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その1 証券業界に一石を投じた暴露本


証券マン


またついAmazonの衝動買いでポチっとしました。
一応私も元証券マンですからね。
きっと大昔のバブルの頃のお話か?
くらいのつもりだったのですね。
よくこのシリーズを取り上げますが、
この本はフィクションではないということを
前回知りましたからね。

本書に登場する証券会社名および日興証券の支店名や
部署名はすべて実名です。
最初の赴任地・名古屋支店も、蒲田支店も、
��お仕置き部屋�≠フ首都圏営業部も、
私が実際に勤務した場所であり、部署です。
したがって、日興証券の内部事情を知る人が読めば、
「日野山大」が誰かは瞬時にわかります。

これもやはり「会社名も支店名も実名で登場する体験記」
なのですね。
一応「日野山大」という仮名になっていますが。
まあこれを見た瞬間に日興、野村、山一、大和の4社と
分かりますからね。

まず「主人公はいくつの方だろう?」と、
最初にそれを思いましたね。
「1996年に入社して25年」と書いてありましたから、
入社は私のちょうど12年後です。
私も1992年に退職しているので当時は知りません。
でも1997年に野村証券では総会屋事件がありました。
しかも同年は山一証券が経営破綻した年ですね。
証券業界暗黒の時代に突入する世代です。
しかも年代的には「就職氷河期世代」なのですね。
年代的に1993年から2004年までのバブル崩壊後は、
新卒採用枠が大幅に減らされたのです。
ここまで言うと、私の1992年退職というのは
「素晴らしい相場観」だったと
誰も言ってくれないので、ここであえて書いておきます。

でもこの主人公は関西の有力私大K大学卒です。
それなのに、就活に出遅れたせいか


「今残っているのは中小企業か証券会社でしょう」

と大学の就活窓口で言われてしまいます。
それでとりあえず4社まとめて応募しました。
他の3社は落ちたものの、日興証券だけ採用されました。
よって何となく証券マンになってしまった方なのです。
まず書きますが、私は「証券マンになろう」として応募しました。
山一以外3社受けて、野村も大和も日興も実は受かったのです……。

なんとなく証券マンになって、25年勤めた方です。
やる気満々で入って、8年で辞めた私です。
ずいぶん対照的ですね……。


まあ、入社の経緯も、その後の道も違いますが、
読んでいると、結構懐かしく思い返しました……。

 



その2 上司との交換日記


入社して「名古屋支店営業部」に配属が決まります。

バブルの頃は全国の支店に数名ずつだったのが、
著者が入社した当時は、10か所にまとめて

配属していたそうです。
私の場合も、確かに同期は全国各地に散らばりましたね。

ところが、最初の日に上司から言われた言葉が、

 

「今後2年間、ほかの支店に行った連中とは

いっさい連絡を取るな」

 

何だか変ですね。

同期と連絡を取ってはいけないとは、どういうことでしょうか。

さらに、

 

「上司は親も同然や。今日から交換日記を始める。」

 

すごいですね。交換日記ですか。

ちょっと引いてしまいますね。

新人をよく見ておこうということなのでしょうか。

それにしても、ずいぶん距離の近い上司です・・・。

それで、新人の仕事です。

ここは私の頃と変わらないのですね。

新規開拓です。

懐かしいですね。いわゆる「飛び込み営業」です。

これについては、以前にもブログで書きました。 こちら

学生気分が1日で吹っ飛びましたからね。

どこへ行っても、

「間に合っています」

「結構です」

と言われます。

著者は必死になって回っても、

8月になっても口座開設はゼロだったそうです。

これは驚きますね。

私は1年目、口座開設だけは得意でしたからね。

結局、夏休みも取りにくい雰囲気です。

それでも、無理やり夏休みを取らされます。

すると、営業部にお客さんから電話があったというのです。

 

「『毎日通ってた新人が急に来なくなったけどどうしたの』

という問い合わせが商店街からぎょうさん来とるんや」

 

「ホントかよ〜」

それだけ気にかけてもらえるほど必死に回って、

8月まで口座ゼロ。

私の経験からすると、

「そこまで開かないものかね」と首をひねってしまいます。

一方で、営業の工夫には感心するお話もあります。

営業マンなら、参考になるところでしょうね。

 

