その1 名作ゴルフ漫画「風の大地」の舞台で


1400億円




続いてまた再生物語。

負債額何と!1400億円。

これはすごいですね。

ゴルフ場の再生物語なのですが、

ゴルフ場について実は私は非常に詳しいのです。

 

あまりブログにも書いたことないお話。

かつて大手ゴルフ場の監査役もやったことが

あるのですね。

関係各社に迷惑をかけてもいけないと思って、

いままでブログにさえ書いたことなかったのです。

そのゴルフ場が民事再生になってしまった

からですね。

まあ将来、来るべき時が来たら、

まとめ上げて発表しようかとは思っております。

 

そういうこともあって、ゴルフビジネスは

ある程度は詳しいつもりです。

かなり勉強しましたから・・・

 

今回の舞台は「鹿沼カントリークラブ」。

 

 

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名作ゴルフ漫画「風の大地」の舞台になったところ。

プロゴルファー坂田信弘さんが、主人公のモデルであり、

原作者なのですね。

 

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24歳で研修生になったのが1971年。

もう54年も前のことですね。

その坂田プロも昨年7月に76歳で

亡くなってしまいました。

 

鹿沼カントリークラブの会場は1964年。

まさに60年も続く名門クラブ。

 

でも1990年代にバブルがはじけたと

同時に全国のゴルフ場が苦境に立たされましたね。

 

この鹿沼グループもそうだったようです。

この本の前半、創業者福島文雄氏がいかにこの

グループを拡大していたか。

まさにバブルの生き証人のような福島氏の半生に驚きます。

 

最盛期は1990年ごろには従業員2000人。

栃木県内の3つのゴルフ場を核に、多種多様な事業。

栃木新聞社、鹿沼盆栽公園、都内には本社ビルのほか

会員制クラブも運営。

海外展開もしてタイではコーヒー農園や貿易会社、

旅行会社も経営。

 

1997年に創業者文雄氏が69歳で倒れます。

その後は車いす生活。

それで後継者に指名されたのが、今回の主人公

福島範治氏。

このとき28歳。

小学校から青山学院。大学までラグビーを続けていた

ラガーマン。

もちろんその日までゴルフなんかやったこともなかったようです。

 

なかなかこの2代目タフガイです。

リアルな再生ドラマを熱く語ってみましょう・・・。





その2 まさにバブル時代

Yen2

 

父親である福島文雄氏。

この方はまさにバブルの象徴のような方ですね。

まず

「こんな方が本当にいたのか・・・」

懐かしさと同時に昭和バブルの古き良き時代!?を

感じましたね。

どうして1400億円も借金を作ったのか・・・。

この会社を見るだけでもバブルという二度とない時代の

検証ができるのではと。

 

父文雄氏41歳のときと母和子氏22歳。

まだこのとき鹿沼カントリーを経営する帝国観光の

単なる会員権の営業マンでした。

駆け落ちして東京に住みます。

その翌年1970年にこの本の主人公福島範治氏が生まれます。

ただややこしいのは両親は結婚していない・・・。

正妻が別にいたらしい・・・。

さらに腹違いの兄弟が二人・・・。

 

その後帝国観光が倒産して、ゴルフ場の地主であった

文雄氏に東北自動車道の地上げ代金が入り、

会社を買収。

それで鹿沼カントリーの経営者となったのです。

 

「私が幼稚園の時に父は外に女を作り、

母は父を家から追い出した・・・」

 

 

でも読みながら、

「よく、これほどまでの個人情報を恥ずかしがらず

全部公開した・・・」

感動しましたが。

 

でもこの文雄氏はバブルの恩恵もあってか

商才を発揮します。

1975年に2つ目のゴルフ場をオープン。

静岡県御殿場市でも1978年富士御殿場ゴルフクラブを

スタート。

さらにバブルの絶頂の1991年に

栃木が丘ゴルフクラブを開業。

ゴルフ場といえば預託金という

「バブルの象徴的な」錬金術があって

あっというまに借入金が膨らんだのでしょう。

 

 

負債額1400億円までに。

41歳で駆け落ちして裸一貫からスタートした

男の人生としてはこれは感動ものでしょうね。

 

でもこれこそがバブル。

 




その3 ゴルフ場経営の闇

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ゴルフ場の会員権。

バブル時代には非常に高値で取引されていたのです。

ゴルフ場には入会金と預託金が入ります。

入会金は売上になりますが、預託金は債務。

つまり、売上でないから課税されないのですね。

こんなおいしいお話はない。

 

会員数は鹿沼カントリーだけでも2万人を

越えていたのです。

まさに「錬金術」です。

公称会員数5000人に対して実際は2万人。

ゴルフ場が受けられるキャパシティーを

越えているのですね。

 

それでも会員権販売の営業部隊が100人も

いたとなるから驚きです。

歩合制で稼げる人は月に100万円も稼いでいた。

でもこの構図はどうみてもおかしいですよね。

 

