半沢直樹の胸のすくような「100倍返し」のあとは
現実のお話。
「やられて・・さらに100倍やられた?」お話。
「林原」という企業ご存知でしょうか。
岡山市に本社を置く、バイオでは超有名な企業でした。
ずいぶん前になりますが(2002年)私の履歴書で
林原健社長(当時)が取り上げられましたし、つい最近でも
「カンブリア宮殿」にも出ていましたね。
林原とは岡山市で創業130年にもなる、もともとは「水あめ製造」の
会社です。
その三代目、林原一郎氏が実質的に一代で林原グループを
全国規模の大会社に育て上げたのです。
戦後何もない時代に、「カバヤキャラメル」を製造して大ヒット。
さらに食品以外にも、ホテル、製紙、運輸、印刷、観光、不動産など
一大コンチェルンを作りあげたのですね。
ところが、その超やり手の三代目の一郎氏が52歳の若さで急死。
その後継ぎとして、若干19歳の林原健氏。慶応在学中ながら
社長になります。
相続財産を争って林原家は醜い相続争い。
親族にカバヤキャラメルは持ってかれるなど、従業員は半減。
でもその健新社長は、数年後に
「デンプンを100%麦芽糖に変える世界初の技術開発に成功」
つまり、これが「マルトース」
ここから林原はバイオ企業に変身するのですね。
そこから、さらに「プルラン」という薬のカプセルに使われる
「食べられるプラスティック」の開発も成功します。
さらに「世界の林原」として有名にさせたのは「インターフェロン」
これはちょうど私が大学卒業(1984年)し証券会社に入社した頃。
当時、その共同開発した「持田製薬」の株を勧めたことを思い出しました・・。
(もう時効だからいいですか・・・)
あの頃、林原、大塚製薬、持田製薬で「ガンを撲滅する夢の新薬」
林原法という「ヒト細胞インビボ増殖法」というのを開発したのでした・・・。
このあたりまでの林原健社長の経営手腕は見事だったのですが
どこから変わってしまったのでしょうか・・・。
なぜ破たんしてしまったのでしょうか。
メインバンクに「半沢直樹」がいてくれたら・・・。
ちょうど、半沢直樹に出てくる「伊勢志摩ホテル」がこのモデルでは
なかったのか・・・。
そう思ってしまうのですね。
ただドラマとは100倍違って、結末はあまりにも悲惨です。
「やられて・・さらに100倍返しをされたお話・・・」
その2 銀行によって潰された?
この本の著者は林原靖氏。
林原健社長の実弟で専務取締役でした。
誰よりも林原を知っている方です。
ただこの本に詳しく書いてある通り、実質的には健社長の
超ワンマン会社だったのでしょう。
「なぜ潰れたんだ・・・本当は林原はこうなるはずだった・・・・」
本当に恨み節ばかりです。
「敗軍の将兵を語る」というような流暢なお話でもないのです。
この本では、銀行名、弁護士名、監査法人名などすべて
実名で出てきます。
今のところ、損害賠償や出版差し止めなどの訴訟は
でていないようですから、
私もすべて実名で解説しようと思います。
(ブログのお約束としては気になりますが・・・)
「ここまでハッキリ書いていいのか・・」
そう思うくらいこの本はスゴイです。
それだけ悔しい思いをこの著者はしたのでしょう。
「銀行は本当はこうなのか・・・。弁護士事務所って実はひどいな・・・
監査法人もそうなのか・・・」
本当にそう思ってしまいます。
「こうしてあのすばらしかった会社、林原は潰れたんだと・・・・」
では、もっともこの著者が憎んでいる銀行名を書きましょう。
「住友信託銀行」
林原はメインバンクは、もともとこの住友信託(現在の三井住友信託銀行)