「男性顧客から奥さまの誕生日を聞き出し、

手帳にメモしておく。

誕生日が近づくと、白紙のメッセージカードを添えた

小さな花束を携えて会社を訪問した。

『ぜひ奥さまへの感謝の言葉をひと言書いてお渡しください』」

 

新人にしては、ずいぶん気の利いた営業ですね。

誰かに教わったのでしょうか。

素晴らしい上司がいたのかな、とも思います。

そして、こんな言葉も出てきます。

 

「私が学んだ営業の要諦は単純だった。

人は商品を買うのではなく��納得�≠�買うのだ。

それは相手を信用できるかどうかで決まる。

時間は足し算、知識は掛け算、紹介は累乗、

それらすべての土台になるのは信用。」

 

これはまさに、コンサルタントが好きそうなフレーズですね。

ただ、新人時代からここまで分かっていたというより、

25年間の証券マン生活を振り返って、

たどり着いた言葉なのかもしれません。

そう考えると、また読み方も変わりますね。

 

営業トークについても、こんなお話があります。

 

「営業トークの基本として教わったのが、

『きどにたてかけせし衣食住』だ。

『き』は季節、『ど』は道楽、『に』はニュース、

『た』は旅、『て』はテレビ、『か』は家庭、

『け』は健康、『せ』は世間、『し』は仕事。

それに『衣食住』を加えれば、初対面の相手とも

話題には困らない。

一方、避けるべき話題は『政宗(まさむね)の皿』。

『政』は政治、『宗』は宗教、『サラ』はサラリー、

つまり給料である。」

 

「へ〜」と思いますね。

日興証券では、こういうことも教えていたのでしょうか。

私がいた頃の某野村證券では、教わった覚えがありません。

ただ、私ならここに「や」を加えますね。

野球の「や」です。

いろいろなチームのファンがいますし、

地域によっても違いますからね。

名古屋営業部だったらなおさら言えないでしょう。

熱烈なドラゴンズファンもいればアンチもいるはず。

野球の話は、なかなか難しいものです。

 

「政宗の皿や」。

 

何だかお店の名前みたいになりましたが・・・。




その3 いまだに回転売買?


1996年に入社した著者が経験した、
証券営業の現実です。


「過度な回転売買が問題になっていた」

こういうお話は、今では昔話になっていてほしいものですが・・・。
私がいた約40年前は、日常茶飯事でしたね。
著者は、ある資産家から1億円ほど預かります。


「資産を3000万円ずつ3つの銘柄に分け、
毎日のように売買を繰り返す。
表向きは資産運用である。
しかし、実態は売買回数を増やすことだった。
1回あたりの手数料は約30万円。
営業日が20日あれば、月600万円もの手数料が
発生する。」


このくだりは、その後のITバブルの頃のお話らしいのですが、
結果的に、この資産は3億円まで膨らみ、
お客さんには喜ばれたのだそうです。
相場が大きく上がる局面では、
こういうこともあるのでしょうか。
そして、この上司はご栄転していきます。
「数字がすべて」という証券営業の現実でしょうね。


書きながら、私も思い出しました。
月間の手数料のノルマは、1000万円だったでしょうか。
それでも、2000万円や3000万円を稼ぐ営業マンもいましたね。
その数字を挙げるために、何度も売買を繰り返す。
これが、まさに回転売買です。


正直、私は「嫌で嫌で」たまらなかった・・・。
お客さんが持っている株に利益が出ていると、
「どうしてそれを売ってほかの銘柄を買わせないのだ!」
と怒られます。
でも、その銘柄は、先日こちらから
「倍になります!」
と言って買ってもらったものなのです。
それなのに、もう売って、別の銘柄を買ってもらうのですか。
そう思っても、また怒られます。


株式だけではありません。
投資信託でも、回転売買が横行していました。


「なんだ、この商売は・・・」

自問自答した日々でしたね・・・。


著者も、こんなことを書いています。


「私は名古屋支店での経験から、株式売買だけに頼る営業には
限界があると感じていた。」


ところが、次の赴任地である蒲田支店でも、
「昭和の利益至上主義のど真ん中に放り込まれたのだ。」
支店が変わっても、やはり数字なのですね。
ただ、時代は変わっていきます。


