炎の脱サラ編
炎の脱サラ編

その1 私の脱サラ日記を始める理由


また人気シリーズ?を復活させましょうか。
先月に当事務所で人の採用のお手伝いをしたということは、
アップしたとおりなのですが、本当にいろいろな方にお会いしました。


実は、不景気のせいでしょうか、当事務所へ直接応募も多かったのです。
ここだけのお話、税理士や会計士の資格をお持ちの方からもありましたし、
もっと驚いたのは、
現在某證券会社にお勤めの東大卒の方から応募の打診もありました。
正直ビックリしましたね。
お話をお聞きすると、「ぜひ吉田事務所で働きたい。」ということなのですね。
大変ありがたかったのですが、実はすべて丁重にお断りしました。


何故かというと、実際にお話をよくお聞きすると、
「脱サラして将来税理士として独立したいのですが、
実際に独立して活躍している吉田のお話が聞きたい。」


実はそういうことだったのですね。
いつかは辞めたい方を採用することはやはりできないのです。


でも、一方でそのお気持ちもよく分かるのですね。
今は某証券会社やある監査法人や税理士法人にお勤めしながら
やはり将来的には脱サラして税理士として独立したい。
そんな考えを持たれている方が多いのでしょう。


さらにショッキングなお話として、昨日の日経新聞に、
監査法人最大手の新日本監査法人の大量リストラのニュースが
出ていましたね。
この業界も、それだけ厳しい状況なのでしょうか。
「し方がないので税理士でもなるか」
なんて安易な会計士が増えても困りますね。


まあそんなことはいいとして、やはり「脱サラ」のお話は
皆さん本当にご興味あるみたいです。


ところで、結構気合を入れて書いていた、ブログ「夢をかなえるゼイ」でも
まだ脱サラしていなかったですね。


「どうして吉田さんは野村證券を辞めたのですか?」
「なぜ税理士を目指したのですか?」
という問いにまだお答えしていないことに気がつきました。


私は野村證券を平成4年5月に退職しました。
もう18年も前になるのですね。
その頃のお話なので、もう時効成立しているので、
何を書いても大丈夫ですかね!?


これから脱サラしようと考えている人、
もう会社を辞めたくなっている人、
日曜日のサザエさんの歌を聞くと憂鬱になる人
のために、自称「脱サラ評論家」がまたお得意の「昔話」をしてみましょう・・・。




その2 4度目の転勤


また昔話を始めます・・・。
時計の針を平成元年まで戻します。


その平成元年5月に、私は野村證券での4度目の転勤をしました。
東京本社への転勤です。
でも5年間でもう早くも4度目の異動です。
転勤に慣れっこにはなっていたものの、
やはり転勤とはイヤなものです。
でもこのとき私の「脱サラ指数」の針は少し動いただけでした。
それはなぜか?


実に面白い仕事につくことができたのです。
当時野村證券が設立したばかりの戦略的子会社に
出向し企画部に配属されたのです。


サラリーマン経験者ならこれは誰でも思うのですね。
転勤のある度に
「会社はいったい自分の適性を見てくれているのか?」
と。
「オレのやりたい仕事は違うんだ!」
上場企業にお勤めなら一度は必ず思うのでしょうね。
でも多くの上司は
「イヤイヤ。いろいろ君の適性をいろいろな人から見てもらった上で、
将来的には君に合うしかるべきポジションに・・・」
というような、もっともらしい理由を言われるのですね。


でも自分自身はどうだったのか。
この頃はもう入社して6年目に入ったときです。
30歳を前にして自分の置かれているポジションや
将来の位置づけが何となくでも分かってくるころです。
前にもアップしたように、証券会社に勤めながら
どうも株式の営業が好きになれない。
「上がるか下がるかわからない」自分が納得できない商品なんて
正直売りたくはないのですね。


それ対して一度だけやった企画の仕事は、確かに面白いと思った。
「やはり会社は自分の適性見ていてくれたのだ・・・」
何となくそう思ったのですね。
このときもやる気マンマンで新会社に乗り込みました。


このとき「脱サラ指数」0パーセントで
「税理士になりたい指数」も0パーセントでした。
ではなぜ3年後税理士を目指して野村證券を辞めたか
正直に振返ってみましょう・・・。




その3 平成元年という時代


いきなり20年も前のお話をしても分からないですかね。
当時の金融業界を少し解説してみましょう。


平成元年当時、野村證券は「ガリバー」と呼ばれていました。
証券界では国内には敵がいないと本当に思っていました。
その野村證券が、平成元年4月に戦略的子会社を作りました。
ファイナンス会社で、残念ながら、「銀行」
ではないのですね。
つまり、当時、証券業界に敵がいないと悟った野村證券は、
今度は銀行業務に参入しようとしたのですね。
でも当時は、大蔵省(今の財務省)の力が強烈に強くて、
そう勝手に銀行業務には参入できなかった。
銀行業界からも猛反発を受けていたのでしょうか。


でも当時こんな言葉も言われていました。
「金融ビックバン」
つまり、金融業界にある規制を急激に緩和して、
日本の金融市場をより活性化しようという動きもあり、
そのため国際的にも競争力をつける必要もあったのですね。


それで、銀行ではないファイナンス会社を作ったのですね。
これを「ノンバンク」といっていました。


また時代背景も詳しく説明しておきましょう。
昭和から平成に移ったまさに平成元年、どういう年だったか
ご存知ですか。
平成元年(1989年)12月に
日経平均が最高高値38,915円をつけた年です。
まさにバブル景気突入の瞬間でした。
その株式市場にもつられて、土地の値段も上昇しましたからね。
そのピークは2年後の平成3年(1991年)といわれています。


ですから、平成4年に退職した私は、バブルのピークを見極めてから
脱サラしたといえますね。
今更ながら、もうすごい「相場観」だったと思っています・・・。
なんと見事な脱サラのタイミングだったのでしょう。


サラリーマン時代の最後の3年間はまさに「バブルのような」、
「夢のような」3年間でした。
楽しくもあり、また強烈に仕事もし、かつ勉強になった3年間でした。


バブル時代にそのノンバンクといわれる業種が
何をしてどんな役割だったのか。
まさに私は時代の「生き証人」なのですね。
それこそ、今だから言えるお話を、「守秘義務の範囲内で」
ご披露してみましょう・・・。




