その1 1992年3月30日は脱サラ記念日

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(1992年3月のカレンダー)

 

 

本日3月30日は私の脱サラ記念日です。

1992年(平成4年)3月30日は、

私が8年間勤めた野村證券に辞表を叩きつけた日

なのです。

 

その三日前の3月27日金曜日は野村證券の

春の異動の発表日でした。

その日3年間勤めた出向先で

「元のように野村證券で株を売りなさい」

という辞令を受け取っていました。

 

このあたり以前ブログで書きましたからね。

まあ結構読まれる人気ネタです。

個人的にもたまに読み返して、あの時の熱い心を

思い返すことがよくあります。

 

こちら

 

金曜日の夕方に型通りの送別会があって

上司や同僚に別れを告げました。

でもその辞令を受け取った瞬間から、

本当に悩みに悩みましたね。

翌日の土曜日に、当時通っていた大原簿記学校の先生を訪ね、

「辞めて税理士を目指したい」

相談にいったのですね。

 

「辞めるくらいの意気込みがあれば絶対受かりますよ」

 

今思えば本当に無責任なアドバイスだったかもしれません。

でもその一言で私の脱サラの決意は固まりました。

 

日曜日に上司の自宅にアポも取らずに押しかけて行って、

退職する非礼を詫びました。

私の決意にもちろん引き留めもしませんでしたが、

きっとその後迷惑をかけたのだと思います。

 

日曜日の晩に退職届を書きましたね。

あの「辞職願」はまさに脱サラの原点ですね。

月曜日の朝7時30分に日本橋の本社の人事部長に

直接手渡しに行ったのですね。

本当にブログに書いてある通りです。

 

今思い返せば

「転勤拒否」

ということで、社内で結構問題視されたようです。

30年前は「転勤族」において「転勤拒否」は

まさに「反逆罪」!?でしょう。

 

「日本全国を転勤することを承諾して」入社した訳ですから。

ただ、たった8年間しかいなかったのに5度目の転勤は

さすがに応えました。

「職命令違反」で解雇されてもおかしくはなかったのかと思います。

 

その後数週間、自宅待機の連絡。

結局、5月15日付で退職となりました。

 

思い返したら、「有給消化」だったのですね。

30年前のサラリーマンには「有給消化」の4文字はまったく

ありませんでした。

しかし、転勤拒否で職命令違反になるのか、そんな法律的なことさえ

考える余裕もなかったですね。

8年間無遅刻無欠勤の優良社員であった訳ですから、

有休を取ろうなんて一度も考えたこともなかったのです。

ここでお世話になった野村證券に対して、今更あれこれ書くつもりもありません。

ただ、

 

「自分の思い通りに生きてみたい」

 

それが脱サラの原点な訳で、誰もが持っている当たり前の権利ではないかと

今本当に思います。
 

ウクライナの独立記念日は30年前の1991年8月24日

私の独立記念日も30年前の1992年3月30日




その2 2022年3月31日に思う


今日は3月31日。

野村証券に1984年(昭和59年)に入社した人は

すべて今日までで60歳定年になります。

私は大学に浪人して入りましたので既に61歳ですが、

現役で入った人はすべて60歳に到達するからですね。

 

「定年延長」が叫ばれる昨今においても野村証券は

いまだに「60歳定年」なのですね。

 

「再雇用制度」というのもあるそうですが、

一旦は退職してからとなるみたいですね。

ということは同期の皆は全員、高額な退職金が支給されたのでしょう。

 

そろそろこのブログ読んだ方は、

こういう質問をしたいのでしょうね。

 

「30年前に脱サラして良かったですか?」

 

 

カネのお話を先にすると、あのまま会社にいたら・・・。

30年前でも当時年収は1000万円以上ありましたから、

30年間で最低3億円は稼いだのでしょうね。

役職的に部長以上になっていたら4億や5億くらいは・・・?

今年数千万円の退職金をもらって、最低でも数億は

貯まっていたかもしれません・・・。

 

 

野村証券の同期に会うと必ず聞かれるのは

 

「辞めて大変だったでしょう」

 

きっと

 

「辞めなければよかった」

 

という言葉を私から聞きたいのかもしれません。

 

「こんないい会社辞めてもったいない」

 

そう思っているのでしょうね。

私の年代では30年前に「転職」や「独立」ということ自体は

少なかったはずです。

「終身雇用」ということが前提で会社を選んでいたのですから。

 

何度も書きますが、株式の営業は私には向いていなかったのです。

きっとあのまま残っていたら、債券営業をやらされたのだと

思っています。

株式は得意ではなかったけど債券は得意だったから。

全国の農協や信用金庫の担当になって、

全国津々浦々転勤しながら営業・・・。

支店長や部長は無理としても

たぶん課長か次長くらいにはなっていたでしょうね。

 

それもまた幸せな人生だったのかもしれません。

それでも高額な報酬は約束されていたのですから。

 

ただ、「人生カネだけでもない」と思います。

30年間健康な身体でいられました。

実は30年間一度も入院したこともありません。

また、30年間家族とずっと一緒にいられました。

「単身赴任」という転勤族にありがちな

不幸な目にもあわなかったし・・・。

何より税理士という素晴らしい職業をやれることが

できたのですから。

 

まあ、「負け惜しみではないですが」税理士になって最初の

数年は大変でしたが、その後はしっかり稼ぎましたからね。

向こうはまったく思っていないと思いますが

野村証券の同期は一生のライバルだと思っています。

彼ら以上絶対稼ぎたいと常に意識してきましたから・・・。

 

(野村証券の同期以上稼いだかどうかはアップしません)

 

ただ、「明日から何もしなくていい」という人生は

正直今の時点でまったく考えられません。

何もしないことで精神的に参ってしまいそうですね。

現時点で仕事があることに心から感謝したいと思います。

 

ことわざで

 

「やらずに後悔よりもやって後悔した方がいい」

 

よく言われますね。これを真に受けて

 

「脱サラしないことは後悔するからやった方がいい」

 

そう安易には言えないでしょう。

脱サラには常にリスクを伴いますからね。

私自身「もし税理士試験に受からなかったら

どんな人生だったろうか」

たまに思います。

 

また、こんなことわざが中国にはあります。

 

「後悔は美徳の春」

 

これは

 

「後悔するのは過去を反省し改善しようとする気持ちがあるから。

つまり、後悔する人はこれから美徳を積むことができる」

 

という意味なのですね。

 

「人生にやり直しはありません」

 

後悔などやはりしたくはありませんが、

後悔を絶対しない人生もまたないのかもしれません。

 

これからの人生も、もっともっとたくさんの美徳を積んで

同期に負けないように精一杯生きていこうと思います。

 

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