その1 早稲田の大先輩


素晴らしい本に出会えました!

Hasirukoto


Facebookで偶然あるランニングの有名人が紹介したものを読んで
アマゾンで速攻買いしました。

2回読み返したあと、3度目をまたじっくり読んでいます。
この本は、私自身の「走りのバイブル」となるでしょう。


作者は、ご存知「村上春樹」。
「ノルウェイの森」の大ヒットで超有名になり、
現在1Q84シリーズでも大ヒット。説明するまでもないでしょう。

ただこの方がランニング愛好家であることは
まったく知りませんでした。
しかも、マラソン歴が30年にもなる・・・。

最近の東京マラソン・ブームから始めた、私のような「にわか愛好家」とは
格が違いすぎますね。


マラソンの話に入る前に、まず私の「村上春樹観」から。
村上氏は1949年1月生まれ。
私とちょうど学年で一回り違いますね。
私と同じで一浪して早稲田に入学します。(ただ彼は当然第一文学部)

ただ私とまったく違うのは、早稲田に7年いたことと、
22歳で結婚したことなのですね。

早稲田には最長7年在籍できるのですね。
私が学生だった30年前、結構そういう「猛者」が
多かったと思いますね。
当時、大橋巨泉やタモリの影響か、早稲田入って演劇やジャズやって
留年したり、中退したりするというのが流行った?頃です。

大学2年のとき、体育の授業に「菅平での野外活動」という
のを選択したことがあります。
これは、5日間、早稲田のラグビー部が合宿する、有名な菅平寮で
キャンプや野球、登山をやると、1年分の単位がもらえるという、
実に「楽勝授業」だったのですね。

当然単位が足らないで6年、7年も通っている「猛者」には
超人気授業。
今でも覚えていますが、菅平行くと25,26歳のオッサンばかりでした。
でも当時は「カッコイイ」と思いましたね。
大人びた方々に交じってかなり刺激も受けました。

村上さんが22歳で学生結婚というのも、
実に「カッコイイ」ですね。
何だか当時の名曲「神田川」の歌詞を地でいくような青春です。


早稲田の後輩という失礼な立場で、
そんなカッコイイ先輩の人生観とランニング観を
勝手にご紹介していきましょう・・・。



その2 2年間だけは僕の自由にさせてほしい


村上氏が走り出したのは、33歳の時、1982年秋から。
小説家としてスタートしてすぐの頃からだそうです。
早いですね。

小説家になる前までは、千駄ヶ谷の駅の近くでジャズクラブを
経営していました。
昨日アップしたように早稲田に7年も在籍されていたようですから
在学中に商売始めたのですね。
結婚後、最初24歳で国分寺駅の南口で始めたところ、
そこそこ繁盛してから都心に移ったそうです。

26歳でようやく早稲田を卒業して小説家を目指しだしたのが、
29歳の時1978年4月。
ヤクルトスワローズの野球を見ていた時に、何故か急に思いついたそうです。

でもやはり才能があったのでしょうね。
直後の30歳で群像新人文学賞を受賞されます。
そこで村上さんは思い切った英断します。
流行っていたジャズクラブを締めて小説に専念するのですね。

ここで奥さんに言った言葉。
「とにかく2年間は僕の自由にさせほしい。
それでだめなら、どこかで小さな店を開けばいいじゃないか。
まだ若いんだし、やりなおしはきくよ。」

そこで「いいよ。」と奥さんは言ってくれたのですね。
まだ店の借金が残っていたのに・・・。
この「いいよ。」の一言で偉大な作家「村上春樹」が誕生したのですね。
一気に名作「羊をめぐる冒険」を書き上げます。

店をやりながらの片手間の仕事だったら、絶対に書けなかったと
この本にも書いています。
この英断に私自身感動しました。

私の熱心なファンならすぐ分かりますね。私も「夢をかなえるゼイ」で
同じことをアップしました。こちら
私が税理士になろうと英断したのが31歳の時。
そこそこ給料はもらっていたし、
その時わずかの借金と二人の子がいました。
奥さんに同じことを言いました。

「2年間だけ我慢してくれ。その間に絶対に税理士になるから。」

といって脱サラしたのですね。
まったく同じです。

でも村上さんと私が違うのは、
村上さんはこの「羊をめぐる冒険」ですぐ野間文芸新人賞を受賞して
小説家として地位を確立したのに比べ、
私はその後合格して独立開業するまで、
なんと6年もかかってしまったところなのですね・・・。



