その1 この夏一番の感動


医者の父

 

実は、この夏はこの著者の本をずっと読んでいました。

8冊ほど・・・。

 

「医者の父が・・・」

 

なんてタイトルから、また若者向けの人生論の

本かな?

 

何となくamazonで得意の「ポチ買い」。

想像していたものとまったく違いました。

 

お医者さんによる「魂のエッセイ」です。

副タイトルに

 

「現役外科医が『命の現場』で見出した

後悔のない生き方」

 

これ本当にそう思いましたね。

まず懺悔をこめて正直に書きます。

 

実は私はこの歳になるまで「お医者さん」という

職業には正直あまり興味がなかったのです。

 

もちろん、税理士として

お医者さんや歯医者さんの税務顧問になったことは

あります。

これは税金計算が主体なので、肝心の医療行為自体に

あまり関心がなくてもできるのです。

 

 

もう一つ真実を述べますが、

この歳になるまで、大怪我で入院したことも

大病で入院したこともありません。

怪我で縫ったことも骨を折ったことすらないのです。

これ書くと怒られそうですが、あれだけ大流行した

コロナさえなったことがない・・・。

おかげ様で五体満足の丈夫な健康体を

授けてくれた両親に感謝しなければならないでしょう。

そんなことから、医療というものに真面目に

向き合った経験もなかったのです。

 

それと、学生時代に「医者」という職業の

選択肢は一切なかったのです。

一応進学校でしたので、同期に医者になったものは

何人かはいます。

でもどういう訳かそういう人種とも

お付き合いすらなかったのです。

 

それはどうしてでしょうか?

小学校の時に「カエルの解剖」って

なかったでしょうか?

今だったら

「コイの解剖」になったというのは

知っているのですが、

どうしてもあれだけは許せなかったのですね。

ましてや医者になって、人間の身体にメスを

いれるような人種には、

子供のころから想像すらできなかったのです。

 

この著者は現役の外科医の方です。

毎日人の身体にメスを入れるのが

ご職業です。

だからこそでしょうか。

医学部時代のお話がとても新鮮に思えました。

 

「そうやって苦労して皆お医者さんに

なっていくのか・・・」

 

感動すら覚えました。

ベストセラー医療小説「泣くな研修医」を

この本の後全巻6冊買って読んでしまうほど・・・。

 

 

この夏一番の感動の本をご紹介していきましょう・・・。




その2 医者になった理由


ではこの著者「中山祐次郎先生」が医者になった

理由から。

 

医者になった方の理由はいろいろあるでしょうね。

まず一番多いのは

「親が医者だから・・」

これはよく聞きます。

仕事柄私が関係しているお医者さんは

代々お医者さんの家系が多いですね。

 

あとは子供の頃、身内が大病して、もしくは

亡くなって急に医者を志すようになった・・・。

これも良く聞きます。

 

因みにこの方のベストセラー「泣くな研修医」も

子供の頃実兄が急死したから医者を目指すことに

なったという設定でした。

 

 

この中山先生の場合、実に素晴らしいです。

15歳のある日読んだ新聞記事がキッカケ。

 

「東南アジアのある国で、ゲリラと呼ばれる

武装した悪い人が少年少女を襲う。

男の子は5人組にして、一人を決めたら

残りの4人に一人を殺させる。

女の子は子供を産ませ兵士に育てる」

 

どうでしょうか?

こんな酷い記事読んで確かにショックを

受けたのでしょう。

でもこれを読んで医者を目指すというのが素晴らしい。

 

「自分が医者になって現地に行き、傷ついた人を

片っ端から治しまくろう」

 

そう思って医者になることを決意したのです。

 

これが筆者の15歳の時のお話。

なかなか思いつかないでしょうね。

中山先生は、神奈川で中高一貫校の名門

「聖光学院」に入学されています。

名門ですね。偏差値で言うところの68。

日本で上から数えて10番以内に入るくらいの

難しい学校です。

 

「だから医者を目指したのか!」

 

ここで納得しないでください。

この中山先生実に正直に書いてあります。

 

「高校1年生の時、210人いた同級生の中で

190位くらいだった・・・」

 

