成、武蔵のいわゆる御三家と我が高校。
テレビ局側も話題性から急遽特番を組んだようでした。
この時、生涯初の(最初で最後の?)テレビ出演。


番組の最後に、全国大会に向けた抱負を聞かれて、
妙に大人びたコメントを言っていた御三家の連中に対し、
私がスポーツ刈の頭で高校生らしく一言。

絶対優勝します!」

このコメントにより翌日高校中で一躍ヒーローに。
本当に楽しい思い出です。





その5  打倒!麻布!!


「絶対優勝する」つもりで望んだ全国大会は残念ながら7位。
その時の優勝校は麻布高校でした。当時は麻布の全盛期で本当に強かった。

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それから「打倒!麻布!」に燃え、また囲碁に熱中しだします。


「何としても麻布に勝ちたい!」

負けた悔しさから、顧問の先生とメンバー3人とで打ちまくりました。
顧問の先生も東京都の教員大会で常に優勝するくらい強い方で
熱心に教えていただきました。
またバスケットボールも続けていたので、
へとへとになって帰宅してからも、打碁を並べていました。
本当に充実した時代でした。


いつ学校の勉強していたかまったく記憶にありません・・・。
その頃の右手の人差し指の爪は、碁を打ちすぎて黒くなってもいました・・。


まったく余談ですが、
その時の「打倒!麻布!」の精神は、
税理士となった今でも生きています。

よく麻布税務署から税務調査を受けるのですが、
麻布!」と聞いただけで、
絶対負けたくない!」態度で臨んでしまいます。

税務署の方にはいい迷惑かもしれませんが、
これは私の個人的なトラウマです。
すみません・・・。





その6  高校選手権準優勝!

さあ!高校3年の夏。最後の大会です。

まず東京都予選は楽に勝ち抜き全国出場決定。
アレだけ入れ込んできたのですから
さずがにメンバー3人ともかなり棋力はアップしていました。

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8月の全国大会。これも危なげなく決勝まで勝ち進みます。


「これで麻布を破って優勝だ!」
と意気込んでいたところ、何と準決勝で麻布は負けてしまいます。
正直ショックでした。
相手は島根県代表。


「麻布ではないのか・・。田舎の高校で(失礼!)やりにくいね。」
と言い合ってはいましたが、勝負のあやがここにあったようです。


決勝戦。
押し気味に進めたものの1対2で惜敗してしまい、涙の準優勝です。

TBSのテレビ解説に私の棋譜が取り上げられ、
解説者から「こうすれば楽に勝てたのにね。」と言われ、
また涙です。


あの碁は30年たった今でも手順をよく覚えています。
自分のこれまでの人生で悔しかったことを3つ上げろと言われたら
真っ先に思い浮かぶ出来事です。
でも青春の宝物でもあることにも間違いありません。


ただ、「準優勝して良かったね。」と皆から言われましたが、
やはり優勝と準優勝は雲泥の差です・・・。

そんな経験があるからでしょうか、
高校野球で優勝した日ハムの斉藤佑チャンより、
できなかった楽天のマー君を、私は心から応援してしまいます。


(我が青春の棋譜 おしまい)

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