その4 サラリーマンにとって出向ということ


その野村證券の「戦略子会社」は、実は野村グループ4社の
合弁企業でした。
その会社に出向という形で行ったわけですね。
今日はその「出向」について触れてみましょうか。


最近大企業では出向という転勤がよくあるようですね。
どんなとらえ方すると思いますか?
これは出向になったものでないと分からないでしょうね。


後ろ向きに考えると、
「ウチの会社にはいらないから他の会社に行ってくれ!」
ということになるでしょうか。
よく50歳台くらいで、関連の会社や得意先に「出向」という
形で異動する方を見かけます。
非常に言い方悪いですが、「天下り」や「片道キップ」みたいな。


「他の会社で、もう少し別の経験をして欲しい!」
これは前向きなお話なのですね。
若手の社員の出向に多いのでしょうか。


ではまだ28歳の当時の私はどう思ったか。
やはり正直ショックでしたね。
「転勤ではないのか・・・」
でも結果的に出向して良かったと今では本当に思っております。


ではその良かった理由を。
いろいろな業種の方とお付き合いができたということですね。
その会社は、銀行、ベンチャーキャピタル、不動産会社など
まさにいろいろな人種がいました。


今でこそ税理士としていろいろな会社とお付き合い
させていただいております。
そういう経験を持ててよかったと思っております。


当時「野村マン」という言い方がありました。
「野村證券で生まれ育った企業人」のことでしょうか。
それが「金太郎アメ」といわれ批判されたことも
あったようですが・・・。


同じような言葉で、電通には「電通マン」東芝には「東芝マン」と
どこの会社にでも、その企業風土に根付いた人種が
必ず生息しているのですね。


もし定年まで勤めたら、本当に「野村マン」だけで終わったでしょう。
でも出向のおかげで違う見方ができたのですね。
「世の中は違うぞ」と。
結果的にそれが脱サラにつながったと思っています。


本当に出向したら上司が銀行マンだった・・。
おかげさまで、いろいろな見方を教わりました。
それはそれでよかったと今では思っております・・・。




その5 上司はなんと銀行マン


やる気十分で新会社に赴任したところ、
上司はなんと銀行から出向してきた方でした。


しかも、海外赴任の経験もある英語ペラペラ。
企画部の同僚も皆英語ペラペラ・・・。
「ずいぶん場違いなところに配属された」
本当にそう思いました。


これはものすごいカルチャーショックでしたね。
それまでほとんど国内の証券営業の仕事でしたから。


銀行のビジネスと証券のビジネスというのは
まったく異質なものなのですね。
これは本当に勉強になりました。


ところで営業というのはキライではなかったのですが、
やはり数字を背負いますよね。
そのプレッシャーがたまらなかった。
でも営業の出来る人にとっては、それは楽しいのでしょうね。


ただ、本音のお話として、一方で営業を外れたことで、
また自分自身も力をつけたいとも思っていました。


野村證券とは営業主体の会社です。
営業ができて、営業課長になって支店長になって・・・。
いわゆる出世コースは、当時は営業畑からでした。


営業という職種から外れるということは、その出世レースから
外れるということを当時は意味していました。


ただ、まだこの頃は辞めようという「脱サラ指数」は
上昇しなかったのです。
この仕事は面白い、自分に合っているのではないか。
本当にそう思っていましたから。


「なんでも吸収してやろう!」
そう思ってここでも人一倍働いたと思います。
早朝7時には出勤して、夜10時、11時は当たり前でした。


働くとは別に「社内活動」も楽しんでしていました。
社内には銀行、不動産、リースいろいろな人種、職種の方々が
いるのです。
仕事帰り、いろいろな方を誘って、酒を片手に議論することも
本当に楽しかった。


このように、「脱サラ指数」は一向に上昇しないまま、
いよいよ空前絶後の「バブル景気」に突入です・・・。




その6 セキュリタイゼーション


ファイナンス会社では
「貸付債権の証券化」が主な仕事でした。


まさにバブル時代。
「土地神話」という言葉の通り、
「土地は必ず値上がりする」ということが信じ込まれていました。


不動産担保に資金を融資し、その債権を証券化(セキュリタイゼーション)して
売却する・・・
結構シンプルなビジネスモデルでしたが
不動産会社を中心に融資先はいくらでもあり、また証券化された商品も
飛ぶように売れていました。


不動産そのものに興味を持ったので、その不動産についても
結構勉強しました。
その頃、「宅地建物取引主任者」の勉強をして
資格も取りました。
この「宅建」の資格は勉強して実に良かったと
思っています。
いまや税理士として常日頃から謄本を見ることは
よくあります。
不動産や会社の謄本の見方を知っていて
どれだけ役にたったか。
また不動産の鑑定書もよく見ましたので
不動産の相場観の勉強にもなりました。


不動産の値上がりが顕著なあのバブル時代です。
「不動産小口化商品」というのがあったのがご存知ですか?
いまやREIT(不動産投資信託)があるので、結構ポピュラーですが
その頃が先駆けでした。
国内の不動産を、「匿名組合」や「任意組合」というような
共有で所有すという、いわば今のREITの原型みたいなものです。
新しい案件や仕組みが企画部につぎつぎと持ち込まれていました。
おかげでずいぶん勉強しましたね。


もう国内の不動産だけにはとどまらず
海外の不動産の証券化というのもありましたし、
不動産以外にも「航空機の証券化」もありました。


あまりバラスと問題かもしれませんが
何でもありましたね・・・。


ゴルフ会員権も皆値上がりした時代です。


「赤信号 みんなで渡れば怖くない」
ではないですが


「バブル時代 みんなで持てば怖くない」
証券化の大流行のときでした・・・。




その7 夢のような・・バブルのような・・


今思い起こせば異常な時代でした。
世の中すべてがバブル色です・・・。
投機熱が過熱しすぎて、多くの資金が株や土地へ向かっていました。


株式市場は日経平均が毎日100円単位で上昇し、
買った不動産が数ヵ月後には3割くらいも上昇し、
新規募集されたゴルフ会員権も1ヶ月で5割り増しに・・・。


企業は「財テク」と称して、株式運用を拡大し、
証券会社は「特金ファンド」という受け皿を作って
あらゆる業種業態から大量の注文を受けていました・・・。


ものの価格が皆上昇するのですから、それこそ借金してでも購入すれば
金利を支払っても十分おつりがきますね。
一方株や土地を持っているものは、脹らんだ「バブル資産」で
急に金持ちになったような「錯覚した」気持ちになり、
これが余計に消費へとつながっていく。