でも、さらなる問題はその後「バブル崩壊」で会員権市場も崩壊。

そうなると預託金の返還請求が相次ぐのです。

 

そんな状況下で1997年。

父親の文雄氏が倒れます。

そこで白羽の矢がったのが若干28歳でこの主人公福島範治氏。

 

1998年の夏。みずほ銀行を退職して

入社します。

時同じくして私も1998年に開業です。

まあ年齢は10歳違いますが、「同期」なのですね・・・。

 

しかし、どうみても完全にワンマン企業

であった鹿沼グループ。

父親が一代で築き上げた会社に28歳は

確かにきつかったでしょう。

それがかなり正確になまめかしく書かれています。

当時鹿沼グループには800人もの社員がいました。

それがある突然リーダーになるのですから

そう簡単には受け入れられなかったはずでしょう。

 

足利銀行から送り込まれた55歳の

経営再建チームのリーダーと奮闘します。

完全に銀行管理の状況だったのでしょう。

事実、足利銀行とサブバンクらの借り入れは

450億円。

これはまさに驚くべき数字ですから。

 

しかし入社してみると

「取締役という名の付く人が56人もいた」

 

最初にやった仕事は

「役員定年制の導入」

それもそうでしょう。

 

こんなひどい会社なかなかないです・・・。





その4 バブル崩壊後の金融危機

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役員が56名もいる会社なんてたいへんですね。

しかも、役員退職金規定があって最高2000万円。

バブルの古き良き時代ですね。

退職金倒産が現実味も帯びます。

ある役員とは退職金の支払いをめぐり

裁判沙汰にもなったようです。

またある役員は勝手にゴルフ場の売却交渉まで。

もう社内はばらばらだったのでしょう。

 

本社ビルの借入金が100億円。

しかし売却しても10億円程度にしかならない。

「バブル崩壊」とはまさにこれが現実。

 

とにかく人件費カットに邁進します。

まず歩合制の会員権営業部隊を解散

させます。

当然車内で軋轢。労働争議ににも。

 

ここで人事コンサルタントを雇います。

税理士として非常に興味をもって読んだのは

次の箇所。

 

「正社員として雇用していたキャディーを

個人事業主として契約し、ラウンド手当という

歩合給の割合を高くするという方針」

 

これは「プロキャデイー制度」と名付けた

らしいのですが、これ本当にできるのですね。

 

よく消費税の納税対策として、「社員の外注化」というのを

相談受けるのですね。

でも

「労働者としての権利は守らなければならない」

という大原則があってなかなか成立しないのですね。

 

キャデイー全員の社内説明会で、

 

「ねえ、みんな、会社はいつも私たちにしわ寄席

するよね。いつも私たちが割を食うんだよ。

こんなの許されないよね。あやまってもらおうよ!」

 

「あーやまーれ、あーやまーれ」というコールと

手拍子・・・。

 

なかなか経営者は大変ですね。

結局キャデイ31名が退職したそうです・・・。

 

しかしこんなのは序の口。

いよいよ本丸の陣税制度改革に突入。

 

足利銀行のおかげで1999年8月末の

不渡りは回避。

 

  

でもこの時の時代背景が大事なのですね。

1997年北海道拓殖銀行と山一証券が

破綻しましたね。

いわゆる「平成金融危機」。

1991年から2002年までのあいだに

180もの金融機関が破綻したのです。

メインバンクである足利銀行も・・・。





その5 ついに民事再生


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足利銀行は2003年5月、2期連続の赤字決算

となりました。

長期に及ぶ金融庁調査。

なんだか「半沢直樹」を思い出す言葉ですね・・・。

 

11月29日ついに足利銀行は国有化。

実質的に債務超過で破綻です。

鹿沼カントリーを支えてきたメインバンクが・・・。

 

ついに万策尽きて民事再生への道を進みます。

ここ読んで意味わかる税理士は私くらいかも!?

しれないですが、結構感動しました。

一般論として破産でも民事再生でも費用が莫大に

かかるのです。

「カネがないから破綻」したのですから

ここだけでもう矛盾します。

当時もう3000万円も通帳残がなかった様子です。

申請費用を予納金1500万円にマケテもらって

何より弁護士費用を分割払いにしてもらったのですね。

 

民事再生が成功しなければ破産しか道がないのです。

だから弁護士には成功報酬の道がないのです。

 

どうやら自主再建の道を探っていたようですが、

成功報酬にありつけたい弁護士なら「スポンサー型」

を進めていたはずでしょう。

普通は引き受ける弁護士もいないのでしょう。

 

ここで弁護士の一言。

 

「民事再生の手続きは、あくまで債務者自身が

経営を続けることを前提とした法律です。

副社長に経営を続ける意思がある限り、

その原則に沿って私たちはできる限りの

ことをします」

 