その3 32年間走り続けている偉大なランナー 


村上さんは、走り出したのが小説家になった直後なのですね。
この本にも触れていますが、

「どうしてマラソンをするのですか?」

これをこの20数年間に何度も、それこそ何百、何千回も聞かれたのでしょう。

Murakami

 

 

村上さんが走り始めた1982年。
マラソン界にとってどんな年代か想像つきますか?
今やマラソン解説の第一人者である瀬古さんが
マラソンランナーとしてピークを迎えていた頃です。
1980年幻で終わったオリンピック代表。
今でも語り草ですが、出場していれば間違いなく金メダルだったのでしょう。
その4年後、ロサンゼルス・オリンピックでは14位。惨敗でした。

ただ、間違っても村上さんが瀬古さんのリベンジで、
マラソンを始めたのではなさそうです。
そのころのマラソンは見るものであって、
やるものではなかったのですね。

ちょうど今週、山中湖ロード・レースに参加してきましたが、
32回大会ということで、まさにその頃始まったのですね。
奇しくも瀬古さんがゲストランナーで来ていて、
こんなことも言っていました。

「第1回の大会の参加者はわずか200人。
32年後の今日の大会は1万4000人。
この32年間で700倍にもなりました・・・」

この本にも、村上さんが最初のレースで山中湖を走ったことが
書いてありました。
ということは、この200人の中に村上さんも
混じっていたかもしれませんね。
それくらいマラソン人口は、極端に少なかったはずです。
その頃山中湖でマラソンしたなんて言ったら
それこそ「変人扱い」されてしまったかもしれませんね。

それだけのマイナー競技だったマラソンを、これまでずっと
走り続けてきたからこそ、


「どうしてマラソンをするのですか?」

なんてつまらない質問は、もう聞きたくないのでしょう。

 

小説家としてスタートした際、村上さんは
生活を一変されたそうです。
不規則な夜の生活を一切やめ、朝5時前には起床し、10時前には就寝する
という極めて真面目な生活に戻したのです。
タバコもやめ健康的な生活に戻された中で、この走ることも始めたのです。
太りやすい体質であったからと言い訳も書いてありましたが。

最初は20分か30分走っただけでも息が上がったそうです。
でもそれが毎日走ることで生活のリズムになってきた・・・。


ただ大事なことは「走りなさい」と人に言われたから
走り出した訳でもないのですね。
しかもその後、ずっと走り続けたことに対して

「少なくともそれほど苦痛ではなかった」

だから30年近く経った今でも走り続けられるのですね。
ここは毎日走り続けている私も妙に納得しました・・・。



その4 フルマラソン3時間半!


村上さんのランナーとしての能力に感動しました。
走り出してから1年後。1983年、34歳の時にギリシャへまで行って
初めてフルマラソンを走ることになります。

Murakami_haruki

 


雑誌の特集か何かだったらしいですが、
申し訳ないですが、当時日本ではまったく話題にもなりませんでしたね。
今で言えば、間寛平さんがアースマラソンを走るようなものだと
思うのですが、今から30年も前の時は、そんなものなのでしょう。

タイムは3時間51分。
すばらしいタイムです。
初マラソンで、いきなり「サブ・フォー」
でも残念ながら、当時それがどれだけ評価されたか分かりませんね・・・。

その後本格的なフルマラソンがあの有名な「ホノルル・マラソン」
その後10数年、フルマラソンにあいついで参戦されます。

「フルマラソンを3時間半の目安に走ってきた・・・」

これは正直驚きです。
私のような「亀ランナー」では想像つかない速いペースです。
つまり1キロ5分ペース。
これは市民ランナーとしては、「上級クラス」のレベルですね。

「今回はちょっと失敗したなと思っても3時間40分・・・」

これは参りました・・・。


ただ残念ながら、村上さん曰く、
「ランナーとしてのピークは40代後半にやってきた・・・」

年齢的なせいか、4時間を切れなくなってきたそうです。
個人的にはそれでも十分だと思うのですが、
本人としては不満なのでしょう。

この本に記載されていますが、「ランナーズ・ブルー」(この記述私は
理解できなかったのですが、エリートランナーが陥るスランプ?)
となった村上さんは、フル・マラソンからしばらく遠ざかります。
それで超長距離のマラソン・・なんと100キロマラソン!
ランナーの間では有名な「サロマ湖100キロマラソン」
にも挑戦されます。

