その1 初めての同期会から4年
4年前にアップしたブログで
「野村證券初の同期会」
というネタがありました。こちら
昭和59年(1984年)入社の同期が30年ぶりにあった
お話だったのですが、結構感動しました。
私なんか8年しかいなかったのでそれでも声をかけていて
いただいたからなのですね。
その時の気持ちを素直に綴ったものでしたが、
これは今でもアクセス殺到の人気ブログなのですね。
面白いので、切りだしてページをもうけたら、
ここからリンクしている私のHPへのアクセスが急に
増えたのです。
理由は
「野村證券 脱サラ」
を検索画面に入れてください。
これまず必ずトップに出てくるのですね。
ですので、野村證券の若手ではかなりの人気
らしいのですね・・・。
仕事で悩んだことのある社員は必ず見るサイトらしく
私自身何人も現役社員の身の上相談したこともありますから・・・(内緒)
実はその初の同期会のあと、
「今度開くときは定年前の5年後」
という取り決めがあったのですが、この週末に急きょ開かれることに
なったのです。
理由は、本当に先月初めて同期の中から定年退職者が
出たからです。
それを聞いたとき、
「もう定年!?」
驚きました。
私自身58歳なのでまだまだ先という実感があったのですが、
大学で2浪して入って4月生まれだと、もうちょうど60歳に
なるらしいのですね。
それで約束の5年後より早く、4年目に行われたのです。
きっとブログ見ている方も
「その後どうなった?」
と気になっているかもしれないので!?
面白いのでアップしてみましょう。
前回4年前は同期220名中120名の参加でした。
(240名中130名とアップしましたがそれが正解らしい)
今回はなんと97名。
100人は来る予定だったらしいのですがドタキャンで97名に。
でも十分出席率は高い方ではないでしょうか。
たぶん野村證券の各年代で、こんなに仲の良い代は
いないはずですよ・・・。
わざわざ、九州の支店から来ている同期もいましたね。
写真は私が写っているそのうちの1枚だけ。
まだまだ現役の方々には申し訳ないので、
写りが悪い方がよいでしょうね・・・。
まあ、ハッキリ書きますが頭が白かったり、なかったり・・・
新人研修で、当時上北沢にあった研修所を夜抜け出して
歌舞伎町に飲みに行ったときは、皆若かったのですけどね。
本当に皆いいオッサンになってしまいましたね・・・。
その2 野村證券は60歳定年
野村證券は本当に60歳で定年なんですね。
日頃、中小企業と接していますが、
人手不足で定年延長する会社が多いくらいですからね。
そのあたりの就業規則もあいまいであったり、
それこそ退職金規定が整備されていないところも・・・。
しかしそれは上場企業のすごいところです。
きちんと退職金は支払われるそうです。
ここで一番聞きたいところは
「で、いくらもらったの?」
というところでしょうか。
私も酔った勢いで
「いくらもらえるの?」
聞いてしまいました。
でも申し訳ないですが、ここではアップしませんし、できません。
中小企業の経営者からお叱りを受けそうですから・・・。
でも、ここでまた思うのは、
「野村證券はあれだけキビシイ会社なのに、
最後まで、定年までいる人がたくさんいる?」と・・・。
そうなのですね。
今回100人近く参加して多くは現役の野村証券マン
でした。
私のようにOBは前回より少なかった気がします。
ということは、意外にと言ったら失礼ですが、
定年まで勤め上げる社員は多いのですね。
ここで銀行と比較したら申し訳ないですが、
銀行員は50歳過ぎると多くの行員は出向です。
60歳を前に転籍する方がほとんどのようですから。
今証券会社から「天下り」するようなところも少ないでしょうから
皆最後まで勤めることができるのですね。
それでも60歳過ぎてどうなるのか、また気になるところでしょうか。
今や「シニア制度」があって継続して勤めることが
できるのです。
何より良いのが、転勤はなく自宅から通勤できる職場で勤めることが
できるそうです。
良いですね。
そのシニア制度第一号の同期のスピーチが面白かった。
「毎朝8時の朝ドラ見てから歩いて出社して、
定時の5時には帰宅しています・・・。」
同期の連中には「朝ドラ」の意味は絶対分からなかったでしょうね。
NHKで朝8時から15分間放送されるので
普通の野村証券の社員なら絶対見れませんからね・・・。
驚きました。
あの野村證券も「働き方改革」で激変してしまったのでしょうか・・・。
その3 豊かな幸せな老後が待っている・・・
「朝ドラが毎朝見られるのは幸せか?」
何だかそんな議論も出てきそうですね。
私も現役の時は、毎朝6時過ぎには家を出ていました。
子供の寝顔しか見たことないし、土日も良く働きました・・・。
60歳の定年を迎えてようやく朝ドラが見られるようになっても
もう子供たちは独立して家にはいない・・・。
まあ別に野村証券に位限らず、東京位の会社なら2時間くらいかけて
通勤している人はたくさんいますからね・・・。
定年延長できる同期はよいのですが、一度役員になったら
シニア制度の適用はないそうです。
ということはまさに60歳で退職しておしまい。
昔だったら、天下りの関連子会社がたくさんあったのですが
今はないそうです。
エリートで役員経験のある同期と話をしましたが、
今後どうしようか迷っているそうです。
でも役員を経験したくらいだから、部長級での退職金を
もらっているのだし、退任時に役員退職金も・・。
それなりに厚遇のサラリーももらっていた訳だから
蓄えは十分あるのでしょう。
何といっても、資産形成のアドバイザー会社ですからね。
私自身のことを書くと、入社4年目から毎月10万円の
財形貯蓄ができましたね。
ボーナス時3カ月分、それが年2回、つまり黙ってても年間
180万円が貯まっていました・・・。
忙しすぎて使う暇がなかったからドンドン貯まりましたね。
私は8年間しかいなかったので、私より30年以上も働いた同期は
きっと5000万円や6000万円貯まっておかしくないのでしょう!?