すばらしいですね。

 

 ついに2004年3月31日。

民事再生の申立て。

負債層が1216億円。さらに富士御殿場倶楽部

を経営する会社の負債が200億円。

まさに1400億円もの民事再生。

 

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1週間後に債権者集会。

「詐欺だ!」との怒号・・・。

会員4万人もいるので大変だったのでしょう・・・。

民事再生では再生計画案を提出し、

債権者に賛成か反対かを投票してもらわなければ

ならないのです。

 

つまり、過半数の同意が得られなければ

民事再生手続きの認可は下りず、そのまま破産手続き。

 

最終の債権者集会で反対の立場をとったのが

あの足利銀行。

「副社長は退任」というのを条件にだして

きたのです。

 

足利銀行から社長を送り込むなら別ですが

ただ反対したのですね。

 

民事再生の申立てをした社長は

当たり前ですが誰もなりたくありません。

 

でもこの本でさらに感動した箇所。

 

「私が代表をやります」

 

手を挙げたのが弁護士だった・・・。

 

こんな弁護士いるのですね・・・。

 




その6 前例のない再生計画

Yen6  

「民事再生の手続きで申立代理人が代表取締役に

就任し、再生計画履行を監督するというスキームは

前例がなかった」

 

そうでしょう。

今回の主人公福島範治氏が経営陣から退任し、

社員として再生にあたるのですから。

 

でもここでもう一つの問題が発生。

前社長の福島文雄名義の株式をすべて減資し、

福島範治氏が買い取る計画。

それを足利銀行が反対したというのです。

 

要するに福島一族ではダメということ。

 

結局どうなったのか?

なまめかしいやり取りが書いてありました。

代理人の弁護士3名で出資したというのです。

 

代表取締役になることすらまずありえないのに

出資までした・・・。

 

この弁護士の方々はいったい・・・・。

ここは税理士として感動した箇所ですね。

まずそんな先生いないでしょうから・・・。

 

このゴルフ場再生のために毎月取締役会が

開かれたそうです。

この先生方はすごいですね。

 

結局3年後の2007年12月10日。

東京地方裁判所より再生手続終結決定

を受けるのです。

それを受けて2008年2月に

代表取締役に就任。

 

以降この鹿沼ゴルフ倶楽部の再生のために

努力されていきます。

 

このあたり本当に読んでいただきたいところです。

経営コンサルタントを入れ改革を進めます。

 

社員とのコミュニケーションをとるために

「バースデーランチ」

 

ゴルフ場ビジネスを不動産業からサービス業に

転換させようとします。

 

でも社内反対勢力との格闘。

経営者は孤独だと思うのですね・・・。

 

正直に全部書いてありました・・・。

 

2014年再生債権はすべて完済。

これで終わったかというと

さらなる問題。

 

御殿場ゴルフ倶楽部の経営不振・・・。





その7 2度目の民事再生

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富士御殿場ゴルフクラブは

2019年1月30日。

民事再生の申立てをします。

 

人生2度目の民事再生。なかなかこんな経験は

ないでしょうね。

ただ今回は民事再生により、債務を整理した上での

事業譲渡。

相手はPGM(パシフィックゴルフマネージメント)

つまり外資。

破綻したゴルフ場を次々と買収しているところ。

2020年1月15日。

PGMから譲渡代金が振り込まれ再生手続きが終了。

 

読みながら思い出しましたが、私の経験した民事再生も

営業譲渡型。

これは「事業再生」と呼ばれます。

 

一方鹿沼カントリー倶楽部は「企業再生」。

企業を残すという再生手法。起業再生はDNAが

残ります。

ただご紹介した通り、経営者一族の代表権も出資も

許されざる形でスタートしたのですね。

 

でもこの福島社長。負債1400億円を背負いながら

よくこの再生をやり遂げたと思いますね。

 

「どうしてやりとげたのだろう。

何が重要だったのだろう?」

 

ぜひ考えながら何度も読み返してください。

ヒントになると思うのですが

 

「大きな流れをつかむこと」

「事業の本質をつかむこと」

 

なのだそうです・・・。

一言でいえば

 

「ゴルフ場が不動産業からサービス業への

変貌を遂げる」

 

コレですね。

逃げ出したいときも何度もあったでしょう。

支えてくれた仲間や弁護士たちに助けられながら

福島社長は成長し続けてきたのです。

 

何だか最期の言葉に勇気をもらいました。

福島社長ありがとうございました。

 

 

「悩んでも前を向いて歩いた。

失敗しても決断を続けた。

そして、明るさを持ち続けていたら、

社員から希望を与えられるようになった。

少しずつ成果が出て、自信が生まれ、

強くなった。

強くなりたいと思ったわけではないが、

与えられた苦難から逃げなかったら、

結果的に多少は強くなることができた。」

 

(がんばれ! 負債1400億円を背負った男 シリーズ

おしまい)















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