その1 富山県高岡市にある鋳物メーカー能作
なかなか今回ご紹介する会社は面白いですね。
こんなユニークな経営をぜひ知っていただきたいと思い
ご紹介します。
今回の主役は「株式会社能作」。
富山県高岡市にある、1916年(大正5年)創業の
老舗鋳物メーカーです。
社長は能作克治氏。
1958年生まれということですから私より二つ上。
1984年(昭和59年)27歳のときに、義父が代表を
務める鋳物メーカーに入り婿で入社。
大阪芸大卒でデザインやカメラを学び、卒業後は
新聞社のカメラマンだったそうですから
鋳物とはまったく無縁の方。
どういう経緯で入り婿されたのか分かりませんが、
将来の社長は約束されているのでしょうけど、
従業員7,8人のいわゆる小さな町工場ですからね。
その後鋳物職人として18年間も修行。
鋳物業というのを初めて知りました。
申し訳ないですが「3K」の職種なんですね。
しかも賃金も安い。当時月収は13万円。手取りは9万円・・・。
しかしこの方が社長に就いたのが、2002年(平成14年)。
売上が急速に上がります。
売上はなんと10倍に。
社員は15倍!
売上が13億円になったときに、
なんと!16億円もかけて新社屋を完成させます!!
これです。
バブルの頃の超高級ゴルフ場のクラブハウスみたいでしょ。
そのおかげで見学者はなんと300倍!!
その秘密をご紹介してみましょう。
その2 400年続く伝統産業でありながら・・・
能作社長が入社した1984年(昭和59年)当時の会社は、
仏具、茶道具、花器を作る下請け業者でした。
もともと富山県高岡市は、400年も続く鋳物産業の集積地なのです。
「高岡銅器」といって日本の銅器生産の「9割以上」のシェアを
誇るそうです。
しかし、高岡の鋳物産業は年々衰退していたらしく、需要が減れば
当然問屋からの注文が減りと、これは申し訳ないですが
いわゆる「斜陽産業」だったのでしょう。
その高岡で小さな町工場に入社した能作氏はもがきます。
27歳でカメラマンという職業を捨て、肩書だけは「専務」として入社。
入社翌年に社長に提案した、経営改善計画である「ノーサクプラン」
というのが出ていました。
いろいろ前向きな提案です。
ただ、富山県の方言で「旅の人」という言葉が冒頭から何度も出ています。
「旅の人」というのは「県外出身者で富山県に移住してきた人」なのですね。
これも申し訳ないですが、かなりの「差別用語」でしょう。
よく「よそ者」と言い方をすることがありますが、
伝統産業を守る典型的な閉鎖的社会だったのでしょう。
「鋳物のいの字も分からんものが偉そうにいうな!」
きっと義理のお父さんには怒られたのでしょうね。
「新しいこと」をやろうとすると絶対叩かれるような伝統産業ですから・・・。
大阪芸大を出たインテリが、400年続く「職人文化」に
口が出せないような雰囲気があったのではと想像します。
伝統産業でありながら「斜陽産業」になっている業種・・・
日本全国どこでもあるような気がします。
特に伝統産業という枠を取り払えば、「下請けで苦しむ中小企業」は
日本全国どこでもありますからね。
問屋の下請けの立場で、例えば「直販取引」などということは
どこの業界でもタブーとされるものです。
400年も続く商慣習を変えるということは、「既得権益を守ろうとする」旧態勢力
が必ずいますからね。
参考になるかどうかわかりませんが、私も20年前にこの税理士という
「伝統産業」でもある業界に飛び込んで、「既得権益」を守ろうとする
旧態勢力から圧力を受けたこともありますから・・・
(本題からそれますのでこれ以上しません)
その逆境の中で、この2代目は会社を変革させていきます。
10年間で、
「能作は、高岡で1,2を争う鋳物屋」