だったのです。
この銀行につぶされたと靖は書いているようです・・・。
林原が大躍進する前、話を40年前に遡らせますが、
林原健社長が、大塚製薬と組んでマルトースの仕事を進める際に
新工場の建設資金を住友信託銀行(当時)から融資してもらったことから
付き合いが始まります。
当時の社長は山本弘社長。山口大学出身で、
住信中興の祖と言われる方です。
林原社長の夫人との縁まで取り持ってくれて、
社員の退職年金や住宅貸付などもすべてお願いするなど
密接な関係が長く続いてきたようです。
しかも、一番問題になったのは、この住友信託銀行に
「持たされた」京都センチュリーホテル。
バイオ専業の会社がなぜホテル事業までやったのかは、
どうやらこの銀行の「おかげ」だったようです。
しかもホテルの歴代社長は、すべて住友信託から受け入れていました。
半沢直樹流にいえば、「出向受け入れ先」。
もっとはっきり言えば「天下り先」
ただ問題になったのはこのホテルが赤字を垂れ流していたのでね。
そのおかげで借金もふくらんだようです。
でもバブルの時はまだまだ良かったのです。
10年間くらい前からこの蜜月な関係はおかしくなってきます。
ちょうど金融庁が出来た頃からですね。
そのため林原は、10年間で350億円もの借金を返していきます。
しかもその大半が住友信託銀行への返済。
きっと金融庁検査で「オカマの検査官」にでも
住友信託銀行が指摘でもされたのでしょうね
おかげで林原は資金繰りが苦しくなりだします・・・。
「銀行は雨の日に傘を取り上げ、晴れの日に傘を貸す」
やはり半沢直樹で出てきた「伊勢志摩ホテル」と
まったく同じだと思いませんか・・・。
その3 借金1300億の非公開会社
メインバンクであったはずの住友信託が融資残を減らし
徐々にフェードアウトしているうちに、自然とメインバンクになったのは
中国銀行。
当然地元の地銀として付き合いは長いです。
三代目林原一郎と「中銀・中興の祖」と言われる守分十頭取(当時)との
親密な関係から始まっています。
戦後の苦難の時期を共に乗り越え、共に成長期を歩んできた長い歴史が
あるのですね。
その結果として、中国銀行の株を何と12%も所有する筆頭株主なのです。
しかも関連会社も含めると、株主上位10位に3社も入るほどの影響力。
中国銀行としては「林原さまさま」だったのでしょう・・・。
バブル期に研究開発費以外にも、不動産投資の借り入れが膨らみます。
バブルのピークにはなんと1600億円もの借入残です。
新宿の歌舞伎町に林原ビルを建てたのはまさにバブル絶頂期の92年。
林原はそのバブルの後遺症で悩むのですね。
ご紹介したように住友信託の態度が一気に変わってきます。
その中国銀行の借入残も400億を超えてきます・・・。
いくら「親会社」のためとはいえ、一グループへの融資枠としては
大きすぎたのではないでしょうか。
これも憶測ですが、「金融庁検査」で引っかかったのでしょう・・・。
でもこの著者の靖氏にはいつもこういっていたそうです。
「国債の暴落とか為替の急変など金融危機がおきて融資残のメイン寄せ
(これは下位行が融資を減らし、その分をメインがかぶること)
が一番怖いですが、林原への姿勢は変わりません。他行にはきっちり
話をつけます」
こうたくましい発言をしていたのでしたが・・・。
リーマンショックが起きて、さらに事態は悪くなったようです。
ここで大事なお話なのですが、
林原という会社は「非公開会社」なのですね。
つまり、これだけ大きくなっても上場をしようとはしなかったのです。
どうしてなんでしょうか?