それを11時間42分16秒という驚異的なタイムで完走するのですね。
これは驚きの数字です。
この完走記も感動モノです。

そのあとトライアルロンも始めてしまうのですね。
この本をきっかけに、サロマ湖100キロやトライアスロンを始めようと
する人も多いのではないでしょうか・・・。
村上さんを目指して・・・。



その5 死ぬまで18歳


村上笹川流れ国際トライアスロン大会」という
大会があります。こちら

村上つながり」いう理由かどうか知りませんが
毎年、村上春樹さんが出場するということで、
村上ファンにはよく知られたトライアスロン大会ですね。

スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロ。
もっと有名な宮古島トライアスロンに比べたら短い距離ですね。
佐渡トライアスロンもそうですが、通常の国際大会は
スイムは倍の3キロ、バイクは100キロ以上、
ランはフルマラソンと同じ42キロ走るのですから、
これこそ「アイアンマン・レース」です。


村上トライアスロンは短いとは言っても、
やはり泳いだ後バイクに乗りさらにラン・・・。
すごいですね。
60歳を超えた今でも、こんな大会に毎年チャレンジされているのですから。

「寒い時期にマラソン・レースを走り、夏場にトライアスロンに
参加するというのが僕の生活のサイクルになりつつある・・・。」


「村上笹川流れ国際トライアスロン大会」のHP見ると
まさに村上さんの名前がでていて記録も乗っています。
トライアスロンもやったことないので偉そうに言えませんが、
なかなかの記録のようです。
スイム1500メートル、バイク40キロ走ってから
10キロを本当に50分そこそこで走っているにも
驚きました。
私自身自己ベストが10キロ57分くらいですから。(すいません。)
例えれば、100メートルダッシュを100本くらいやってから
10キロ走って50分で走るイメージでしょうか・・・。
私にはまったく想像がつきませんが。


最後にまたカッコイイ話。
村上さんのトライアスロン用のバイクは
羽のように軽いパナソニックのチタン製のスポーツバイク。

しかも車体には
「18’till I die」と書いてあるそうです。
ブライアン・アダムスのヒットソング「死ぬまで18歳」
のタイトルを借用したのだそうです。


実にカッコイイですね。
トライアスロンでもやってみたくなりますね。
10キロは走れそうですし、バイクはなんとかなりそうですね。
ということは、1500メートル泳げ切れれば
参加できそうですかね。


村上さんに会いに
「村上笹川流れ国際トライアスロン大会」に
出場したくなりましたか・・・。




その6 館山マラソンは毎年エントリー


「死ぬまで18歳」の村上さんは、トライアスロンとフルマラソンの大会に
年に一度ずつ出場することを目標としているそうです。

トライアスロンは昨日ご紹介した「村上トライアスロン」。
フルマラソンはどこだろう?とこの本を読んでから、
いろいろネットで調べたのですね。
そうしたら、うれしいことが分かりました。
私が過去二度も出場している「館山若潮マラソン」なのですね。

村上さんのファンサイトにも過去3回出ていることが
アップされていますし、こちら
その後もどうやら「お忍びで」何度も
館山マラソンに出ているみたいなのですね。

館山マラソンに毎回ゲストランナーで出場されている
金コーチのサイトにも出ていました。こちら
かなり気になったので、どうやら私の初マラソンの2011年にも
目撃情報もありました。
ただ不思議と出場者名簿には載っていないのですね。
これこそがお忍びなんでしょうか?


どうあれ、いつか村上さんと一緒に館山マラソンで走りたいですね。
もしコース上で見つけたら、絶対追いかけて走りますよ。
彼が「サブフォー・ランナー」だろうが、必死にくらいついていきます。

そうやって一緒にゴールできたら、間違いなく
その「ゴール写真」が宝物になるでしょうね。
万歳してゴールした時に、横に村上さんが写っていたら・・・。
もう考えただけでもうれしくなりますね。
私も館山マラソンを私のライフワークにしようかと
思っていたところなので、また一つ夢ができましたね・・・。


ところで、村上さんは、日本における「ノーベル文学賞」の
最有力候補者に上っているそうです。
いつかきっと受賞されるのでしょう。
早稲田大学に7年も通った方がノーベル賞を受賞されると、
早稲田の権威も上がるでしょうね。

でもそうなると村上さんは困るでしょうね。
今まで通りに、好きなトライアスロンやフルマラソンが
自由に走れなくなるからですね。
「警備上の理由」でエントリーを拒否されるかもしれませんね。
万が一、ケガやそれこそ事故でも起こされたら、
村上市長か館山市長のクビが飛ぶかもしれませんからね・・・?

