その1 企業魂で取り上げられました!!
ついにテレビに出演しました。
今まで黙っていてすいません。
一応メルマガなどで顧問先や知人には告知していたのですが、
このブログではアップしていませんでした。
番組名は「企業魂」という番組です。
ご存じでしょうか。
地上波の番組ですが、東京MXテレビという
東京ローカル番組。
だから新聞のテレビ欄にはないのですね。
でも13年も続いている老舗番組なのです。
公式HPから
「日本を変える、世界を動かす・・・
そんな、熱い想いの企業が集結!
今まで、カメラが撮影しなかった企業の
その“魂”に迫る・・・。
企業の“魂”を紹介・魅せるビジネス番組!」
どうでしょうか。
「日本を変える、世界を動かす」企業がでてくるのですね。
その中で当吉田信康税理士事務所が取り上げられたのです。
まず、放送直前の番組内容
「吉田信康税理士事務所/株式会社正直不動産」
自身の経験から、会社設立時の悩みを助けたいという思いで
新たな会社まで立ち上げた一人の税理士に迫る。
ではこのブログ上で紹介していきましょう。
現在、テレワークが常態化しつつある。
それにより、社外の人との接触機会が減った人も多いだろう。
一緒にやりたい仲間やアイディアが欲しい場合も、
コロナ禍で、なかなか外部の刺激が受けにくい状況もあった。
例えば、部屋で一人でテレワークをしていると
コミュニケーション面でもデメリットが大きい。*
そのような中、ある税理士が思いついたアイディアが、
今、形になった。
何か自分で事業を起こしたい!
将来、起業することにあこがれを感じるが、
どうしたら良いのだろう?
何かもっと自分のアイディアに対して外部の刺激が欲しい!
会社を設立の時に、法人登記などができるアパートはないか?
でも、会社を設立すると経理や申告など
色々やらなくてはいけないこともあるらしい。
このように、いざ会社を作ろうと思った時に、
簡単ではないと感じることも多いかと思います。
企業魂 今回は、自身の経験から、会社設立時の悩みを
助けたいという思いで新たな会社まで立ち上げた
一人の税理士に迫ります。
その2 31歳で脱サラしたお話
では内容をブログで解説していきましょう。
たった5分の放送なのですが、何と1日かけて
撮影したのですね。
しかもその前に綿密な打ち合わせ。
結構面白かったですが、吉田信康税理士事務所の
今までのお話を詳細に話したものを、また原稿にしてもらい
さらにそれを何度もすり合わせ・・・。
本当はもっと言いたいことは、もっとたくさんあったのですが、
時間の関係でほとんどカットなのですね。
でもさすがはプロですね。
そのあたりつなぎ合わせて、きちんとストーリーに
するのですね・・・。
「31歳で野村證券を脱サラ」することから
スタートしました。
ここですぐ問題発生。
「野村證券」の名前を出すかどうかで議論しました。
「N証券」では伝わらないかなと思い、あえて出したのですね。
まあこんなことでクレームを言ってくるような
「小さな会社」ではないでしょう・・・。
私が31歳のときは1991年。
まさにバブル真っ最中。
土地も株も皆値上がりして税金が急に
脚光を浴びだしていた頃ですね。
相続税が払いきれないという悲劇
「相続破産」
という言葉もあったほど・・・。
「証券会社でも税金のビジネスはこれから絶対必要だ」
と思って当時の「大原簿記学校」に土曜日に
こっそり通いだしていました。
以前ブログでも書きましたが、
「証券会社でもインハウスの税理士は絶対必要」
本当にそう思っていたのです。
「私がなりたい!私がなります!!」
そう言っていたのですが、
思うようにいかないのがサラリーマンであり人生です。
会社はいうこと聞いてくれなくて
野村證券を辞めたのですね。
まあ、最近これも「ネタ」でよく言いますが
今よくテレビCM流れていますね。
「相続は野村へ」
あれから30年経ってから、
やっと野村證券も税金の重要性を
気が付いたのでしょう。
「私があのまま野村證券で税理士になっていたら、
野村證券はあと3000億円は儲かっていたでしょうね・・・」
さすがにこれはテレビではカットです・・・(当たり前)
1年間無職になって学校に通いました。
今アップした通り、大原簿記学校税理士課。
3科目も受講して、学割の通学定期で通いました。
テレビではカットになった野村証券時代の写真。