一介のサラリーマンでも借金してでも、ゴルフ会員権を持ち
手取り20数万円の平社員が、1回数万円のゴルフに興じる。


感覚が麻痺していたのかもしれませんね。
私自身も昼はデパートでグルメランチを食べ、
夜は銀座で飲むこともありました。(当然自腹ではない・・)
内緒のお話かもしれませんが、深夜になるとタクシーが
まったく捕まらなくなるので、(本当にこれもトンでもない時代でした)
ハイヤーを待たせて飲んだことも・・・


ところで、バブル時代はものが高く売れれば利益がでます。
利益がでれば当然税金です。
そうなのですね。
ここで私のライフワークとなる「税金」と
真正面から向き合うことになるのです。


都心の土地が高値で売れれば、高額の税金が出ます。
また土地所有者が亡くなると高額の相続税が発生します。
「相続破産」ということが初めて言われた時代です。


それで「節税対策」の登場なのですね。
つまり、税金対策が当時のキーワードだったのですね。


「相続税対策のために借入してアパート建てましょう!」
なんてセールストークが流行っていた時代です。


税理士の先輩から聞いたお話なのですが
バブルのころは、事務所のシャッターを朝開けると
待っている人が数人いたそうです。


残念ながら私は経験できなかったのですが
税理士業界もきっとバブルだったのでしょうね・・・。




その8 本当の節税対策とは?


本当にバブルの頃、「節税」と称するものが大流行でした。
「借金してアパートを建てましょう。」
「借金して一時払い養老保険に入りましょう。」
「借金してゴルフ会員権を買いましょう。」
「借金して別荘を持ちましょう。」


これが皆、本当の意味で節税だったかどうか・・・。
これは今税理士となって本当に思うことなのですね。


建設会社や保険会社、ゴルフ会員権業者の立場では
当然ですが自社の商品を買って欲しい。
これは至極当たり前のことなのですね。


それには、「節税」という「味付け」がどうしても欲しいのです。
例えば高級車の販売会社なら、
「節税のためにベンツでも買っておきましょうか」
それが当時当たり前のセールストークになる・・・。


しかも、その借金を勧めるのが、当時はそれら業者と提携していた
銀行であり、ファイナンス会社だったのですから、
これこそもう「何でもあり」ですね。
有名なお話なのですが、当時の銀行マンのカバンには、
系列の会員権業者のゴルフ場のパンフレットも入っていた・・・。
やはり、銀行やファイナンス会社が、このバブルを煽った責任も
あるのではないでしょうか。


それに対して、「税」に中立な立場でいなければならない税理士は
どんな役割だったのか・・・。


面白いお話をご紹介しましょう。
私も企画マンとして当時の「節税セミナー」にはよく参加しました。
会社の経費で許されたので積極的に行って勉強したものでした。


当時「究極の節税術!アパートセミナー」や「一時払保険で相続税対策」
なんて「ハデに」やっていた税理士の講師もたくさん知っています。
でも結構今いなくなっているのですね。
「行方不明の」先生も多いらしいです。


でも先日、バブル当時「土地活用」のセミナーをよくやっていた大先生に
お会いしました。
いまや鞍替えして「生命保険活用のプロ」で活躍していましたね。


まだまだバブルの戦犯も(こんな言い方もマズイか・・)
生き延びているのですね・・・。(くれぐれも内緒に)




その9 税金のお話は税理士ではないの?


当時思ったことを本音でご紹介しましょう。
当時はその節税商品について、ずいぶん勉強したつもりです。
自分自身悩みましたが、残念ながら基礎知識がないせいで
「これが本当に節税商品なのか?」分からなかった。


実は、残念ながら教えてくれる税理士が回りにいなかったのです。
証券会社で税務の相談は、当時は公認会計士でした。
当時証券会社内には、監査法人から派遣された公認会計士が
ウヨウヨいたからです。
やはり監査法人にとっては、証券会社は「上得意顧客」です。
将来、上場公開しそうなお客さんを紹介して欲しいですからね。
それこそ新人研修のときも税金を教えたのは
公認会計士でしたから。
怒られるかもしれませんが、公認会計士はそれほど税金に
詳しくないです。(すいませんが本音です)


今だから思いますが、根本的に間違っていたと思うのは、
質問する相手を間違えていたのですね。
でもお恥ずかしいお話、公認会計士と税理士の区別がつかなかった・・・。


ファイナンス会社の企画部でいろいろな商品を考えたつもりです。
節税を目的とした「不動産の小口化商品」なんて当時流行ったものです。
「これはつまりこういうことですよ。」
と税の立場から、専門家として分かりやすく教えて欲しかった。


また「リース」という金融取引ありますね。
この「リース」こそ、税金そのものだと当時思いました。
例えば、600万円の車をリースで10万円の60回払いにしたとしますね。
10万円は当然経費です。
では、15万円の40回払いにしたら・・・。
企画の立場で新商品開発でいろいろ考えるのですね。
ではその支払い方法を、さらに固定から変動に変えたら・・・。
ちょっと難しいお話かもしれませんが、当時は「スワップ金利」
が流行り出していた頃でした・・。
(一応守秘義務もあるのでこれ以上は話せません・・)


でも税理士となった今なら思うのですが、やはり
「税金のことは税理士」ですよね。
「証券化」に強い公認会計士はいたものの
でも残念ながら、回りにそのいう、不動産や金融商品に強い税理士に
お会いしたことはなかった・・。


本当は探せばいたかもしれませんが、お会いできなくてよかったのですね。
つまり、そういうことから自分が税理士を目指そうというきっかけに
なっていったからです・・・。




その10 タックス・ヘイブン


今だから言えるシリーズです。
タックスヘイブンってご存知ですか。
日本語でいうと租税回避地。
タックス(税)がヘイブン(避難所)なんですね。
よく間違えるのが、
「税金天国」タックス・ヘブン(天国)ではありません。
まあ意味的には似たようなものですが・・・。