それでもきっと彼は走りますよ。
それが村上さんの魅力でもあるからです・・・。



その7 なぜ走るのか


村上さんは週に60キロを走ることを習慣としているそうです。
しかも朝5時起床で夜は10時就寝。

実に健康的ですね。
「こんな作家がいるのか?」
これは正直不思議に思いました。
私の今までの「人気作家像」というのは、
「新宿のゴールデン街で朝まで飲んでいる・・・」
「銀座の文化人専用の高級クラブで飲んでいる・・・」
そんなイメージなのですね。(すいません)
中野や杉並でも作家がよく来る「老舗の飲み屋」がありますね。
どうも、作家=不健康 というイメージなのでしょうか。
本当に今までの作家のイメージを覆すようなお方です。
それどころか、

「村上さんみたいに毎日、健康的な生活を送っていたら、
そのうち小説が書けなくなんじゃありませんか?」

事実こうまでよく言われるそうです。
日本人には「・・はこうあるべきだ!」みたいな方が多いですからね。
きっと作家仲間や出版社から、「今晩銀座で飲みませんか?」
くらいは、間違いなく数百回は誘われたのでしょう。
そういう世俗的な付き合いをすべて断って
健康的に毎日マラソン・・・。

小説家としてそれに対し、本書で理路整然と反論しています。
それはぜひお読みください。


また最後の箇所に、
「ではなぜこんなにも今まで走ってきたか」
の理由をキチンと述べています。

「もっと本格的なトライアスロン大会にがんばってトライすることも、
正直言って、興味がなくはないのだが、そこまでいってしまうと、
日々の練習に時間を取られて(間違いなくとられて)、
本業に差支えがでてくるのではないかという危惧がある。」

つまり、
「こうして運動を続けているのは、小説をしっかり書くために
身体能力を整え、向上させることが第一目的」

これが本当の理由なんだそうです。さらに
「レースやら練習のためにものを書くための時間が削られてしまうのは
本末転倒」
とまでいっています。

村上さんが、なぜこれだけ真面目に走ることに取り組んでいるのは
いつまでも納得のいく作品を残したいからなのです。
だからこそ、あの大作「1Q84」も書ける訳なのですね。


これからは私も走り続ける理由に、

「税理士としていつまでも納得できる仕事をし続けたいから」

そう思うことにしましょう!




その8 村上さんの墓碑銘


この本のことを熱く語り出したら、止まらなくなりましたね・・・。
いつまでもそうしていたいのですが、そろそろ最後に、
この題名の本当の意味を語って終わりましょうか。


この長々しい題名は、村上さんが敬愛する作家、
レイモンド・カーヴァーの短編小説

「What We Talk About When We Talk About Love」

から借用したそうです。
言い方悪いですが、「中学の英文法の例題に」出てきそうな英文です。
しかもこの題名は、中学生がそのままの直訳みたいで
こなれていないと思いませんか?
村上さんは翻訳本も多数出されているまさにプロの翻訳家です。

「私にとって走ること」とか「僕にとってのランニングとは」

ともう少しかっこよくしなかった理由が、実はあるのです。
走ることそのものを書きたいわけではなかったのですね。

「走ることを軸にして、僕がこれまでき生きてきて感じたこと、
考えたこと、経験したことを語りたかった・・・」

これは、その後の雑誌Numberの特集号に、
村上さんが語っていたことです。
つまり、本当の題名をつけるなら

「走ることについて語るときに僕のかたる人生、そして小説」

ということなのですね。
そういう題名にしなかったのは(当然ですが)
やはり村上さんのシャイな性格からなのでしょう。


つまり村上さんにとって、走ることは人生そのものなのです。

『毎日走ることによって、大作「1Q84」は誕生した』

その雑誌でこう語っていましたから。

 

 

ではこの本を読んだランナーなら誰でも感動するお話。


村上さんの今考えている「墓碑銘」です。
「死ぬまで18歳」の偉大なランナー、
そして未来のノーベル賞作家は
こうしてほしいそうです。



「 村上春樹
 作家(そしてランナー)
 1949-20・・
 少なくとも最後まで歩かなかった」


(村上さんありがとう!)

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