林原健社長が、
「上場すると自由な基礎研究ができなくなる・・・。」
そういう信念だったようですが、それが間違いではなかったのでは
なかったのではないでしょうか・・・。
非公開会社で1300億円の借入残は、
あまりにも大きすぎたのですね。
厳しい経営環境下、さらにここで大問題がおきます。
「粉飾」の発覚です・・・。
その4 メインバンクの裏切り
「半沢直樹」の楽しいお話をいつまでも続けたいのですが
現実的なお話に戻りましょう。
でも
「メインバンクに半沢直樹がいてくれたら・・・」
そう思いながらお考えください。
2010年11月頃、林原で「過去における架空売り上げの計上」
という「粉飾」の問題が発覚します。
この本では、その粉飾について、詳細には書かれていなかったのですが
事実あったようです。
ただ再三申し上げますが、林原という会社は非公開会社なのですね。
決算書に監査は受けていなかったようです。
「そんなことメインバンクとして知っていて当然だろ!」
そんな声もあるかもしれませんが、結構巧妙な?粉飾だったみたいです。
しかし、読んでいて「笑ってしまいましたが」
銀行の借入残が銀行の提出先で違っていたのですね。
何でこんな「子供じみた」粉飾なんかやっていたのでしょうか・・・。
それが2010年11月で、メインバンクの中国銀行とサブの住信との
話し合いで発覚したのだそうです。
この著者は
「銀行にも守秘義務がある・・・」
と怒って書いてありましたが、
「そんなことないだろ・・・」
これは正直この著者に突っ込みたかったところですね。
でもこれも私の感触ですが、会社の資産規模、事業規模を比べたら
「大した粉飾」ではなかったようです。
この著者いわく、
「一年一年の決算を重視するよりも、10年〜20年、あるいはそれ以上の
時間感覚の中で帳尻を合わせていく・・・」
という(おめでたい)認識だったようです。
ただ銀行は「粉飾」と聞いただけで手のひらを返します。
メインバンクの中国銀行が急に「担保設定」をしだし、
サブの住信も連帯保証を要求してきます・・・。
半沢直樹の「工場を営む父親」(笑福亭都鶴瓶)が経営が
苦しくなったとき
融資担当者(若き日の大和田常務)から
「担保を差し出せば融資します」
と言われ、担保を出させた瞬間、手のひらを返したのと
まったく同じです。
その結果、父親(鶴瓶)は首をくくり、
林原も社長は退任させられ、結果的に倒産して
何もなくなってしまいました・・・。
その5 実は商法違反
これは大事なお話なのですが、「天下の金融庁」の方針で
粉飾があると銀行は、自動的に格付けが落とされるのですね。
ですので、いままで「無担保で」いくらでも借りられた林原に
初めて不動産に担保がつけられたのです。
さらに、これもオーナー一族に「初めて」個人保証が要求されたのです。
これを聞いただけで、林原はいかに優遇されてきた会社か分かるでしょう。
無担保無保証で際限なく借りられる企業だったのです。
普通の中小企業では考えられないことなのですね。
しかし、この「粉飾」ということは、この本を読んでいると
あとから「過大にリーク」されたことのように感じています。
やはり、銀行は知っていたはずなのですね。
「支店長がそれを知ったとたんに、腰を抜かすばかりに驚いた・・・」
「そんな訳ないだろう・・・」
そう思ってしまうのですね。
「半沢直樹」で親友の近藤が、銀行からタミヤ電機に出向したように
中国銀行からいくらでも人材を送り込んでいたと思うのです。
優秀な近藤はすぐ「粉飾」を見破りましたが・・・・。
しかも、ここは非常に大事なところなのですが、
分かる方なら
「これは商法違反だろ!」
そう思うはずなのですね。
「株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律」
(通称、商法特例法)というのが、2006年まであって、
「資本金が5億円以上か負債が200億円」の会社は必ず監査を受けなければ
ならなかったのですね。
こんなことは銀行なら「当たり前だのクラッカー」でしょう。
(すいません。古いギャグ)
ましてや1300億円もの負債です。
バブルの頃は1600億円もの巨額の負債・・。
いかに決算書何て見ないで貸していたかという実態なのですね。
まあバブルの頃は総資産時価で3000億円とか4000億円とまで