体重は90キロ! バブル絶頂でパンパンですね・・・。
これ相続税法を勉強して最終授業の時の写真。
後に花束持っている方が相続税法の渡辺先生。
さすがに顔は出せないようです。
でもこの写真よく見るとかなり痩せていますね。
体重69キロです。
体重が一年で21キロの減量。
よく知人に会うと
「痩せたね」どころか「やつれたね」
と言われました。
本当に1年間飲まず食わずで勉強しましたからね。
バブルで膨らんだ体重が一気にはじけた感じ。
この写真見ると今でも
「もっと頑張ろう」
と本当に思うのですね。
ただやつれるほど勉強した相続税法ですが
この年初受験でしたが撃沈。
あの時の知識だけでその後30年間食えているのです。
これは本当のお話。
しかし、その後経理未経験のまま会計事務所に飛び込みました。
その3 カットされたお話
面白いので
カットされたネタをアップしましょう。
当時職安に通って必死になって転職先を
探しました。
「32歳・経理経験なし・二人の子持ち・科目合格ナシ」
どこの会計事務所でも嫌われましたね。
挙句の果てに「もと野村證券?」
「ウチではそんなには給料出せませんよ・・・」
前ブログでも書きましたが、会計事務所の面接経験は
50社以上・・・。
これだけは自慢(!?)です。
1年勉強して法人税法がやっと受かって、
とにかく資格があるということだけで
会計事務所にもぐりこむことができましたね。
これも没ネタ。
当時の職安の条件提示資料。
大事に取ってありました。
基本給85,000円〜150,000円
これ見ただけ驚きませんか?
「最低賃金以下」ですね・・・。
就活「撃墜王」?としては
「もうどこでもいい」と思って応募しました。
合計185,000円〜250,000円を見て
内心は
「経理未経験だけど、二人の子供いるから
まあ24、25万円くらいはもらえるかな」
本当に思ったのですね。
でも面接の最後に
「では19万円で・・・」
参りましたね。
計算すると手取り14万円ですね。
「これが業界の実態か・・・」
入ってみて分りました。
これもカットされたネタですが、
当時中野駅前の15万円の高級アパートに
住んでいたのですね。
もちろん家賃補助付きの社宅扱い。
手取り14万円になったらとても払えません。
もっと安いところに住みかえれば
良かったのですが、無理して住んでいました。
これもブログで書きましたけど、
そもそも脱サラした途端に
「無職の方は出て行ってください」とまで
言われた高級アパート。
でもそこには私を応援している方が隣に
住んでいたのです。
そのためにも引越しだけはしたくなかったのです。
どこかでまたこのお話は書きますが、
その方は脱サラ後ずっと支援していただき、
開業後は仕事まであっせんしていただいた・・・。
でも高級アパートに住んでいたからこそ
そういうご縁があったのです。
月5、6万円でももっと安いアパートに移っていたら
そんなチャンスもなかったのでしょう。
チャンスは待っていても来ないのです。
自らそれを掴み取る努力・・・
「起業家を支援するアパートを建てたい」という
私の真意が分かっていただけましたでしょうか・・・。
その4 今まで公開したことない失敗談
「税理士になって、仕事は順調だったかと思いきや
そうでなかったという」
ここたった30秒の動画なのですが
結構ここもいろいろ議論したのですね。
詳しくは、私のブログの
「独立開業日記」
を読んでいただきたいところですが、 こちら
まったく書いていないとことが実はあったのですね。
「新しい税理士像を求めようと
あるプロジェクトを進めていたのですが・・・」
そうなのですね。
このネタは今まで一度も触れてこなかったのです。
いつか詳しくまとめたいと思っているところですね。
ここは思い切って詳しく書いてみましょうか。
当時、せっかく5年もかけて税理士になったのですから
「普通の税理士」
ではつまらないと考えたのですね。
当時まだ私も30代。
夢と希望と勇気もあったのです。
これこそ起業開業の醍醐味ですね。
ある上場企業とゴルフ場開発をやったのですね。
どこの企業と書きませんが、調べればすぐ分かるお話でしょう。
私が開業したのが1998年(平成10年)ですね。
バブル崩壊後、日本全国のゴルフ場は
預託金返還問題で大騒ぎになっていました。
バブル時代は「預託金制」の会員権が