でも

「まるで彫刻刀で板を削るように『絶対に医者になる』

心に強く刻み込んだ」

 

でもこのあとも正直に書いてありました。

2浪してまで鹿児島大学医学部に入学・・・。

 

素晴らしい・・・。





その3 2浪してでも・・後期試験でも・・


L

 

この中山先生の著作を片っ端から読んだと

冒頭アップしましたが、

「それでも君は医者になるのか」

でもこの中山先生が医者を目指したくだり

が出てきます。

 

例の新聞記事を読んで医者を目指したところですね。

 

でもここには「オチ」が書いてありました。

 

「新聞社の方から取材をいただいて、

一生懸命話をしたのです。

その人が感動して、その新聞記事を

調べてくれたんです。

そうしたら、どこにも見つからなかった」

と。

 

「つまり、私の人生を変えたその新聞記事は

私が記憶の中で捏造した作り話かも

しれないんです」

 

本当に正直な方ですね。

本当でもそうでなくても いいのでしょう。

 

それでも高校2年生で理科系に進みます。

「理系に行った最初の試験では理系ビリ」

だったくらい。

現役では当然落ちて浪人。

 

一浪で受けた札幌医科大学と山梨医科大学も

「鮮やかに」落ちます。(失礼!原文のまま)

 

 

ここで初めて知ったのですが

医学部に合格する人は日本中で8000人

なのですね。

8000人しかいないのです。

これは驚きですね。

私の母校早稲田大学の入学者数は

毎年1万人はゆうに超えますから。

 

でもこれで諦めなかったのも素晴らしい。

私も正直書くと早稲田に入るために

1年浪人しました。

あの1年間はどれくらい辛かったか。

「もう2度と味わいたくない思い」

ましてや「またもう1年」とは

絶対に思わなかったでしょう。

 

だからこそ、中山先生が医者になりたかった

強烈な想い、理由を自分で膨らませたのでしょう。

 

2浪して目指した第一志望だった千葉大学医学部は

落ちてしまいます。

後期試験で「滑り止め」の鹿児島大学医学部には

何とか合格されます。

後期試験は面接と論文だけで医学部に

合格できるのですね。

これはまた別の意味で驚きました。

 

でもこれも正直に書いてありましたが

もう一つの滑り止めは早稲田大学法学部だったそうです。

中山先生が医者をあきらめ、早稲田に来ていたら

それはそれでどんな人生だったのでしょう。

ここは中山先生に聞いてみたいところです・・・。

 

でも鹿児島大学に合格してくれて本当に良かったと

思っているのは本人だけでなく

きっと医療業界の皆様でしょう・・・。

 



その4 脱サラして医学部への道もあった!??


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2年の浪人を経て20歳で鹿児島大学へ。

 

横浜生まれ、横浜育ちの中山先生ですからね。

目指していた千葉大学医学部に落ち、

まさに「都落ち」という

敗北感にさいなまれながら

鹿児島に行ったのでしょうね。

 

金髪にピアスだったそうですから、

かなり浮いていたのでしょうね。

 

同級生は100人。

このクラスが6年間一緒ということですから

ある意味大変ですね。

現役生から見たら2歳も年上の金髪ピアス

ですから。

 

「やっぱり僕は同級生たちと馴染めなかった。」

 

これは本心でしょう。

異国の地で友達も誰もいない。

 

「ホサレタ」

とも書いてあったし、

「鹿児島弁も芋焼酎もあわなかった」

 

ふと40年前の大学生の頃を思い出しましたが、

あの頃は2浪してまで早稲田に入って来る人が

実に多かった。

クラスの3分の1くらいはいたでしょうか。

 

その「2浪組」がクラスのイニシアチブを取り、

率先して遊んでいました。

あの頃はディスコやサーフィンが大流行りの時代。

日焼けしたサーファーの2浪組が

与論島ツアーなどを企画していましたね・・・。

 

「2年間苦労した分を取り戻すんだ」

 

そんな強烈なノリでした。

中山先生は2年間苦労したんだから

遊べばいいと思いますが、ここは医学部ですからね。

勉強しなければ行けないし、大変ですね。

週5日も練習のあるサッカー部にも入ります。

 