「能作につくれないものはない」
「能作に頼むと安心できる」
とまで評価を高めていったのです。
ただ伝統産業の中で「旅の人」の立場でいろいろご苦労されたのではないかと
想像しています・・・。
その3 下請け工場が風鈴を直販
能作社長が就任する前の能作は、着色前の製品(生地)をつくる
下請け業者でした。
その能作が作った生地を問屋が引き取って、着色、研磨、彫金などの
手が加わり、仏具や茶器として出来上がった完成品を県外に持ち込むのが
「問屋」なのですね。
その伝統工芸が400年も続いていたのが「高岡銅器」なのです。
問屋の言うことを聞いていれば、普通には食べていけた訳です。
こういう業種は日本全国に多いでしょうね。
ただ、能作氏がするどいところは、伝統工芸の悪いところが
「ライフスタイルを無視した和へのこだわり」
と感じていたことなのです。
能作に転機が訪れたのが1999年(平成11年)。
高岡市のデザイナーの開いた勉強会でした。
そこで、イタリアのアレッシィというキッチンメーカーを紹介されました。
「技術的には負けていない・・・」
そう感じたそうです。
それに刺激を受けて開いたのが2001年(平成13年)の展示会です。
東京原宿で真鍮に旋盤、ろくろをかけたままの「花器や建水」の展示会です。
その展示会で作ったのが「真鍮のハンドベル」。
これです。
能作の「自社製品第一号」ですね。
これを作って、自社で売るということは、
「高岡銅器400年」の「禁断のおきて破り」。
下請け工場が直販するということは、
絶対にやってはいけないことだったのでしょう。
しかし、この本の読む価値はココにあります。
現状維持が得策ではなく、新しいことへのチャレンジなのですね。
冒頭書いた能作氏が「旅人」つまり、「よそ者」ということが
良かったのでしょうか。
翌2002年(平成14年)に社長に就任します。
社長という立場でどんどんチャレンジしていきますが、
ただ同業者からの軋轢は大変なものだたっと想像できます・・・。
しかし、満を持して発売したハンドベルは、
3か月でわずか30個しか売れず大失敗。
これはこれでよかったのではないかと思いますね。
失敗の理由は「日本のライフスタイルに合っていない」から。
しかも、マーケットの声が聴けたわけです。
ショップ店員から
「音色がとてもいいから風鈴にしたらどうか。」
その一言で風鈴にアレンジ。
そうするとたった3か月で
1個4000円もする風鈴が3000個も売れたのです・・・。
その4 弱みを強みに変える逆転の発想
この風鈴見て驚きませんか。
実にきれいですね。
透き通るような「ヘアライン加工」という技法を用いているのですね。
どういうことかというと、金属の表面に髪の毛ほどの細かい傷を
つけて質感を強調しているのです。
自社製品開発にあたってアドバイスをいただいたデザイナーが
「商品開発にあたってはデザインの視点を持つこと」
と強調されていたからなのですね。
これなのですね。最近よく取り上げていますが、
まさに「デザイン経営」なのです。
経営者はこれからは「デザイン」の感覚が求められているのです。
能作は風鈴で大ヒットしたものそれだけで終わらなかったのです。
しかし、このあたりでしょうね。
「生みの苦しみ」をしたはずなのですが、さらっとしか書いてありません・・・。
実はここから食器生産にシフトするのです。
しかし、最初真鍮で食器を作ろうとしましたが、
これは食品衛生法上、食器としては使えないということが分かったのです。。
それで次に取り組んだのが「錫」でした。
でも「錫」はやわらないという欠点があったのです。
それで他の金属を混ぜて硬い合金にして使うのだそうです。
しかし、そういうメーカーは既に存在していたのです。
そこで能作社長はどうしたか?