先日のNHKのドラマ「国税査察官」にも、
そのタックス・ヘイブンの一つ「バハマ」が出ていましたね。
西インド諸島にある島で「ケイマン諸島」もこのタックスヘイブンで
有名ですね。本当に美しい島らしいです。
所得が非課税のまさに「税金天国」、「夢の島」ですね。


実は私はこの島に会社を何社も設立しました。
もちろん一度も行ったことありませんでしたが・・。
当時ファイナンス会社では、ほとんどの会社がこのケイマンで
子会社を作っていましたね。
ファイナンス会社にとどまらず、商社など大手企業も作っていたのでしょうね。
タックス・ヘイブンの会社設立の経験がある税理士も
少ないでしょうけど・・。


何をやっていたかというと、これも守秘義務がありますが、
面白いのでサラッとご紹介しましょう。


所得がかからないので会社をここに設立するのです。
その会社に発行した債券を持たせ証券化するのです・・・。
難しいですかね。
その証券化手法が面白かったですね。
金を介在させて割賦販売の手法で証券化するのです・・???。
まあ難しすぎて分からないでしょうけど・・・。
専門用語で「スクエア・トリップ・トランザクション」
日本語に訳すと「かご抜けリース」と呼ばれていました。


なんか「かごぬけ詐欺」みたいな怪しい取引ですね。
NHKドラマではないですが、脱税スキームでもないです。
世界の金融取引の多くがこの地に集中していたのです。
その後税制改正でも注目され、国会でも議論されたので
ご存知の方も多いでしょうか。
でも当時は税金がかからないというのが不思議でしたね。
やっはり、これも解説してくれる税理士の方もいませんでしたが。


契約書がすべて英語でしたので、専門の弁護士に依頼して
いました。
本当に私に英語力があったらもっとやれたのでしょうけど・・。


でも世界の金融経済の大半の資金が、この何もない
美しい島に流れこんでいる実態には驚きでした・・・。
「税金にはこんな世界があるのか・・・」と。





その11 商品ファンド


今だから言えるシリーズの第二弾!
FX取引が現在流行っていますね。
昔は「商品取引」と言っていたのですが
かっこいい呼び名に変わって、いまやどこの証券会社でも
取り扱うようになりましたね。


その「商品取引」いうのは、商品相場を扱うのですね。
株式の相場を扱う元証券会社のものが言うのも何なんですが
当時の商品相場は結構あやしかった・・・(スイマセン)
その当時、「商品ファンド」というのも、ありました。


しかもバブルの頃ですから、相場が加熱して、
もう何でも「ファンド」というのが流行ったのですね。
「映画ファンド」とか「ワインファンド」、「絵画ファンド」、
「競馬ファンド」、「牛ファンド」などなど・・・。
海外からも先行して流行っていた「商品ファンド」が
日本に輸入されるような動きも。


本当にあやしいファンドも発売されましたね。
それで投資家保護が問題視され
政府が規制をかけるような動きが出て
1991年に「商品ファンド法」が制定されたのです。
その頃、野村グループも参入を検討していたのですね。
それを担当していたのが実は私でした。
通産省の担当官に何度かお会いしました。
今だから言えますが、実は「商品ファンド」を立ち上げようと
画策していたのですね。
面白かったですが・・・。
またここで税金はどうなるのだろう?結構悩みましたね。
ここでも勉強しました。
結局いろいろな事情で発売できませんでしたが
その後のバブル崩壊を考えれば、結果的にはよかったですね・・・。


ただ、忘れられない出来事がありました。
初めて日本に商品ファンドを持ち込もうとした米国の業者が
あるホテルで説明会があり、私が参加しました。


しかし参りました。すべての資料が英語で
解説もすべて英語なのです。
終わったら、皆英語で話しかけてくるのです。
「商談しましょう」と・・・。


あの頃私にもっと英語力があれば
今頃私はどこかのFX会社の社長くらいには
なっていたかもしれませんね・・・!?

 


その12 地価連動債


今だから言えるシリーズはこれで最後です!
(あんまり書くと問題かと・・・)


企画マンとして、「地価と連動して金利が上昇する!」債券を
作ろうと考えたのですね。
ちょっと分からないでしょうか。
こんなことを考えたのは私だけだったのでしょうね。
(本当に私の頭の中だけでしたので公表してもいいでしょう)


時はバブルです。「土地神話」を前提に、土地を担保に金利を安くして
融資します。最後の一括返済の時に値上がり分に相当するボーナス金利を
設定する。それを証券化するのです。その商品を購入した人は
土地の値上がり分に相当するボーナス金利がもらえる・・・。
そんな仕組みでしたね。


連日のように法律事務所に行って、法的側面から
この商品を開発していました。
ところが、こんな商品を購入した人の税務面の議論になったら、
まったく前に進まなくなってしまいました。
そもそもこの金利は「何所得か」なんて分かりますか?


弁護士の方は税金に詳しくありません。
それでその法律事務所と提携している公認会計士を
紹介されました。
ところがその会計士もまったく税金にうとかったのです。
それで会社は顧問税理士を別に依頼することになりました。
ここで生まれて初めて「税理士という人種」の方との遭遇です。
本当に未知との遭遇でした。


期待してお会いしたのですが、残念ながらこの方も、申し訳ないですが、
有価証券やら金融商品についての知識が全く無い方でした。
それは何故か。
ここでまた業界の批判をしたら大変申し訳ないですが
上場企業や大手企業は大方顧問税理士として、税務署のOBの方を
迎え入れているのですね。
そのOBの方もかつては税務署長だった大先生がほとんどです。
そういう方に、「リースやスワップだ」なんてカタカナのことは
まったく分からないし
「地価に連動する債券・・・???」
まったく話が通じないのですね。


そもそもそういう大先生をどういう目的で迎え入れているか
ということを考えたら仕方がないのでしょうね。
(この内容はブログでは書きません)


そういうことで
「では私が税理士になってやろう!」
そう思ったのですね。
こんなきっかけで税理士を目指した人も少ないでしょうね。


ただ、この「地価連動債」も残念ながら私の能力不足で、
「お蔵入り」しました。
もし開発できていたら、その後のバブル崩壊で、
多分大変な騒ぎになっていたでしょうね。
まあ出来なくて良かったですね・・・。




その13 税理士試験初受験!