言われた超リッチ会社でしたから・・・。
「今さら粉飾何て取り上げるのかよ・・・」
そうこの筆者は言っているようなのですね。
まともな銀行なら、法律を盾に
「監査を受けなさい」とか
「監査報告書を提出しなさい」
といったでしょう。
少なくとも担当者が「半沢直樹」だったら・・・。
その6 ADRがそもそも失敗
経営状況が思わしくなくなって1か月後の
2010年12月になって、中国銀行から、こんな提案を受けます。
「メインバンクの当行としては、林原の再建を裁判外紛争手続(ADR)
によって進めるのがベストと判断しました。
つきましては、ADRの第一人者である東京の弁護士事務所を紹介します。」
ここで、裁判外紛争手続(ADR)という法律用語が出てきましたね。
多分ご存じないでしょうね。
今回のこの本で、このADRをずいぶん勉強させられました。
結果的に、これが大失敗だったようです。
ADRとは要するに
「裁判の手続きを経ず、銀行団が一致となって債務者を救いましょう!」
という再建制度らしいのですね。
ここで紹介されたのは「西村あさひ法律事務所」
日本の「四大法律事務所」の一つです。
この事務所のトップの松嶋英機弁護士が中心になって
法制化した新しい制度なのだそうです。
ADRは、銀行団を一致させるために、メインバンクの中国銀行とサブの住信が
当然中心となってまとめなければならないのですね。
でも前回先にアップした様に、このメインとサブの両銀行は先に
担保設定や保証人の追加などやっているのですね。
そんな不公平なことを先にやっている銀行のことなんか
他行は聞かないですよね・・・。
「抜け駆けしておいてから」あとは弁護士任せでは
なかったのではないでしょうか・・・。
ADRに向けてスタートすると
西村法律事務所は、「息のかかった」提携先である
「監査法人プライス・ウォーターハウス」(PWC)に依頼して、
林原の調査を徹底的に始めます。
PWCも日本最大規模の監査法人ですね。
この調査とはいわゆる
「デューディリジェンス」
過去の帳簿の監査も含め、徹底的に「あら捜し」をします・・・。
2か月後に資金ショートが見えていたので、
クリスマスも正月も返上の突貫工事。
通常半年以上かかる調査をわずか数か月で・・・。
でもここが一番大事なのですが、
銀行から、この両事務所を紹介されていたのですが、
契約はあくまで銀行ではなく、会社ですよね。
当然この段階では、依頼人は林原だったはずなのですね。
だけどどう考えても、この流れは銀行主導で、
しかも「銀行有利に」行われたとしか考えられないのです・・・。
この段階で、林原は2011年2月末時点で資金ショートは
必至の状況。
でも。これは後日誰も指摘していないことなのですが、
こういうのを「銀行の優先的地位の乱用」というのではないでしょうか。
「藁をもつかみたい弱い立場の債務者」ですから、
銀行の申出を断ることは絶対できない・・・。
その7 弁護士は誰の味方か?
2011年1月、メインバンクの中銀、サブの住信と
三菱東京UFJ,三井住友、みずほの主力5行を交えての
話し合いが行われます。
このあたりから、妙に生生しくて面白いのですね。
「銀行ってそうなのか・・・半沢直樹なんて空想の人物さ・・・」
そう思ってしまうのですね。
「そもそも、中銀さんや住信さんに、この会社を本気で支えようという気が
あったのか?見れば、自分らの保身ばかり考えているじゃないか。」
都市銀行から、こうズバリ言われてしまいます。
こんな状況でADRなんて成立しそうもないですよね・・・。
そんな雰囲気な状況の中、述べ20行に及ぶ債権者の銀行に
ADR成立に向け、状況説明に回ります。
ADRというのは全銀行が賛成しなければ成立しないのです。
これは大変な手続きなのですね。
でも面白いことに情報がマスコミにすべて漏れます。
(これは弁護士が意図的に流したと筆者が言っていますね。
しかも経営陣に不利な、粉飾だの不正だのと・・・。
ひどい話です・・。)
そうしているうちに、2月2日第一回「全銀行ミーティング」
当然のごとく、会議は紛糾します。
この下りが一番面白い所です・・・。
でも会議の途中で、弁護団から
「ただいま東京地方裁判所に林原の会社更生法の申請を
行ったとのことです・・・。」
なんだこれ?