1999年10月1日、
株式売買委託手数料の完全自由化が実施されました。


ネット証券などによる手数料の値下げ競争も進み、
大手証券も、従来の手数料体系のままでは
競争できなくなっていきます。


売買を重ねて手数料を稼ぐ。
そんな営業のやり方も、
時代の変化と向き合うことになるのですね・・・。




その4 日興証券には私の青春があった


毎日、交換日記までしてくれた藤堂課長。
主人公が開拓した大口顧客からの手数料収入もあって、
めでたく栄転することになります。
若手ながら、新設店舗の支店長に抜擢されたのですね。
これは証券会社では大出世です。


「藤堂課長への思いは『感謝』という言葉では言い尽くせません。
反発したこともあれば、恩義を感じたこともあります。
藤堂課長の栄転に一役買えたという自負もありました」


そうなのでしょうね。
新人課という部署で、わずか3年の間に、
若手をこれだけ成長させたのですから。
部下が数字を上げれば、上司も評価される。
証券会社らしいお話ですね。


三河地区の資産家を開拓したお話などは、
まさに営業マンの武勇伝でしょう。
会社を挙げて販売に力を入れていた
「グローバルラップ」を、4億円も成約したのです。
4億円ですからね。
支店中が大いに沸いたであろうことは、想像できます。


私も、書きながら思い出しました。
今から40年以上前、入社2年目のことです。
群馬県伊勢崎市の資産家に、
3億円の投資信託を販売したことがありました。
支店に帰ると、全員からスタンディングオベーションで
迎えられましたね。
あれは忘れられません。
私が証券会社にいたのは、わずか8年間でした。
それでも、こうして思い出すと、
忘れられない出来事はいくつもあるものですね。


ちなみに、少しネタばらしになりますが、
本書によれば、この藤堂課長は、
その後、2か店の支店長を務め、本部企画部へ異動します。
まさに出世コースに乗ったのですね。
そして、後に日興証券の社長にまでなったそうです。
交換日記をしていた上司が、やがて社長になる。
主人公にとっても、特別な存在だったのでしょう。


「日興証券には私の青春がありました。

営業に明け暮れ、怒鳴られ、笑い、

藤堂課長の背中を追いかけた日々でした……」


ただ、ここまで読むと、
ちょっと美化しすぎではないかとも思ってしまいます。
それだけ藤堂課長への思いが強かったのかもしれません。
証券営業の日々を「青春」と呼ぶ。
私には、少し引っかかる言葉ですね。


もちろん、先ほど書いたような、
忘れられない晴れがましい思い出もあります。
でも、それだけではなかったでしょう。
むしろ「恨み節」と言ったら、言いすぎでしょうか。


なぜなら、この後の急展開に、
読んでいて本当に切なくなったからです・・・。




その5 ついに日興証券のお仕置き部屋へ


名古屋営業部で実績を上げた主人公は、
その後、蒲田支店へ異動になります。

ここから、彼の証券マン人生は暗転していきます。
サラリーマンが読むと、
このあたりから、つらくなってくるでしょうね。

ところで、この方は、ものすごく正義感の強い方です。

子供のころから、


「一度『これが正しい』と思い込むと、

それを曲げることができない性格」

だったそうです。

小学校に入る前の3月、
母親と出かけた際にも、改札の前で、

「切符を買わないとダメだ」

と泣きじゃくったというのです。

これを読んだ瞬間、
「私がいたような証券会社では、苦労するだろうな」
と感じました。

正しいと思うことを曲げられない。
本来は、大切なことなのですけれどね・・・。

私がすでに退職した後のことなので、
当時の実情はよく分かりません。
本書では、営業店での保険販売をめぐる問題が

描かれています。

 

「顧客の名前を代筆する社員もいました。

無資格者による販売や、本人確認を伴わない契約

もありました。」

 

さらに驚くのは、保険の販売資格試験のお話です。

本書によれば、

 