企画マンとして必要に迫られて税金の勉強でした。
このあたりから「税理士になりたい指数」がだんだん上昇してきます。
でもこの時点では、「脱サラ指数」は一向にあがらなかったのですね。
なぜなら、この企画の仕事が面白くてしかたがなかった。
結果的に開発できなかったものの、当時の大蔵省とか通産省にも
出入りできたのですね。
これはやはり野村證券の持つカンバンの力だったのでしょうか。
日本で一番でかいローファーム(法律事務所)とも
何度も交渉したりして本当に面白かった・・・。
いくらでも経費が使えたし。


だから、税理士として独立しようなんてことは思わず、
この社内で活躍する税理士にあこがれたのですね。
「これからは金融自由化がますます進む」
「金融証券・不動産に強い税理士は間違いなく必要とされる」
そう思ったのですね。
やはり金融証券に圧倒的な地位を築いていた野村證券という
組織もやはり大事だとも思っていた。
だからこそ、辞めようなんて事も思っていなかったのです。
「企業内弁護士」という言葉が使われ出した頃でした。
やがて「企業内税理士」が必要とされる。
そう確信めいたものも持っていました。


ただ、ここで肝心なのは、「税理士という職業が何をやるか」
それと肝心なのは「税理士試験というのはどういうものか」
分からなかったのですね。


当時は簿記検定2級を持っていました。
だから、きっと簿記検定1級ほど難しくもなく、
「簿記検定 1.5級」くらいにしか思わなかったのでしょうね。


この年初めて税理士試験の簿記論を受験してみます。
一応そのために夏休みまで取って。
実際に試験勉強なんか特別にしていません。
まあ
とりあえず受けてみようか。くらいの軽いのりで・・。


こんな受験生はいなかったでしょうね・・・。
税理士試験を甘く見ていたのですね。
これはブログ「ガンバレ受験生」にアップしたネタです。
本当にダルマさんで、試験にまったく手も足も出ませんでした・・・。




その14 サラリーマンにとって上司という存在


昔話をアップし始めて思い出したことがあります。
週末になると居酒屋で
「課長のアホが・・・」とか上司の悪口を言いながら
飲んでいるサラリーマンがよくいますね。
それはそれで楽しいのでしょうけど、逆に
「上司に恵まれた」
ということも滅多にないらしいですが、大事なことなのですね。
脱サラのきっかけとなる「トリガー」を引いてくれた恩人がいました。
ある信託銀行から出向してきた上司でした。


この方には鍛えられましたね。
「だから証券マンはダメなんだ・・・」
厳しくよく言われました。
「銀行ではビジネスをこう考えるのだ!」
よく怒られました。
まったくビジネスのカルチャーが違うというか・・・。
これはどういうことか、面白いので解説してみましょうか。


口癖のように
「原理原則で考えるのだ!」
そう指導されました。
法律のお話がでたら、まず六法を引くのです。
原理原則から物事を考えるのです。
今税理士となってみて、これは当たり前のことなのですが
当時は衝撃的なお話でした。


では当時の証券マンならどうしたか。
分からないことがでてきたら、すぐ専門家に聞きに行くのです。
「こういうことで問題ありませんか?」
そんな「幼稚な」聞き方なのです。
これは証券マンのカルチャーだと感じていました。
今はどうか分かりませんが、こう教わっていたのですね。


「社内研修があれば、必ず一番前に座って、
終わったら講師と名刺交換する。
懇親会があれば必ず出席してその講師と仲良くなる。」


なぜかというと、
「証券マンはとにかく営業で忙しい。
考えているヒマがあったら、詳しい人に結論から聞いた方がよい。
そのためには常日頃から専門分野に詳しい人と親しくなる
ように努力しろ!」
それは新人時代から教わっていたことでした。


「原理原則で考える」
これは税法で問題が出たら、税務六法から考えることなのです。
面倒がらずに、税務六法で調べることが原理原則なのです。
こういう事案は法律に照らしたらどうか。
通達や判例からどう判断するのか。
原理原則から考え、それでも判断できない時こそ専門家の
出番なのです。


でも、そもそもその六法の引き方さえ分からない自分が
そこにいました。
自分の力がいかに無力か思い知らせてくれた上司でした。
そういう意味で私は上司に恵まれたと思っています・・・。





その15 脱サラ30の法則


一つの転機が訪れたと思いました。
自分の力がいかに弱いか、「原理原則」をまだまだ知らないか
ビジネスの中で思い知らされた時でした。
年齢も、とうとう30歳になっていました。
以前、会社を辞めようと思う法則 「3日・3月・3年の法則」を
ご紹介しましたが、別の意味で「30歳の法則」もあるように思います。


20代はがむしゃらに働く時です。
でも30の声を聞くと、いろいろ思う年代のようですね。
そろそろ会社の中の位置づけや自分が見えてくる年代です。


ただ、まだその時点では会社を辞めようとは思っていなかったし、
税理士になりたい指数もそれほど上がってきません。
とにかく自分自身に力をつけようと思っていたときでした。


まず、英語について多少コンプレックスをもっていたので
当時八重洲にあった英会話スクールに夜間(自腹で)通いました。
ただこれは実際には仕事が忙しくて、ほとんど通えませんでしたね・・。
それと会社で購読していた英字新聞(Financial Times と
Wall Street Journal) を毎日朝7時に出社して読んでいました。


では肝心の税理士試験の方は、ついに大原簿記学校に通うことにしました。
ようやく税理士試験は独学では受からないと悟ったのですね。
ただ平日はとても時間が取れないので、土曜日のロングクラス(!終日です)
の簿記論のみ勉強することにしました。


この頃は本当に充実していたと思います。
私生活も2人目の子供が産まれ、余計に仕事に没頭します。
ここは、アンチ脱サラ理論の「子はかすがい理論」です。
脱サラなんて考えずに、この子のために頑張ろうと思うのですね。
毎日7時には出社して、深夜1時まで仕事しているのはざらでした。


一方でバブルのピークですから、飲食のお誘いも断りません(!?)
深夜1時に仕事終わってから(!)飲みに行ったり、
料亭「吉兆」に初めていったのもこの頃でした。(内緒ですが・・)
日曜日になるとお付き合いの「下手な」ゴルフも・・・。