ドラマのようなお話ですね。
完全な出来レースではなかったのではないでしょうか・・・。
ADR成立に向け激しい議論が行われている中、
まるで一切無視するかのように次の手続きに・・・。
筆者はこの手続きを行った西村あさひ法律事務所を激しく非難しています。
さらに驚くことに、保全管財人として、ご紹介したADR制度を法制化した
西村あさひ法律事務所のトップの松嶋英機弁護士が就任。
ADRという制度で林原を救おうとした法律事務所が、
百八十度正反対の経営陣を糾弾する立場になったのです。
つまり、会社更生法の申請と同時に経営者はすべて退陣となり、
その旧経営陣の責任追及する立場に早変わりしたからです。
しかも
「裁判所に提出した更生法申請書に、事前に目を通す機会は与えられず、
手続きを委任するいとまもなかった。それに弁護団に実印を預けたままで
あった・・・」
もう「弁護士」って職業はなんなんだと思いますね・・・。
筆者の弁護士批判は続きます・・・。
「誰が依頼者だったのか・・・」
その8 日本有数の億万長者がすべて・・・
林原のオーナーの林原健氏は、日本有数の億万長者だった方です。
推定資産はなんと1000億以上。
その資産の大半がこの林原他関連会社の株式。
しかし、勉強になったのは、更生法申請と同時に
株主権はすべて失効してしまうのですね・・・。
同時にオーナー他一族の個人財産まですべて差し押さえ。
もう「奈落の底」です・・・。
差し押さえられた個人資産も、どんどん「叩き売られ」ます。
林原氏は美術館まで持つくらいの、美術品の収集家でした。
先代からの受け継いだ国宝級の美術品も、
そこには数多く所有されていました。
これだけでも数百億はあったのでしょう・・・。
美術品処分の委託先は、資産査定(デューディリ)をやったPWC。
監査法人は、そんなことまでやるのですね・・。
しかも不動産処分の委託先も、西村あさひ法律事務所の親密な不動産会社。
もう何をかいわんやです・・・。
(このあたりあまり書くと怒られるかな・・・)
結局オーナー一族らの資材提供によって、
100億以上の資産が無理やり換金され、
更生会社に拠出されることになります。
さらにもともと林原が所有していた中国銀行の株式も
自社株公開買付(TOB)によって、市場より安く換金されてしまいます。
その額234億円!
でも一番驚いたのは、この林原のスポンサーの落札額!
2011年4月に第一回のスポンサーの入札が行われたのですが
入札希望社数は80社以上。
結局3回の入札により、落札した企業は、専門商社の長瀬産業。
入札額はなんと700億円!!でした。
どうしてこれだけの高額の入札が行われたかというと、
債務額が1300億あるものの、先ほどの中国銀行などの株式など
300億、岡山駅前の土地が200億、その他土地建物が100億は
あったのですから、結局700億円で新たなオーナーが誕生したと
いうことなのですね。
1300億円あった銀行借入れの弁済率はなんと93%以上。
単純計算で1200億円の返済!!
こんな更生事案は過去も、今後も絶対ないでしょうね。
でもこの著者などオーナー一族の怒りは、どうにも収まらないのですね。
億万長者がすべての財産を没収・・・・。
「どこが債務超過なんだ!
なんで林原は破たんしなければならなかったのだ・・・」
「『銀行』と『乗っ取り屋』にやられたんだ・・・」
著者も間違いなくそう思っているみたいですが、
読んでいくうちに少し可愛そうになってきました・・・。
その9 なぜ破綻したのか
「林原は銀行と悪徳弁護士らに乗っ取られたのか?」
果たしてそうなのか、まだまだ独自研究は続きます。
面白い本を見つけました。
林原健社長が10年前に書かれた本です。
ちょうどその頃、日経の「私の履歴書」にも取り上げられたので、
それに加筆して出されたものでしょう。
林原健氏の半生そのものが書かれており、
その彼の人となりが実によく分かります。
結論から言うと、やはり経営者としての「器の問題」、
社長の責任はやはり大きかったのだと思います。
よく読むと、弟の林原靖氏の書いた「破綻」には、
この履歴書の内容を批判している箇所が多々あります・・・。
ところで林原健社長は、
「昼前に出社して、2時3時に退社する」
有名な社長さんだったらしいですね。
本人もそれを認めていますし、20年以上そのスタイルだったそうです。
「会社でも常務会にも顔を出さず、一般業務は弟の靖専務に任せ
口を出すことをほとんどない。」
19歳で社長に就任してその後20年くらいは苦労されたようなので、
それ以降、あまり経営者らしいことをやっていなかったようです。さらに、
「仕事は好きでない。経営が楽しいということもない。」
そんな社長だったのですね。
果たして、これで「経営者」と言えたのでしょうか?