飛ぶように売れていたのですからね。
本当に1000万円で募集した会員権が
2000万円、3000万円と跳ね上がっていたので
資金の余裕のある個人や企業が投機目的で
こぞってゴルフ会員権を購入していたのです。
預託金制の会員権は通常満期が10年。
仮にバブル時代に3000万円で1000人も
募集したとすると10年後には300億円もの巨額な資金が
必要になるのです。
そんなゴルフ場はないから次々に破綻していました。
それが社会問題ともなっていたのです。
そこで私があるゴルフ場に対して
こう提案しました。
「株主会員制のゴルフ場にして募集しましょう」
まさに「ゴルフ場の証券化」なのですね。
「預託金制」より「株主会員制」の方が優れているから
です。
コストはかかりますが、公認会計士の監査を受けて、
関東財務局に届出までして募集(増資)
したのですね。
まあ、こんなこと思いつく税理士は
私くらいだったでしょう。
でも今でいう「イノベーション」であったのではないかと
思うのです。
実際に多額の資金調達はできたのです。
でも残念ながら破綻・・・。
ただ「なぜ破綻したのか・・・」
ここで詳しくは書きませんが、あの時
「もっと仲間がいれば」
本当に思ったのです。
起業開業は孤独です。
一人ではできないのです。
励まし合う仲間がいて、
自分の出来ないところを補完し合う仲間がいれば・・・。
その5 家族信託のお話
「順調に歩み続けて25年以上経ったある時、
95歳になる自身の母親から家族信託を受けた。」
ここで家族信託のお話です。
「高齢者の財産管理だけでなく相続対策としても
今、注目されている制度である家族信託。」
本当はここで家族信託の説明がもっとあればよかったのでけど
これも構成の段階で議論したのですね。
家族信託のお話にもっとスポットあてたかったのですけど
5分ではとても説明しきれないですからね。
さらっと映像ですね。
これは本当に私の実家です。
表札に「吉田」がありますからね。
庭に柿の木があります。
私が生まれる前からありますから、
樹齢60年以上。
本当に甘い柿の実が300個くらいなりました。
子供の頃学校から帰ってくると、この木によじ登って
柿を採ってはむいて食べていました。
思い出の木ですね。
今回の建替えでこの木だけは残したかったのです。
だから、アパート名は
「メゾンKAKINOKI」
いい名前でしょう。
木造家屋も当然築60年以上。
まさに古家です。「ボロ屋」ともいえますね。
建て替え時の写真。
よくありますね。
「実家どうする問題」
これを95歳の実母になり替わり、
アパートに建て替えするというプロジェクト。
しかし95歳の実母は施設に入居中ですので
建て替えの打ち合わせなどそもそもできませんね。
だからこそ「家族信託」というスキームを
使ったのですね。
法律的には、「委託者」が母親。「受託者」が私。
建てても、所有者は母親ですし、アパートの収入は
母親のもの。(つまり受益者が母親)
でもこの場所は写真でお分かりのとおり、
住宅地のど真ん中です。
最寄り駅は池袋駅。
徒歩15分くらい。
周りはワンルームのアパートが
密集している場所です。
しかも決定的な問題を抱えているのですね。
「借地」
なのですね。
本当に悩みました。
ですから普通のアパートではダメだと思ったのです・・・。
その6 ワンルーム建設が規制される池袋
「借地」というのは、自分の土地ではないのですね。
ということは本来の所有者=地主へ「借地料」を
払わなければならないのです。
これが問題なのですね。
永年自宅として済みながら、2階を貸してきたのは
そういう理由ですね。
収益性がないと借地料が払えないのですね。
だからアパートを建築しようと考えたのですが
でも普通のアパートでもダメですね。
書いた通り、池袋の周りはワンルームアパートの
密集地ですからね。
ここで豊島区の特異的な情報。
豊島区の世帯構成は、全世帯のうち単身世帯が
56%という非常に偏った街なのですね。
理由はワンルームマンションが乱立したから
なのですね。
そこで豊島区はなんと独自に条例を制定して
「狭小住戸集合住宅課税」
いわゆる「ワンルームマンション税」として
課税するようになったのです。 こちら
なんと1戸あたり50万円も課税されます。
ですので、10室あるアパートを建設するだけで
500万円も課税!!