こういう状況でしたから、土曜日に朝から大原に通ってはいたものの、
新しいことを勉強しているだけで満足し、授業は寝てばかりいました。


まあこんな感じですので税理士試験を真面目にやっていたとは
いえないでしょう。
復習する時間すらなかったわけですから。


でも相変わらず、必死に仕事はしていました。
そのおかげで、当時の同僚から、いまでもお仕事をご紹介して
いただくこともあります。ありがたいものです。


バブルのピークでもありましたが、
自分のサラリーマン人生のピークでもあったのです・・・。





その16 サラリーマンにとって「適職」ということ


脱サラの理由として
「この職業は自分に向いていない・・」
よく聞かれることですね。


再三申し上げている通り、このときやっていた企画という仕事に
自分の適職をようやく見つけたような気がしていました。
「これが自分の生きる道かもしれない・・・」


長い人生、自分の好きなことをやって行きたいですからね。
イヤイヤ「パンのために」生きるのもどうかと思います。


本当に30歳になって自分の特性というものが
ようやく分かったような気がしていました。
商品企画も面白かったのですが、実は企画の仕事で一番好きだったのは
「原稿を書く」仕事でした。
いまこうしてブログで「偉そうに」いろいろ書いていますが、
そのときに偶然発見した「特技」でした。


実は企画マンとして、社長のスピーチの原稿を
よく書かせられたのです。
経営計画を社員に徹底するために、社内会議をやりますね。
その社長の意思を正確に文章にして伝えるのが仕事でした。
会議の直前なんか1週間続けて書かせられたこともありました。
それをチェックする別の上司の方がいて、この方は実に筆の達つ方で、
何度も怒られました。
そこで鍛えられたおかげで自分の特技を磨くことが出来た訳で、
キツかったけど、今となってみては感謝もしています。


これもまた「今だから言える」バブルネタです・・・。
社長のスピーチ原稿ができると必ず、社長以下経営陣と企画部で
「ホテルオークラの最上階のスイートルーム」
で徹夜の会議をしました。


喧々諤々と経営論議するのです。
「経営者はこういう観点で考えるのか・・・」
これは実に勉強になりましたね。
この内容はブログではさすがにアップできませんが・・・。


会議が終えると、社長達は早々にオークラ内の「久兵衛」という
超高級な寿司屋に行ってしまうのです。
私も多少はお相伴に預かりましたが、
正直味はよく分からなかったです。
その後私だけ取り残されて徹夜で原稿を
書かなければならなかったので・・。


でもホテルオークラの最上階のスイートルームなんて
もう二度と泊まれませんかね。
社内会議くらいでオークラのスイートルームを使っていたなんて、
内緒のお話ですが、バブル時代の良き思い出です・・・。





その17 思い通りに行かないのがサラリーマン


「自分の好きなことやって気がついたら社長になっていた・・・」
そんなおめでたい人に会ったことないですね。
サラリーマンは自分の思い通りになかなかならないのですね。


最近多い脱サラのご相談が、
「会社が倒産してしまった・・・」
「会社のリストラで・・・」
というものですね。もっとカワイそうなのは
「会社にイジメにあって・・・」
とか「会社の派閥抗争に巻き込まれて・・・」


まあいろいろあるみたいですね。
要するに、自分の努力とは別の次元で、サラリーマン生活が
無事に送れなくなるケースも実際に多いのです。


では20年前の私はどうだったか・・。
強烈な外的要因が現れます。
これはお分かりになるでしょうね。


「バブル崩壊」
です。
バブルの最先端!でサラリーマン生活を送っていたものですから
この激震は強烈なものでした。
平成2年くらいから株式相場が急落していきました。
少しあとから土地相場も急落してきます。


自分が意図していた、サラリーマンとしての「安住の地」が
これで失われるのではないかという予感は正直持っていました。


山一證券が消滅したのはご存知だと思いますが、
そのあと「証券不祥事」が勃発して、証券会社自体が
方向転換せざるをえなくなりましたからね。


どうしても忘れられない出来事がありました。
これも「今だからネタ」です。
野村證券の「損失補てん」のお話ですね。
証券マンとしての考え方が180度転換した大事件でした・・・・。





その18 株主総会での出来事


バブル崩壊で、いろいろな事件がおきました。
もう20年も前のお話になりますが、
野村證券が株式運用で損失した特定の顧客に対して、
その損失を補填してしまったのです。
これは証券取引法違反であるのは明白な事実です。
当然バブル崩壊で大損した一般の方々から大ブーイングです。
しかも、その時の社長さんが株主総会で
「大蔵省のご承認をいただいた上で、損失補てんをした。」
と発言したものですから
世間で大騒ぎになって、結果的に辞任してしまいました。


実はその株主総会に私は出席していました。
これも「今だから言えるネタ」ですね。
しかも、最前列で社長から一番近い席に座っていました。


株主総会でいうところの「社員株主」です。
総会が始まる前から出席して、前から数列を社員で陣取ります。
「意義なし!」
「議事進行!」
という掛け声を早朝から何度も何度も練習していました。
株主だけでなく日本中のマスコミが注目していた中で
株主総会では荒れることなく無事に終わるように全社員で
戦うような、まさに「戦闘兵のような」覚悟でした・・・。


その時の社長は私にとっては「神様」です。
営業主体の会社で、その営業畑を若くして上り詰めたお方です。
社員にとっては「生き神様」でした。
野村證券には当時は
「ペロは人格」
という言葉がありました。
ペロとは注文伝票を指す業界用語で、ペロ=数字、つまり
「営業の数字をあげている人は人格者だ!」
という考え方さえありました。
「洗脳」させられたというと語弊があるでしょうか。
全店ボイス(社内放送)で社長の声を聞くと、直立不動で聞いている
古参の営業マンも多くいました。
例えが悪いかもしれませんが、金正日と北朝鮮の人々の関係のような・・・。


総会では神様を何としてもお守りしなければならない。
最前列に座った社員は、暴漢が社長に詰め寄った際の対応まで
練習させられました・・・(これは内緒かな)


それが、あの「大蔵省のご承認を」のたった一言で
失脚してしまいます。
それから、証券不祥事が勃発して、野村證券どころか証券界全体が
永いトンネルに入ってしまったのです・・・・。