ただ、こういうこと書くと怒られそうですが、
証券ビジネスはなかなかストレスの多い業種です。
ストレス解消のために、飲食などハデに金を使ってしまう方も多いようです。
また何よりゴルフの盛んな会社でした。
ゴルフがうまくなることもある意味出世の条件。
「ゴルフ上手くなるには家一軒分くらいカネが必要だよ・・・。」
かつての上司によく言われていました・・・。
正直どれくらいの蓄えがあるかどうか分かりませんが、
つい、
「急に畑違いのビジネスはやらない方がよいよ・・・」
税理士としてのおせっかいか、言ってしまいました。
定年後急にお店を開いたり、コンビニ始めても、正直ロクなこと
ないですからね・・・。
とにかくあと2年内で同期は皆高額の退職金をもらって、やがては年金もおります。
きっと確定拠出年金位やっている訳だから
豊かな幸せな老後が待っているのです・・・・。
その4 ガンバレ野村證券!でも私も負けません・・・
野村證券に対する熱い思いや同期へのエールを書こうとしたら、
何だか野村證券に対してマスコミ的にはいろいろ出てきてしまいましたね。
私も退職して30年も経とうとするので、野村證券に対して
偉そうにいう何も資格もないのですね。
前に書きましたが、
「辞めてよかった」とか「辞めなくてよかった」なんていうことも
個人の判断ですからね。当たり前ですが
「人生にやり直しは絶対にありません」から。
同期の連中は永年激務でいろいろあったと思いますが、
辞めなかったからこそ巨額の退職金がもらえる訳なのですね・・・。
現役の同期がどうあれ、そのあたり私自身の率直なところを初めて書いてみます。
30代で独立開業してから、やはり心の中では
「同期の連中には絶対負けたくない」
そう思ってずっと生きてきました。
別に「ノルマがキツイ」とか、「土日休みたい」とか、それこそ
「毎朝朝ドラ見たい」などと思って脱サラした訳でもないのですね。
開業したばかりの頃は、
「24時間あなたのために。年中無休の吉田事務所です」
これがキャッチコピーでしたから。
同期のトップが課長になった、部長になった、役員になった・・・
それはそれで結構刺激を受けていたのです。
前にわざと野村証券の年収のことをアップしましたが
私自身
「野村の同期のトップに負けないくらい年収を稼ごう!」
と実は意識してきました・・・。
税理士として20年余り、中小企業の社長の給料の相談は
何千回、何万回もしてきました。
「月収50万円なら女房と二人で半分ずつにした方がよいですか?」
何百回聞かれたでしょう。
「その方が節税にはなると思いますが、同級生の年収は必ず意識してください」
「10年後同窓会があって、同級生の誰かが年収2000万貰っていて
社長が300万円だったら悔しくないですか・・・」
「辞めた時の気持ちを忘れず、前の会社を見返してやろう!」
それぐらいの気構えが絶対必要です。まさに私の実体験です。
給料だけはありません。
「会社経営したら誰も退職金を払ってくれません。
同級生に負けないくらい自分の退職金をたくさん準備してください。」
これもよく指導することです。
個人事業なら「中小企業退職金共済」を必ず勧めるし、
会社だったら退職金準備の生命保険を勧めるのはそのためです。
今度同期会が開かれるのは5年後らしいです。
きっとすでに野村證券を離れている人がほとんどでしょう。
でも私はまだまだ「退職」しません!?何故なら
「同級生のトップがもらった退職金くらいのカネが貯まるまで
絶対税理士を辞められない」からです・・・。
「中途退職」の私まで招待していただいた幹事の同期に
感謝するとともに、大変刺激になった一夜でした。
(ガンバレ!野村證券シリーズ おしまい)