これはすごいですね。
ただ大事な点は8室までが免税点。
結果的に8室に満たない小さなアパートが
乱立しています。
ですからなかなか競争が厳しいのです。
そこで
「コ・ワーキングルーム付」
アパートを作ろうと思ったのです。
コロナ禍がようやく落ち着き出しましたが
「テレワーク」という新しい働き方をもたらしましたね。
しかし、テレワークをするには、狭いアパートでは
たいへんです。
もう一部屋欲しいところでしょうけど、
そうなるとワンルームではなくなりますね。
2Kや2LDKにしたら
当然家賃も高くなります。
これなら新しい働き方が
できると思いませんか・・・。
その7 コワーキングルーム
テレビの映像ですね。
さすがプロです。
綺麗に撮影しますね。
真ん中にKOKUYOで購入した
ワーキングテーブル。
それを3つ重ねた感じでセットしました。
こういうテーブルで仲間と一緒に仕事出来たら
楽しいかなと思いますね。
起業開業は孤独なものです。
一緒に励まし合う仲間がいれば心強いでしょう。
椅子もそれなりのものを用意しました。
明るいテラスが見えますね。
それとこの写真分かりますか?
ミーティング・テーブルですね。
これはまさに私の実体験ですね。
25年前に独立開業した時は
自宅でした。
「テレワーク」という言葉がなかった25年前は
自宅で開業するのは大変でしたね。
何より「来客」が困るのです。
新しい仕事を初めて、仕事をもらった時、
必ず相手先は仕事場を訪問して来るのです。
どうしてか分かりますよね。
「本当にきちんと仕事しているのか。
どういうオフィスなのか。」
それを確かめるのですね。
自宅マンションで開業した時に
必ず新規先は訪ねてきました。
「私から行きますから・・・」
といっても
「わざわざ来てもらうには申し訳ない」
といって必ず訪ねてくるのです。
「こういう打ち合わせスペースがあればいい」
本当に思ったのですね。
「打ち合わせスペースのあるコ・ワーキングルーム」
どうでしょうか。
あともう一つ自慢の場所。
デッキです。
疲れたらここで柿の木を見ながら休めますね。
来客された方々とここで打ち合わせも
できますね。
夏ならここで軽くビールでも・・・。
こんな場所があったら
楽しいと思いませんか・・・。
その8 メゾンKAKINOKI
これがメゾンKAKINOKIの外観ですね。
名前の通り、本当に柿の木があります。
さすがプロのカメラマンですね。
綺麗に撮っていただきました。
このウッドデッキ でこのKAKINOKIに対する熱い思いを語りました。
大事なのは2年契約とすること。
通常の賃貸借契約は2年ですから
ある意味当たり前のことでしょう。
だけどここはあえて期間を区切ります。
「2年間で何としてでも軌道に乗せて欲しい」
起業は最初が肝心ですからね。
ただここで、メゾンKAKINOKIというくらいですから
先に「突っ込まれそうな」(ボケられそうな??)
ことを書きます。
「ことわざで『桃栗三年柿八年』というのがあるくらいですから、
起業開業は、一朝一夕にはできないのではないでしょうか。」
そう言われるかもしれませんね。
「8年どころか3年でも長すぎるくらいでしょう」
今話題の「ChatGTP」だって
つい数年前にできたばかりですからね。
ここ数年で世の中を変えてしまう勢いですね。
AIの開発スピードを考えたら
「超高速の」日進月歩の世の中ですから。
とにかく「柿の木8年」なんて長すぎるのです。
ハッキリ書きます。
「桃栗三年柿八年」
何てもう今や大昔の迷信です。
あえて言うなら
「起業開業 1年 柿の木(KAKINOKI) 2年」!
でも大事なことをここで発表しました。
その2年間、なんと!私が「無料で」つきます!
「税理士顧問付アパート」!!