その歴史的な一言を、全世界の誰よりも近いところで聞いていたのが
実は私でした。


あまりの衝撃でしたね。
営業のトップに上り詰めた「神様」があの一言でコケてしまったのです。
でも法律違反をしていることは事実で、やはり「原理原則」から
外れているのです。
正直、「呪縛が解けた」瞬間でした・・・。




その19 20年前の証券会社


ブログを書きながら気がついたのですが、
決して、特定の会社の暴露話を面白おかしく
アップしているつもりはありません。
20年前の証券会社がどうであったか、どんな背景で脱サラしたかを
ご説明するためです。ご容赦ください。


ちょうどその頃は、バブル崩壊という外的要因を受けながら、
証券会社が「株屋さん的古き体質」から「総合金融会社」へ
劇的に生まれ変わる時でした。
当時は、「ビックバン」とも呼ばれ、金融自由化の大きなうねりの中に
いました。


「これは大変なことになる・・・。」
危機感さえ思ったくらいです。
またファイナンス業務(銀行業務)をやりながら、証券業務とは
まったく異質なビジネスであることも実感していました。
銀行業務は「アセット・ビジネス」とも呼ばれ、融資残高(アセット)に応じて
その鞘(金利差)を抜くビジネスです。
例えば1%の利息で預金を集め、その資金を3%で貸し付けて
差額の2%儲けるようなビジネスですね。
証券業務は、「ブローカレッジ・ビジネス」とも呼ばれ、金融仲介
(ブローカレッジ)業務です。要するに手数料ビジネスです。
不動産ビジネスに喩えると、銀行は「不動産管理業務」であるのに対して
証券は「不動産仲介業務」です。
そのビジネスの違いをまざまざと感じながら、その中で、私は仕事もし、
かつ勉強もしていました・・・。


ところで昨日マスコミで
「野村證券が新卒の有能な方(英語がペラペラで専門能力を
持つようなスペシャリスト)は月給54万円で採用・・」
ということが報じられていましたね。


「54万払えるなら18万で3人採用するのが
この就職難の時の社会貢献だろ・・・」
と大学生の親なら皆ツッコミたくなるでしょうね。


でも「20年経ってようやく気がついたのかよ・・・」
これが素直な野村OBとしての実感です。
その当時、英語の操れるスペシャリストはすでに必要だった訳です。
しかも、
私自身英語も勉強していましたが、とにかく専門知識が
必要だった。とりわけ税務会計についての・・・。
間違いなくこういう人材は野村證券にはこれから必要だ!
そう確信していました。
つまり、目指したのは金融のことが良く分かって
しかも英語の操れる「企業内税理士」でした・・・。


もし今でも人がいないなら、履歴書持って野村の新卒採用に
私が本当に応募しましょうかね・・。(もちろん冗談です)





その20 企業内税理士


また書きながら、今度は自分に対して「突っ込み」たくなってきました。
20年経って分かったこともあるのですね。
まだまだその当時は若かったものですから・・・。


「企業内税理士」どころか、「企業内弁護士」や「企業内会計士」という
言葉もありますね。
試験制度を変革して、企業内に専門家を増やす動きもあるようですが、
一向にそういう職種が増えてこないようです。
それはなぜでしょうか。


それは専門家に依頼すべきリスクを、企業内に内在したくないからだと
私は思います。
税務に関して言えば、申告書を税務署から否認された時のリスクが
常にありますね。
ですから、企業内税理士は自社の申告書を書かないのが原則です。


でも
「申告書を書かない税理士は税理士でない。」
と本当に思うのです。
税理士試験を仮に合格しても、申告書を書いてみなければ
分からないことがたくさんあります。これは経験則からもいえます。
こういうことを書くと、現在「企業内税理士」として活躍されている方から
きっとご批判を受けるでしょうか。


同様に
「オペをしたことのない医者は医者でない。」
「法廷に立ったことのない弁護士は弁護士でない。」
有資格だけの評論家では真のアドバイスはできないと本当に
思うのです。


一方で証券会社は
「投資家の自己責任」
という不文律のビジネス原則があるのです。
証券仲介(ブローカレッジ)である以上、それ以上のサービスはありえないのです。
ですから、税務申告は自己責任でやってもらうしかないのです。
よって投資家の申告書を書いてあげるサービスなんて、どこの証券会社も
いまだにやっていません。


もしそのまま運よく「企業内税理士」となっていたら、
いったい私に何ができたのでしょうか。


また税理士となって分かったこともあります。
証券会社の立場では、中小企業の貸借対照表の資産の部の「有価証券」
しか分かりません。
銀行の立場では、せいぜい資産の部の自行の「普通預金」と「定期預金」、
負債の部の自行の「借入金」しか分かりません。
顧問税理士の立場では、中小企業のそれら含め、
オーナーのこともすべてが分かっているのです。
それが分かっているといないではアドバイスの質が全く違うのです。
でも証券会社内の社員税理士に、何が分かるのでしょうか・・・。


・・・いろいろ今なら思うことは多いのですが、当時は
「野村證券を救うには私が税理士になるしかない・・・」
それくらい思っていたのですね。
ようやく税理士になりたい指数は急上昇してきます。


このブログを書きながらようやく気がつきましたが、
要するに、私が税理士を目指した理由は
「愛社精神」だったのですね・・・!





その21 いよいよクライマックス


いろいろ長々と脱サラ物語を書いてきましたが、
そろそろ終章(クライマックス)に近づいてきています。


転勤族というのは、ある日突然辞令がきますね。
実はそれがきっかけで脱サラにつながったのです。
このあたり企業倫理的に、ご批判があるところかもしれませんが、
正直に書いてみましょう。


会社によっては事前に異動の打診があるところもあるらしいですが
当時の野村證券はそんなに社員に対して親切ではありませんでした。
(今は知りませんが)


ただ、異動時期の数ヶ月前に、人事部の方と一度面接がありました。
要するに、「そろそろ本社に戻りたいか?」と聞きに来たのでしょう。
そのときは
「こんな面白い職場はない。自分にとって適職で
ぜひもう少しここで勉強させて欲しい。また必要にせまられて、
税理士試験の勉強をしているが、これもぜひ続けさせて欲しい」
と言ったと思います。