「錫100%」の食器の開発に取り組んだのです。
ココですね。
「他の産地の邪魔をすることなく、能作の強みを具現化」
しようとしたのです。
ここに能作社長の素晴らしい「ベンチャー・スピリッツ」を
感じますね。
ただ「錫100%」の開発は苦労します。
やわらかさを補うために肉厚にしたそうですが、
これだと重くなってしまいます。
それと錫は金銀についで高価なので、体調に使うと高価になってしまうのですね。
そこで、デザイナーからのアドバイス。
「曲がるならまげて使えばいいのでは?」
弱みを強みに変える逆転の発想。
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」
ではないですが
「曲がるなら 曲げて使おう すず食器」!?
そのヒントを得て、錫を「あえて曲げて」食器を作成。
これは仙台出身の女性デザイナーが七夕飾りをヒントに発案したそうです。
これ解説すると、右側は通常のカタチです。
これを左側のように手で曲げて使うのですね。
この発想が斬新だったわけです。
この「曲がるKAGO」が大ヒット!
これも「デザイン経営」!
その5 伝統工法から量産体制の出来る工法へ
ここで錫の勉強をしておきましょう。
私も半世紀も「無駄に」生きていながら錫の製品を使ったことが
ありませんから・・・。(すいません。)
錫の特徴は
- 酸化しにくい(さびにくい)
- 色の変化がなく、美しい光沢を保つ
- 抗菌作用が強い
- 金属臭がない
- 熱伝導率が良い(冷蔵庫で数分冷やすだけで十分な冷たさになる)
- 水やお酒の味がまろやかになる(苦みや酸味がやわらぐ)
まったく知りませんでしたね。
特に、5.熱伝導率がよい と6.水やお酒の味がまろやかになる
というのは、「左党」の私にとっては驚きですね。
現在の能作のヒット商品。
タンブラーです。(税込で6,050円)
これで飲んだら、お酒が美味しく飲めるでしょうね。
夏なら焼酎にロックでもイケそうですね。
冷酒を飲むならコレ。(金箔大 税込11,330円) 正直欲しくなりました・・・。
能作ならではの独自商品を次々に開拓していきます。
しかし、能作には商品開発力だけでなく、技術力もあったのですね。
錫の伝統技術「生型鋳造法」(なまがたちゅうぞうほう)を
新商品に応用していきます。
ご紹介した「風鈴」の作り方が、自社のHPに出ていました。
面白いですね。
この技法にさらに、シリコーンゴム型に金属を流し込んでいく
「シリコーン鋳造法」を開発します。
シリコーンゴム型なら繰り返して使えるから
量産体制ができるのです。
能作社長さすがです・・・・。
その6 斬新な発想で次々にヒット商品
「曲がるKAGO」シリーズが能作のターニングポイントとなりました。
自社製品を次々に開発していくのですね。
錫の特性を生かして医療分野への進出。。
指の第一関節が変形して曲がってしまう病気を
へバーデン結節というのですが、その患者さん用の
固定リング「へバーデンリング」です。
指の太さや変形に合わせて調整が可能なので、
まさに曲がることの特性を生かしているのです。
錫は、虫歯の病原菌の一つである「ミュータンス菌」に
抗菌効果があるのです。
その特性を生かした「抗菌入れ歯ケース」です。
医療分野以外でも、多くのアニメやゲームのキャラクター商品を
実現させていきます。
実に面白い発想ですね。
こんなメーカーいませんよ・・・・。
ガンダムぐいのみ。
ガンダムファンがこれで酒飲んだら美味しいでしょうね。
もうここまできたら何でもありですね。
ドラエモンに、
キティに
くまもんまで・・・。
キャラクター商品以外でも
昨年大ヒットした「令和ぐいのみ」
「富士山ぐいのみ」というのもヒットしたそうです。
何に使うか分かりますか?
