その1 開成中学の課題図書
年金問題に暑くなりすぎて
書評をアップするのを忘れていました。
話題の図書ですね。
難関中学で知られる開成中学の
「3年生の夏休みの課題図書」
なんだそうですね。
確かに中高生向けにやさしく書かれています。
読みやすいけど結構奥が深いです。
もう9月ですから、開成中学の夏休みの読書感想文を
読んでみたいですね。
中学3年生の多感なときならどう感じるだろう?
オジサンとしては興味津々ですね。
作者は鴻上尚史(こうがみしょうじ)さん。
作家というより劇作家・演出家が
正しいのでしょうか?
テレビでこの方見たことありますね。
コメンテーター、ニュースキャスターとして
いろいろな番組に出ている方でもあります。
早稲田大学法学部卒ですから、
年代的に2学年上の先輩。
数年前ですが、
「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」
という本を偶然読んだことがあります。
個人的には特攻隊に関する本は全部読んでいるので
よほど書評にアップしようかと思ったのですが
なかなか「特攻隊」を取り上げると
かつて、結構「あちらよりの方」の書き込みが
増えたりして面倒なのでやめたのですね。
ただ、文章は素晴らしく、長編なのですが
一気に読んでしまった記憶があります。
この本はまず冒頭を読んでいただきたいところです。
「君はどう生きるか」
という題名を聞いて多くの方は、
ベストセラーになった
「君たちはどういきるか」(吉野源三郎著)
を思い浮かぶのではないでしょうか。
90年も前に出版された本ですが、
これを数年前に、漫画家羽賀翔一氏が初のマンガ化して
これも大ヒットしたのですね。
その後同名の映画が宮崎駿監督から制作されていますが
この本をモチーフにしているのですね。
そんな有名な題名の本を「パクった」(すいません)
理由。
ここが一番大事なんだと思うからです。
その2 「協調性」と「多様性」
(2019年ラグビーワールドカップ)
「君はどう生きるか」と
「君たちはどう生きるか」
の違いお分かりですよね。
「君」と「君たち」
90年前の時代なら、それこそ
わたしの年代以上なら、
何の違和感なく「君たち」を受け入れたでしょうね。
この違いの意味を知ることこそが現代を生きるということ。
これは繰り返し読んでよく考えてください。
「君たち」といっていた昔は「協調性」が強調された
時代であったということ。
「君」とは「多様性」ということ。つまり
「ひとりひとり、みんな違っている。同じではない」
ということなのですね。
「多様性」という言葉がいつから使われ出したのか
正直記憶ないのですが、我々の年代以上なら、
「こころひとつに」
「みんな仲良く」
「団結」
という言葉を好んで使いましたね。
2019年のラグビーのワールドカップでは
「ワンチーム」
というフレーズが使われ、これが流行語にも
なりましたね。
日本人の好きなフレーズのようです。
私のように学生時代バスケットボールという
団体競技に熱中した「スポコン世代」には
間違いなく心に刺さるフレーズですね。
でもこれが、「多様性の時代」にあっては
問題であると指摘しているのです。
ここは考えさせられました。
またこれを理解しておくことも、私のような
「昔の世代」には重要なのでしょう。
私の世代では「団結することが一番」と
思っている人はまだまだ多いです。
スポーツの世界では実に分かりやすいですね。
オリンピックでも高校野球でも
「選手が心を一つにして勝利しました」
そこに感動すらしますね。
これをスポーツ以外にも応用する大人は多いです。
「わが社は一丸となって心を一つに頑張りましょう!」と・・・。
団結するためには、「飲みにケーションが一番」
といって夜な夜な赤ちょうちんに繰り出していた
昭和のオヤジ達・・・。
私もそんな典型的なオヤジでした。
でもそれは多様性の時代にあっては
とんでもない間違いなのだと
鴻上さんは言っているのです・・・・。
その3 同調圧力とは
「団結」と「協調性」という言葉を好む世代の私なのですが
私より年上の鴻上さんは極端にコレをキライます。
「同調圧力」
このフレーズを鴻上さんは力説します。
つまり「同調圧力」とは
「みんなと同じことをしなさい」
ということ。
「協調性」はともすると
「みんなと同じことをしなさい」
という圧力になるというのです。
無言の圧力にもなるし、
ハッキリ「みんなに合わせろよ」
そう言葉で言われることもあるのです。
日本では世界の中で、とりわけ「同調圧力」が
強い国なのだそうです。
移民を受け入れなかった「島国」だった
からでしょうか。
鴻上さんのように世界中を飛び回っていると
この異常さに気が付くのでしょう。
しかし書けば書くほど
「多様性」とは真逆の世界であると気が付くでしょうか。
日本人はよく
「世間体を気にする」
と言いますよね。
「場を読むとか」
やたら周りに気を遣うのですね。
冒頭この本は中高生向けに書かれた本だと
申し上げましたが、この「同調圧力」を
力説しています。何より
いじめの原因はこの「同調圧力」
なんだと。
「世界中でいじめはあります。
でも日本にしかいないいじめのタイプがあります」
「クラス全員でひとりを無視する」
というもの。
これ読んで私はドキッとしました。
50年も前になりますがこれ本当にありました。
小学生の時に確かにクラスにNという女の子が
いました。
まさに「クラス全員でNさんひとりをいじめて」いました。
「いじめている奴の空気を読んで、
クラス全体がまとまる」
というのです。
確かにそう思いました。
「可哀そうだからやめろよ」
なんて勇気は情けないことに当時の私にはなかった。
そんなこというと
いじめの矛先が自分に向かうことさえ恐れたから。
「自分はいじめられなくて良かった」
そう思って何となく加担していたのかもしれません。
小学生の時から
「世間から生まれる同調圧力」
を学んでいたのでしょう。
でもやがてNさんは転校してしまいました。
その4 野村證券と同調圧力
いじめの根源には「同調圧力」がある。
ちょっとショッキングな表現ですね。
「同調圧力から出てくる言葉が
『みんなひとつ』、『絆』、『団結』」
「あれっ!」と思いませんか?