試験会場に試験監督はおらず、

受験者が教材を机の上に広げたり、

受験者同士で答えを教え合ったりしていた

 

そうです。

これでは、何のための資格試験なのでしょうか。
正義感の強い彼には、
とても見過ごせなかったのでしょう。

彼は、こうした問題を組合の執行委員長に伝えます。

ところが、そのことは会社側にも知られてしまいます。
相談した先から話が伝わってしまう。
これも、読んでいてつらいところですね。

その半年後、堺支店への異動辞令が出ます。
この時、彼は30歳になっていました。

ただ、本書によれば、堺支店へ赴任してすぐ、
介護施設に入っている認知症の資産家の、
不自然な取引に気づきます。

これを読んで、証券マンだった私には、
「これは一発アウトでしょう」
と思える取引でした。

彼は、その問題を課長に進言します。
ところが、返ってきたのは、こんな言葉でした。

 

「キミはバカか? 会社の方針に従えないなら

人事に報告するぞ」

 

不自然な取引を指摘したら、
会社の方針に従えないのかと言われる。
これでは、何のための進言なのでしょうか。

その暴言に対して、
彼は、つい机をたたいてしまいました。

 

「け、警察を呼んでくれ!

だ、誰か、警察を呼んでくれ!」

 

今度は、警察を呼べという騒ぎです。
読んでいるこちらまで、やりきれなくなりますね。

堺支店に異動して1カ月も経たないうちに、
彼はまた「首都圏営業部」へ異動になりました。

  

本書で、かつて週刊誌でも話題になったという

「日興証券のお仕置き部屋」

として描かれている部署です。

31歳で野村證券を退職した私だからこそ、
思うことがあります。

「もう、ここで辞めてもよかったのではないか」

もちろん、辞めた私が、後から言うことです。
本人には、簡単には決められないことだったのでしょう。

それでも、読みながら、
そこまでして会社に残らなければならないのかと、
考えてしまいました。

そして、私が一番つらかったのは、
妻からの、この一言です。

 

「もう、あなたと一緒に暮らすのは無理だと思う。

離婚してくれない?」




その6 内部通報

次の異動先は「首都圏営業部」です。
本書で、通称「日興証券のお仕置き部屋」として
描かれている部署です。
週刊誌にも取り上げられたそうです。

本当に、こんなところがあるのですね。

前にも書きましたが、私なら、
この異動が決まった時点で退職を考えたと思います。

でも、読んでいてつらくなったのは、
そこに集められた人たちのお話です。

能力がないから、そこにいるのではない。
会社の都合で、行き場を失った人たち

なのだそうです。

それまで働いてきた人が、
会社の都合で居場所を失ってしまう。
サラリーマンには、他人事ではありませんね。

それでも、主人公は腐らずに勤め続けます。

一方、日興証券を取り巻く環境も、
大きく変わっていきます。

2007年、シティが日興コーディアルグループに
TOB、つまり株式公開買い付けを実施します。
そして、2008年1月には完全子会社化します。

主人公は35歳の時、
シティバンク青山支店に配属されます。

でも、2008年といえば、ご存じですね。
「リーマンショック」です。

経営が揺らいだシティは、事業の見直しを進めます。
2009年5月には、日興コーディアル証券を中心とする事業を、
三井住友銀行へ売却することで合意しました。
公表された対象事業などの取得価額は、5450億円です。

そして、同年10月、日興コーディアル証券は
三井住友銀行の完全子会社となります。

会社の看板も、親会社も変わっていく。
そこで働く人たちは、時代に翻弄されますね。

その後、主人公は日興証券の企業情報部へ異動します。
M&Aを扱う投資銀行部門です。
証券マンなら、憧れる仕事の一つでしょう。

ここまで読むと、
「腐らずに、辞めなくてよかったですね」
とも思います。
先ほど退職したほうがよかったと書いたばかりですが・・・。

ところが、ここでも、黙ってはいられません。

「M&A情報の管理上の不備」

これを内部通報する

のですね。

本書によれば、その後、旧日興証券の部隊が担っていた
M&A業務は、実質的にSMBCの管理下へ移っていったそうです。

この時は、主人公におとがめはなかったようです。
そして、2015年にはプライベート管理部へ異動します。

 