お祝い品として重宝がられたそうです。
日本には「富士」の名前の社名が多いそうですから。
こんな斬新な発想でつぎつぎに商品開発をしていったのです・・・。
その7 錫婚式の提案
すいません。
コロナ騒ぎで脱線して、大事なお話が途切れていましたね。
しかし、これだけの日本経済の根幹を揺るがす大問題で、
大企業はもとより、中小零細企業は、しばらく影響を受けることに
なるのでしょう。
中小企業零細業者にとっては、未曾有の経営難に陥るのかもしれません。
海外からの観光客が激減し、能作のような伝統地場産業にも
さらなる逆風が吹き荒れるののでしょう。
何か手立てを講じないと生き残れない場面が
きっと出てくるのかもしれません。
そういう意味では、この能作の奇跡的な復活劇は参考になるし、
ぜひ真似していただきたいのです。
能作社長が、
「一番悪いのは何もしないこと」
とハッキリ言っています。
下請けに甘んじ、チャレンジ精神を
忘れてはいけないのだそうです。
能作の商品開発力は、まさに「アイデア力」ではないでしょうか。
これこそ、何度も申し上げる「デザイン経営」なのですね。
能作の大ヒット企画
「錫(すず)婚式」
です。
結婚後25年、50年の節目を
「銀婚式」、「金婚式」というのは誰でも知っているの
ですが、
「結婚10年目であえて錫婚式をしましょう」
というアイデアであり、ライフスタイルの提案なのですね。
自分もそうでしたが、結婚後10年目というと、仕事に追われ、
子育てに追われてなかなかそんな余裕がないかもしれません。
自分の経験では結婚10年というと35歳の時。
税理士試験3科目まで受かっていましたが、
小さな税理士事務所の番頭として毎日遅くまで仕事に追われながら、
寝る暇も惜しんで受験勉強もしていました。
そんな時に
「錫婚式なんか挙げていらるか!」
と突っ込みたいところですが、写真見ると実に
うらやましいですね。
何だか、「銀婚式」や、それこそ「あるかどうか分からない」金婚式より
現実的なのではないでしょうか。
きっとその頃なら子供たちも喜んでくれるだろうし
幸せオーラ満開ですね。
「錫婚式を挙げて錫製品の記念品を配る・・・」
なかなか能作社長は実に素晴らしいアイデアマンですね。
その8 日本の伝統産業を救うヒント
世の中コロナで大騒ぎになってきたので
そろそろまとめましょう。
能作の経営哲学をぜひ真似てください。
ここに、コロナショックを抜け出すヒントがあるはずです。
あえてノウハウをここに公開します。
「勝手に公開するな!」
と、絶対に能作社長は文句を言わないはずです。
能作式アイデアを生み出す「7つのルール」
- 人のまねをしない
- 素材の性質を知り尽くす
- 他人の考えを否定しない(自分の考えに固執しない)
- 美術品ではなく(生活に密着した製品)を作る
- 蜘蛛の巣を張り巡らせて、情報をキャッチする
- デザイン力を磨く
- 「軸」から外れない
自社商品の開発販売に関するルール
- 自社のオリジナル商品のみ直販する
- 小売店がすでに問屋と取引がある場合は、問屋経由とする
- 営業部門は作らない
- 「定価」で販売する
- 販路を絞らない
- 店舗は直営にこだわる
すいません。
あえて解説しませんが、
繰り返しこの本をお読みください。
「人の真似をしない」
とは書いてあるものの、ノウハウはぜひ真似すればいいのです。
巻末に
「僕と同じように仕事が大好きで、僕も一目置くほどの企画力があって
チャレンジ精神を発揮して、伝統産業にわだちをつけたいという
まっすぐな情熱を待っています」
その理由に、2017年2月に中川政七さんと
「一般社団法人日本工芸産地協会」
を立ち上げたそうです。
中川政七さんの名前を聞いてうれしくなりました。
以前ご紹介したあの方ですね。こちら
私がもし、伝統産業の後継者だったら、すぐ能作社長のもとに
駆け付け教えを乞いにいくでしょう。
そこに日本の未来と、伝統産業の生き残るすべが集約していると
私は思うからです。
(コロナがなんだ! ガンバレ日本の伝統産業
シリーズ おしまい)