小中学校にあったいじめを論じていましたが
こういう言葉が好きな社長さんは
かつて多かったですね。
ここで得意の昔話。
昨日囲碁のお話が出たついでに
私がかつて新入社員だった時の
社長さんの写真。
囲碁打つ田淵節也野村證券元社長ですね。
2年目に変わった次の社長さん。
これも有名な田淵義久元社長。
野村證券のかつての栄光の時代、
「大田渕、小田淵時代」・・・。
今思えば「同調圧力」そのものの
会社でしたね。
当時はまったくそれを意識しなかったのですが
「みな同じことをしなさい」
まさに同調圧力そのものだったのですね。
当時の野村證券を揶揄する言葉に
「金太郎あめ」
がありました。
皆同じような顔になるのですね。
だいたい支店長になると
小太りで眼鏡、声がでかくて酒が強い。
カラオケとゴルフがうまい・・・。
毎日相場見るので目が悪くなり
毎日ストレスで酒ばかりなので太り、
元気が良いことが好まれたので声がデカイ。
出世の条件でカラオケとゴルフは「社技」
だっかたら当然うまい。
それより考え方まで洗脳させられた。
新入社員時代から独身寮だから
先輩からも叩き込まれ、
毎日深夜に酒盛りしながら
土日もゴルフしながら薫陶を受ける・・・。
でも反論しようとすると
どこまでも論破される・・・。
(当時は社内用語で『ツメル』といわれた)
今思えば野村證券は
「同調圧力」そのものの会社でしたね・・・。
その5 30年前は多様性はあったか?
書きながら思い出しましたが、
特定の会社だけではないですね。
30年前のあの頃は「協調性」が重んじられて
「多様性」なんて言葉すらなかった・・。
「頑張って営業成績上げて支店長になることこそ
幸せだ・・・」
そう叩き込まれた野村證券時代。
「これからは投資家の立場に立って税務相談を
することが望まれる・・・」
そんな「寝言みたいな」こと言っても、
上司はまったく聞く耳も持っていなかった。
「わが社は団結して経常利益・・・億円を!」
今なら「うつ」にでもなっても
おかしくなかったでしょうね。
こそっと書きますが、250人もいた同期で
「幸せな」支店長になったものは5人もいない・・・。
この本は中高生向けに、
「いじめを受けたときの対処法」
が書いてあります。
「昔はいじめを受けた時には
立ち向かえと指導されたけど
今は違う。
そんな学校なんて変わればよい。」
そうなのですね。
いじめを受けて自殺するくらいなら
そんな学校辞めればいいだけのことなのですね。
「多様性」の時代はまさにそうなのです。
これも書きながら思いましたが
「協調性」が重んじられていたサラリーマン時代、
当時「脱サラ」は悪であると刷り込まれていたのですね。
会社辞めた時にあからさまに批判してくる
同僚もいました・・・。
「同調圧力」に洗脳された方々から。
上司に恵まれなくて、
「協調性」を重んじて、それこそ
『みんなひとつ』、『絆』、『団結』
なんて毎日叫んでいる会社なんて
辞めればいいだけのことなのですね。
「同調圧力」に屈して「うつ」になるくらいなら
転職して違う人生を歩めばいい・・・。
まさに「サラリーマンの君はどう生きるか」
その6 ルッキズム
いろいろ書きたいことはたくさんあるのですが
そろそろまとめましょう。
中学生向けの課題図書にしては
なかなか学ぶべきことばかりですね。
昭和のオジサンには知らないことが
多すぎます。
このあたり知っていないと、令和の今だと
きっとトンデモナイことになるのですね。
「ルッキズム」
という言葉を初めて知りました。
「『ルッキズム』というのは外見で人を
判断し、容姿によって人を差別することです」
「日本は先進国の中で、女性に対する『ルッキズム』
がとても強い国です」
何度も出てくる「同調圧力の強さ」が
さらにその「ルッキズム」を共謀にしていると
いうのです。
男性が女性に対して
「太った?」
「やせた方がいいよ」
なんて言葉を平気で口にしますね。
先進国ではこれはご法度です。
「ルッキズム」はよくないと常識になっているのです。
男性が女性に対して外見や容姿に対して口にすることは
許されないことだと思われているのですね。
これは昭和のおじさんたちは気をつけにないと
いけないようです・・・。
最後に外見や容姿だけでなく、
生き方そのものも、認めなければならないようです。
多様性の世の中を生きていく必要条件なのでしょう。
「自由の相互承認」
分かりやすく言えば
「君が私の自由を侵害しない限り、
私も君の自由を認めます」
逆に言うと
「私は君の自由を尊重しますから、
君も私の自由を尊重してください」
とことん対話して「お互いの自由を認める」こと。
それが人間関係で最も大切だと鴻上さんは
思っているからなのです。
どうでしょうか。
昭和のオジサンはまだまだ勉強しないと
いけないようです・・・。
(昭和のオジサンもがんばれ!
多様性の世の中シリーズ おしまい)