「SMBCとの連携強化により、銀行顧客への

証券商品の販売が急拡大していました」

 

私の年代の証券マンなら、
このあたりで、気になることが出てきますね。

銀行と証券の間には、顧客情報の不適切な共有や、
利益相反などを防ぐための
「ファイアーウォール規制」があります。

同じグループだからといって、
顧客情報を何でも自由に共有してよいわけではありません。

そして、情報の管理とは別に、
もう一つ気になるのが、融資先への営業です。

例えば、お金を借りている銀行から、

「投資信託も、いかがですか」

と勧められたら、どうでしょうか。

もちろん、必要な商品ならよいのでしょう。
でも、借りている側には、
「断ったら、今後の融資に響かないだろうか」
という気持ちが生まれることもあります。

本当は買いたくなくても、
「お付き合いで」と、断りにくくなる。

その立場を不当に利用して取引をさせることが、


「優越的地位の濫用」

の問題になるのですね。

本書には、こんな記述があります。

 

「融資取引のある銀行顧客に対して、投資信託や仕組債、

保険商品が販売されていました」

 

ただし、融資先に金融商品を販売したというだけで、
直ちに問題になるわけではありません。
大切なのは、お客さんが自分の意思で選べたのか。
融資の関係を背景に、無理な勧誘がなかったのか。
そこでしょう。

主人公は、こうした販売のあり方に問題を感じ、
また内部通報します。

すると、本書によれば、数日後には異動の連絡があり、
法人業務部へ移ることになったそうです。

あまりに早い展開ですね。

ただ、それだけで異動の理由を断定することはできません。
私が引っかかったのは、その後の通報案件の扱いです。

本書では、

通報者が対象部署から異動すると、
案件が異動先まで引き継がれず、
うやむやになりがちだった

と描かれています。

これを読んで、思わず、

「SMBC、お前もか」

と感じてしまいました。

人が異動すれば、問題までなくなるのでしょうか。

内部通報とは、何のためにあるのか。
読んでいて、また考え込んでしまいました・・・。




その7 金融庁への公益通報

いよいよ、この本のクライマックスですね。
主人公は、金融庁への公益通報に踏み切ります。
本書で描かれる問題は、
日興証券の相場操縦事件へとつながっていきます。

2023年2月13日、東京地裁は、
法人としてのSMBC日興証券に対し、
金融商品取引法違反で罰金7億円、
追徴金約44億7114万円の判決

を言い渡しました。

さらに、

2025年7月22日には、
元副社長ら5人にも、懲役1年6カ月から3年、
執行猶予3年から5年の有罪判決が言い渡されます。


ただし、こちらは判決後に控訴したと報じられています。

問題になったのは「相場操縦」です。

市場そのものへの信頼を揺るがす行為です。
証券会社が、絶対に踏み越えてはいけない一線でしょう。

創業者や大株主が、
保有する株式をまとめて売却することがあります。

ただ、売買の少ない銘柄を市場で一度に売れば、
株価が大きく下がってしまうおそれがあります。
そこで、証券会社が買い手を探すなどして、
まとまった株式の売却を仲介するのですね。

もちろん、その仲介自体が悪いわけではありません。
問題は、取引を成立させるために、
市場の株価を不正に動かしてよいのか、ということです。

そこを取り違えてはいけませんね。

一方、主人公自身にも、厳しい展開が待っています。

本書によれば、公益通報後、
人事部付となり、研修部へ異動します。


いわゆる「肩たたき部屋」を思わせる扱いです。

任されるのは、研修所の机の配置を変える仕事です。

「昨日までスクール形式だったのをアイランド形式に変えます」

ところが、翌日の指示は、

「アイランド形式になっている机をスクール形式に戻します」

昨日並べ替えた机を、今日は元に戻す。

これを読んだら、サラリーマンは泣けてしまいますね。
長年、証券の仕事をしてきた人に、
ほかに任せる仕事はないのでしょうか。

このまま定年まで、こんな日々が続くのか。
そう思ったら、どんな気持ちになるでしょう。

私には、
「早く会社を辞めてください」
と言われているように感じられました。

結局、主人公は会社を退職します。

本書によれば、

本来は52歳以上が対象の早期退職制度が、
48歳の彼にも特別に適用

されたそうです。

そして、退職に際して示された金額は、

なんと、4000万円です!!