でも靖専務に完全に任せたとは言えないのですね。
完全なミスジャッジが記載されていました。
「社内には借金を返し、金利負担を軽減、財務状況を改善した方がよいとの
意見もあった。しかし、それでは将来の利益は生まない・・・。
利益がでなくても、50年くらい研究を続けられる蓄積はある・・・」
10年前の発言なのですね。
靖専務は「破綻」でこれを厳しく糾弾しています。
専務の進言通り、借金を返済して財務体質の改善を
実行していれば・・・。
経営者としての「楽観」ですね。
先代から引き継いだ巨額資産がバブル崩壊後も
まだまだ膨れ上がっていつままだとずっと「勘違い」していたのです。
「楽観しすぎた」林原健社長は、毎日、2時3時に仕事を終え、
仕事を放り出してメセナ(慈善事業)に精を出し続けていたのです・・・。
その10 五嶋みどりのヴァイオリン
林原のメセナ活動で、有名なのは世界的ヴァイオリニストの
「五嶋みどり」さんへの資金提供。
これを説明しなくてはいけませんね。
まずヴァイオリンの「知ったかぶりの」うんちくから。
ヴァイオリンの二大楽器でよく知られるのが、ストラティヴァリとガルネリ。
ともに1700年代の特定の期間のみに作られ、
現存するヴァイオリンは、全世界に216本と145本しかありません。
当然世界で一番高価な楽器です。
値段などなってあってないようなもの。数億するものもザラです。
林原が、その五嶋みどりさんに、ストラティヴァリ「ジュピター」を
終身貸与したのが、みどりさんが20歳のときの1992年。
まさにバブルのピーク時。
報道では購入額5億円とも報じられていました。
実はこのジュピターのことが非常に気になって、五嶋みどりさんの
お母様の五嶋節さんが書かれた「母と神童」を読んでしまいました。
節さんはみどりさんと弟の龍さんの二人の世界的ヴァイオリニストを
女手一人で育て上げた有名人。
この本も、「子供に楽器をやらせたい方のバイブル」、名著です。
それには当時350万ドルもしたと書かれていました。
終身貸与した経緯も気になったのですが、実は節さんと
林原健社長の奥さんの由佳さんが、相愛女子大時代の
同級生だったのですね。
由佳さんはそのヴァイオリン科を中退し、
健社長と結婚する直前までヴァイオリニストを本格的に
目指したくらいの方だったのです。
ただ在学中は節さんとまったく面識なく、
五嶋みどりさんが有名になってから、
楽屋に押しかけてまでして、知り合ったそうです。
林原健社長は慶応の高校大学をずっと空手に打ちこんでいたほどですから、
音楽に関してはまったくの門外漢。
そのジュピターが売りに出されるのを奥さんが聞いて、その物を確かめず、
日本から林原の資金で送金したそうですね。
(実際は財団のカネとしてだった・・・)
ここまで読んで考えさせられました。
「これがメセナ活動か・・・・?」
単に奥さんの趣味のためにカネを出しただけではないのか・・・。
音楽好きの方には怒られてしまいますが、
奥さんの趣味というか、「道楽」で会社の資金を提供していたのです。
相撲でいう「タニマチ」と同じですね。
ついでにいうと、節さんのお父様が空手師範。
その後は家族ぐるみのお付き合いになったそうです。
(みどりさんの弟の龍さんも、世界的なヴァイオリニストで
ありながら空手の全米ジュニアチャンピオン)
一方で「終身貸与」というのも気になりました。
税法でいうところの「ある時払いの催促なし」。
これはまさに「贈与」なのです。
よく国税局は黙っていなかったですね。
ただこの時に贈与しておけば良かったのですね。
(海外だから贈与税はあげた人にかかる・・これは難しいのでまた・・)
その後、このヴァイオリンは林原破たん後に、
どうなったか非常に気になりました。
「ヴァイオリンを売ってでも借金返済すべし」という声もあったようですが、
新スポンサーの長瀬産業に財団ごと引き継がれたようです。
でも結局・・・。
五嶋節さんのブログで分かりました。
長瀬産業は売却してしまったのですね。こちら
「メセナ活動」の哀れな結末です・・・・。
その11 経営とは
五嶋みどりさんだけにとどまらず、林原は「メセナ活動」を
積極的にやってきました。
林原靖専務は「メセナ活動は赤字を垂れ流すにすぎなかった・・・」
とこの本で書いています。
やはりそうなのですね。本業が順調であってこそのメセナなはずです。
林原のおかしくなりだしたのは1998年頃。
インターフェロンの販売の不振からでした。
でもここで、兄弟間の経営方針の食い違いがあったようですね。
一方で林原の不振に気が付いた住友信託はメインバンクの座から
さっさと下りてしまいます。
放り出された中国銀行(中銀)は何もできず・・・。
本当に中銀に「半沢直樹」がいてくれてたら・・・。
きっと、林原の持つ中銀の株式を外資銀行に売り飛ばして
林原を救い、しかも新銀行の頭取に収まっていたかもしれませんね・・・!?