それと、ここ数日来アップしている、「企業内税理士」の必要性を力説し、
「これからのこの金融自由化の中で、こういう経験は
間違いなく生かされる・・・。」と。


しかし、バブル崩壊で急速に経営環境が悪化してきます。
相場が悪くなると、本社の社員を減らし、営業を強化します。
これが相場に経営が左右される証券会社の宿命だったのです。
だいたい社員のいうことなんかもいちいち聞いていられないですよね。


入社8年目の5月。金曜日に、突然転勤辞令が出ました。
それは名古屋の支店への異動でした。
要するに、また元のように株を売れとの指令です。


これは本当にショックでした。
「また営業かよ・・・」
「オレが東京にいなくて金融ビックバンはどうするんだ!」
それくらいの気構えでした。


これまで自分が勉強してきたことを全部否定されたようでした。
東京を離れるということは、それまで勉強してきた税理士試験を
あきらめることにもつながります。


召集令状(赤紙)一枚で戦地に赴くのが「企業戦士」です。
チベットの山奥でもアフリカの砂漠でも・・・。
これは転勤族の宿命なのですね。


夕方に、支店の総務課長から一本の電話がありました。
早くも赴任指令(召集通知)です。
「月曜日の朝、東京駅発7時30分の新幹線に乗るように・・・」


それからの2日間、その新幹線の発車時間まで、自分の人生で
もっとも悩んだ長い時間でした。
「税理士になるために辞めよう!」
もう脱サラ指数がマックスまで跳ね上がっています。
「でも生活はどうする?家族はどうする?試験に受からなかったら・・・」


「7時30分発の新幹線に乗るかどうか・・・」
つまり赤紙を破り捨て、自分の進みたい列車に乗り換えるかどうか、
悩みに悩みました・・・。





その22 脱サラ心理学


営業に戻るということは
またまた営業課長、支店長への出世コースへ戻ることになります。
ただそのときは、「呪縛が解けていて」あまり出世には興味が
なかったのです。
しかも5度目の転勤で正直会社に対して、嫌気も差していました。
人一倍「愛社精神」はあったつもりなのですが、それが「フラレタ」感じでした。


その時点では
「辞めて税理士になろう!」
もうすでに心は決まっていました。


一方で、転職しようなんていうことも、
まったく思わなかったのですね。
とにかく自分の夢のために突き進みたかった。


幸いなことに、蓄えが多少あったのです。
その蓄えで2年間くらいは遊んで?暮らせたかもしれません。
でも、自分の力がいかにないか思い知らされていたので
とにかく「原理原則」の勉強がしたかった。


本当に2年間くらい仕事しないで、大原簿記学校に通いつめて
何としても税理士という夢を実現させたかった。


よく聞かれるご質問なのですが、当時の野村證券の給料は
結構良かったのです。
(ブログでやはりその額はアップできません。)
同世代の倍は働いていたので、本当に倍くらいもらっていたのです。
しかも忙しすぎて使うヒマもなかったし・・・。
確かにカネのためだけなら、辞めないほうが良かったのです。
でも人生カネだけでもないのですね。
一度きりの人生。好きなことをやって行きたいですからね。


ただ、もちろん真先に奥さんに言いました。
「2年間だけ我慢してくれないか? 絶対税理士になるから・・・」


ここで「生活はどうするの?」
なんて反対されたら、多分諦めて新幹線に乗っていたでしょうね。
きっと今頃野村證券のどこかの地方支店で
ウロウロしていたかもしれません。
(多分支店長くらいにはなっていたかも・・・)


でも、思いがけず
「なら辞めたら・・・」
その一言で私の脱サラは決まりました。


それでも不安な私は、そのまま大原簿記学校に向かい、
親しい講師の先生に相談に行きました。
ここでも
「大丈夫ですよ。辞めるくらいの覚悟があれば絶対に受かりますよ・・・」
今思えば、かなり無責任なお答えでした。


残念ながら、その2年後には税理士にはなれなかったのですから・・・。





その23 清水の舞台


脱サラしようと心には決めたものの
2日間眠れない日々が続きました。
「税理士試験受かるだろうか」
そんな心配と、
やはり野村證券を去る寂しさでした。
本当に高校生の頃から行きたいと思っていた会社です。


深夜まどろんでいると、夢を見ました。
修学旅行の時に行った清水寺でした。

清水の舞台.jpg


「清水の舞台から飛び降りた気持ちで・・・」
よく言いますよね。


そのときの夢は、まさに自分が清水の舞台から落ちてくような
感じでした。
「これが脱サラの気持ちか・・・」
これは絶対脱サラした人しか分からない感覚でしょうね。


今まで自分が立っていた場所が急になくなるのです。
安住の地が消滅し、そこから底なし沼のようにどこまでも
落ちてく感じです。


いささか恐ろしくなって目が覚めました。
そのときに目に入ったのは、まだ小さかった子供たちの寝顔でした。
ちょうどその頃、2DKの小さなアパートに住んでいたので
毎日親子四人、川の字になって寝ていたのです。


「子はかすがい理論」を私はよく言っていましたね。
子供達のために会社を辞めないで頑張ろうという理論。


でもこのときは逆でした。その可愛い寝顔を見ながら
「この家族のために死んでも税理士になってやろう!」
「清水の舞台から落ちても絶対這い上がってやる!」
そう心に決めたのでした。
そのまま机に向かい辞表を書いたのを覚えています。


月曜日の朝7時30分。
東京駅を通り越した私は、日本橋の本社前に立っていました。


「どうせ辞めるなら、辞表を人事部長に叩きつけて辞めよう!」
サラリーマンなら誰でもやりたいことですね。
それを最後にどうしてもやって、かっこよく辞めたかった。


ただサラリーマンとしての仁義もあります。
転勤拒否の非礼を何としても詫びなければならなかった。
それとその時の人事部長は、実は私が新人の時の研修課長で
まさに私に簿記研修をやってくれた恩人でもありました。
簿記会計の世界を教えてくれた恩人に
お礼も言わなければならなかったのです。


そのときにはもう迷いもなく、すっきりとした気持ちで
人事部のドアを勢いよく開けました。


「お早うございます!人事部長いらっしゃいますか!」


人生の新しい扉を、自ら開け放った瞬間でした・・・。


(炎の脱サラ編 おしまい)

 

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