「史上初です!」
と思わず言いそうになりましたが、
放送局から、「史上初」という言葉自体がNGワードだと
言われました・・・。
ただ大事な注意点。
もちろん、起業開業の方に限りますね。
このネタを自分の顧問先に「得意げに」発表したら、
早速こう言われました。
「先生!そのアパートに住むから顧問料タダにして・・・」
残念! それはNGです・・・。
(当然既存の税理士と契約ある方も・・)
その9 社会貢献
「税理士顧問付アパート」
なんて思わず言ってしまいね。
ここだけデフォルメされても困るのですね。
上に小さな文字でテロップが入っているのが
分かりましたか?
大事なところですね。
「メゾンKAKINOKIは、
親族の不動産を家族信託で受託し、
社会貢献のために部屋の貸し出し +
税理士のサポート等もつく
物件です」
一言で物件を紹介するとこういうことなのですね。
実母の物件を家族信託で受託したのも事実です。
それを「社会貢献のために」部屋を貸し出すのです。
税理士のサポートが付くのも一つの
「社会貢献」ではないでしょうか。
自分の夢の実現のためにやろうとしているのです。
次のカットも大事ですね。
「おこがましいけれど
日本からGAFAMのような企業が
生まれてほしい」
本音ですね。
私のブログでしつこいくらい言っているフレーズ。
1998年の私の開業年はGoogleの開業年。
私と一緒です。
25年間でこれだけ差がついてしまったのです。
Googleもガレージの一室から誕生しました。
私も自宅マンションの一室からスタートしました。
まったくスタートは一緒なのです。
でもきっと
「税理士が上場企業を育てるなんて・・・」
「税理士が日本のGAFAMを・・・」
笑われるかもしれませね。
楽天の三木谷さんが同時期の1997年に
ネット通販会社を作ったときに笑われましたね。
「日本で成功するはずない・・・」
でも発想自体を変えないとやはり
イノベーションは起きないと本気で思うのです。
でも三木谷さんを笑う人は日本では今や誰もいません。
「日本からGAFAMのような企業が生まれて欲しいと作った
税理士顧問付アパート」
今は皆笑うのでしょう。
でも25年後にきっと・・・。
その10 正直不動産も設立
つい「舞い上がって」10回まで来てしまいましたね。
素人がテレビ出たくらいで大騒ぎしてスイマセン。
最後にこれだけ申し上げて終わりましょう。
あのアパートをサブリースする会社として
「株式会社正直不動産」
を本当に設立したのですね。
この名前はどこから来たのか
もうお分かりですね。
(本日発売!シリーズ17巻)
コレですね。
アニメ正直不動産の完全パクリです。
「ウソのつけない税理士が
ウソのつけない不動産屋」を
本当に始めたのです。
「サブリース」ということは「転貸」ということを
意味します。
ご説明した通り、所有者は母親です。
登記簿謄本取ると分かるのですが、
家族信託の関係で
「委託者吉田×× 受託者吉田信康」
(注 ××は当然母親の名前)
となっています。
実際に賃貸して出した時に
毎月
「『委託者吉田×× 受託者吉田信康』の口座に
振り込んでください。」
となるとややこしいですね。
ですから、いったん株式会社正直不動産に転貸して
居住者に貸し出そうとしたのです。
これなら、
「家賃は株式会社正直不動産の口座に振り込んでください。」
こうなりますからね。
あと名前の通り、またアニメのように正直に
賃貸をしようかと思っております。
アニメの正直不動産ではミネルバ不動産という
「悪徳不動産会社」が登場してきて、
「3割くらい抜いて」転貸していましたね。
あんな「アコギな」ことはまったく考えておりません。
ましてやオーナーが実母ですからね。
「一銭も儲けないで」転貸します。
だからこそ「正直不動産」ですからね。
コワーキングルームの水道光熱費も入居者に開示して、
その使った分だけ請求しようかとさえ考えております。
あと、不動産屋と取引すると、仲介料や礼金、保証料などいろいろ
経費かかりますね。
本音言えばそんなもの取らない「正直な」不動産屋に
できないか真面目に考えております。
以前アップしましたが、
私自身宅建士の登録も完了しておりますので こちら
自分でやれば、それを入居者に負担してもらわなくても
すみますからね。
いろいろ考えていることは、まだまだありますけど
このあたりにしておきます。
いずれ「特設サイト」でも作って
また「得意げに」アップしていきます・・・。
(テレビ出ました!シリーズ おしまい)
「youtube」 は こちら