しかし、それは小説のレベルの空想のお話かもしれませんね。
真面目に考えるとこの事案は、
「経営って何だろう?」
「会社は誰のものか?」
そんなことを思いませんか。
何度も書きますが、林原は非公開会社です。
上場企業でもないし、会社とオーナーに資産が数千億もあるのなら、
本当に「何してもいい」ですよね。
奥さんが「道楽」で5億もするヴァイオリン買ったって
構わないですよね。(税務署のお話は除いて・・・)
きっとオーナーも
「会社の資産と個人資産がこれだけあるのだから、
借金が1000億あろうと、赤字が何年続いても大丈夫だ。」
そう間違いなく思っていたはずなのですよね。
でもこれでは「経営者」ではないのですね。
何が言いたいか分かりますか?
熱心なブログファンの方ならここでピンと気が付くはずです。
「稲盛和夫さんだったらどうしただろう?」
これなのですね。
JALのお話を直前にアップしましたが、両社とも2011年2月の更生法申請。
JALは再生できたのに、林原は悲惨な結果に・・・。
この差は何だろうと?
やはり「経営者の差」なのですね・・・。
その12 アメーバ経営をしていたら
半沢直樹から始まって、銀行の無責任問題や、悪徳弁護士問題・・・
いろいろ「固有名詞をあげ」熱く語ってきましたが、
そろそろ文句を言われる前に?終わりましょうか。
でも、なぜこれだけ熱く語ってきたのでしょうか。
「岡山という地方の特殊な会社の問題さ・・・」
「あれだけ資産ある会社なんてそうそうないから関係ないさ・・・」
そう思われるのは至極当然でしょうけど、
この事案は、中小企業経営者には「他山の石」とすべき事案
だと思うからですね。
特に2代目、3代目で、先代の築き上げてきた財産を
引き継いだような経営者には、非常に参考になるはずです。
そういう会社の従業員は、会社が赤字でも
「オーナーに資産があるから何とかしてくれるだろう」
そう思いがちです。
これは現場を見ている税理士として本当に思います。それこそ
「会社が赤字でも社長は多額の給料を取っている・・・」
そう思ったとたんに、従業員は真面目に働かなくなるのです。
もし、稲盛氏のアメーバ経営を取り入れたら、林原はもっと収益性の
高い企業になっていたのでしょうね。
靖専務も指摘していますが、
「結局工場の稼働率は2割以上あがったことはなかった・・・」
こんな不採算のお話はアメーバ経営なら、すぐ分かったはずなのです。
銀行の言うことを聞き多額の借金をして、インターフェロンの製造工場を
作った・・・でもそれでもまったく儲からなかった・・・。
「なぜ儲からないのか。どうすれば良くなるのか。」
社員全員で必死になって考えるのがアメーバ経営だったはずですね。
しかも社員全員が燃えるような心を持つ「自然性」
そのためには、
「林原は何のために存在するのか。」
利他の心で必死に皆で考えるのが稲盛経営術の神髄でした。
社長だけが「自己満足の」メセナ活動に専念して
たった一人が名声を受けているだけではダメなのですね。
社長の「思い」をいかに社員に伝えるのかが大事なのでしたね。
でも社長が毎日昼前に来て2時にさっさと帰ってしまう会社では、
何も社長の思いが伝わらなかったのでしょう・・・。
林原という素晴らしい企業がなぜ消え去ってしまったか
お分りになりましたでしょうか。
五嶋みどりさんのこれからのご活躍を心から祈念して
終わります・・・。
(半沢直樹がいてくれたら シリーズ おしまい)