大きな金額ですね。

ただ、これを「公益通報の対価」と
言い切ることはできません。
退職に伴うお金と、通報そのものへの報酬は、
別の話ですからね。

それでも、読み終えて考えてしまいます。

正しいと思ったことを通報し、
長年勤めた会社を去ることになった人にとって、
この4000万円は、高いのでしょうか。
それとも、安いのでしょうか・・・。




その8 公益通報者保護法とは?


20261027-091116

(SMBC日興証券 近藤雄一郎社長が2024年4月1日付で退任)

 

「公益通報者保護法」という法律があるのですね。
この本で初めて知りました。

一定の要件を満たす公益通報をした人を、
勤務先からの不利益な取り扱いから守る法律です。

つまり、会社は公益通報を理由に、
解雇や降格、減給などをしてはいけないのです。

でも、本書で描かれる主人公は、
いわゆる「肩たたき部屋」を思わせる部署へ送られます。
昨日並べ替えた机を、今日は元に戻す。
そんな仕事をさせられるのですね。

法律で守られているはずなのに、
働く場所での居場所はなくなっていく。
読んでいて、やりきれなくなります。

高額な退職金についても、
会社が早く辞めさせたかったのではないかと、
つい考えてしまいます。
もちろん、金額だけで会社の意図は分かりません。
それでも、冷徹な組織の力を感じる場面でした。

退職前、主人公は社長との面会を望みます。

新人時代、3年間も交換日記をして、
自分を育ててくれた、あの上司です。

ところが、面会はかなわなかったそうです。

会社のトップとしての立場があったのでしょうか。
それにしても、最後に一度くらい、
話を聞いてもらいたかったでしょうね。

しかし、この物語は、まだ終わりません。

主人公は、まだ48歳なのです。

本書によれば、金融機関への再就職を目指したものの、
最終面接まで進んでも、採用には至らなかったそうです。
結局、金融機関を諦め、別の業種へ移ります。

不採用の理由までは分かりません。
ただ、長年の経験を生かして、もう一度働きたい。
その願いがかなわなかったことは、つらかったでしょう。

公益通報をしたことで、
人生を棒に振ってしまったのでしょうか。

そう思いたくなる展開ですが、
それでは、あまりにも救いがありません。
正しいと思うことを伝えた人が、
そこまでの代償を払わなければならないのでしょうか。

さらに、本書では退職から1年9か月ほどたった頃、
あの社長が相場操縦事件をめぐって
謝罪会見を開く姿が描かれます。

実際のSMBC日興証券でも、
当時の近藤雄一郎社長が事件について謝罪しました。
その後、2024年4月1日付で社長を退任しています。

ただ、主人公の通報によって社長が退任したと、
単純に結び付けることはできません。

それでも、本書を読んできた者として、
そう考えずにはいられません。

新人時代に交換日記をして、
営業のいろはを教えてくれた上司。
その背中を追いかけてきた部下。

長い年月の末に、
一人は会社のトップとなり、
もう一人は会社の問題を通報して、去っていく。

あの交換日記の日々から、
誰がこんな結末を想像したでしょうか。

サラリーマンすごろくの最後の「あがり」としては、
あまりにショッキングなお話です。

証券ビジネスに携わる方には、
ぜひ、この本を読んでいただきたいですね。

そして、営業成績や手数料の話だけではなく、
お客さんや市場の信頼を守るとはどういうことか。
社内で問題を指摘した人の声を、どう受け止めるのか。
何度でも考えていただきたいと思います。

この経験が、証券業界を少しでもよくすることに
つながらなければ、主人公の苦労も報われません。

古巣の証券業界を懐かしく思い出しながら、
それだけでは済まされない思いにもなりました。

証券OBとして、苦言を呈したくなる

そんな一冊でした。

(ガンバレ!日野山大シリーズ おしまい)