このあたり

「泣くな研修医5 悩め医学生」

に書いてあります。

かなりデフォルメされているので実際の

中山先生のこうありたかった学生像なのでしょうか。

この本も青春ドラマを見ているようで

胸躍らせながら読みました。

 

 

ここでホサレタ中山先生を救ったのが、

脱サラして医学部に入り直した30過ぎの同級生。

こんな人生もあるのですね。

 

私も31歳で脱サラして税理士目指しましたが

脱サラして医者になる選択肢もあったのですね・・・。

 

(絶対なかったと即断言できますが・・・)




その5 解剖学こそ医者への道


小学校の時に「カエルの解剖」が

まったくできなくて、医者の道すら

考えたこともないと正直に書きました。

 

「医学部はどんな授業を受けるのだろう」

 

本当に思いますね。

それは、「悩め医学生」に詳しく書いてあります。

これは驚きの連続でした。

 

2年生の秋から始まる「解剖学」。

当たり前ですがカエルやコイではないですね。

文字通り「人体を解剖」しながら学ぶのです。

 

エッセイにはこの金髪ピアスの学生が

難物の解剖学の名物教授に対して

必死に戦う様が生々しく描かれています。

 

解剖学は二つ。

「人体を解剖しながら内臓、骨や筋肉などを

学ぶ肉眼解剖学」

「いろいろな臓器を顕微鏡で詳しく見る組織学」

 

 

「亡くなった人の体にメスを入れ、

100以上のパーツにバラバラに観察し

スケッチを描き、骨と筋肉、神経の

名前をすべて暗記する。

試験では実物を見せられてその名を答える」

 

何だか聞いただけで恐ろしいですね。

私にはとても無理ですが、

医学生はそれを嫌がっていては

とうてい医者なんかにはなれないのです。

 

お医者さんに対する考え方が変わりました。

 

医学生として患者さんに会うと必ず思うこと。

 

「こんな学生の自分では申し訳ない。

早く一人前の医者になって直したい」

 

医学生は皆そう思いながら必死に勉強するのです。

 

「自分の親や恋人が、この病気になったら

どうしよう」

 

「不思議と自分の体の心配ではない。

大切な人が大変な病気に侵されたら、

何としても助けたい。

そんなカリキュラムでもあるのだ。

これは医者として一番大切なことだ」




その6 医学部はこんなにも勉強する!


中山先生の本読んでまず思ったこと。

 

「お医者さんになるにはこんなに勉強するのか」

 

驚嘆することばかりでした。

大学2年の秋から実習が始まりますね。

普通の大学なら2年生までは「一般教養」

つまり「パンキョウ」時代は、普通の大学生なら

遊び呆けている時期ですね・・・

(昔の早稲田大学だけ??)

 

しかし、大学6年生まで猛勉強が続くのです。

鹿児島大学医学部のことですが、

医学部6年生11月に「卒業試験」。

それを100人中70人が一発合格。

不合格なら追試。

そこをクリアしてから、さらに

1日15時間の猛勉強で医師国家試験。

 

ここでこの歳になるまで知らなかったのですが

2018年3月の例ですが、その医師国家試験。

1万10人が受験し9024名が合格。

 

これで晴れて「お医者さん」になれるのですね。

合格率はなんと!90.1%です。

 

 

この数字が高いか低いかなのですが、

鹿児島大学医学部は全国平均並みの

90%なんだそうです。

 

ただその不合格だった1割の方はもう一回は

受けられるのですが、万が一不合格だと放校。

実に厳しいですね。

既出の「それでも医者になるのか」に書いてありましたが

自治医科大学では99.2%の合格率とあるそうですが

面白いのは、医学部の最難関東京大学理科V類。

120人受けて108名が合格。

合格率はなんと全国平均を下回っているのですね(90.0%)

 

なかなか医師国家試験は難関なのだそうです。

しかしこう考えると医学部合格時の偏差値なんて

まったく関係ないのですね。

でもこの中山先生はすごいですね。

サッカー部に所属して6年間週5日はボールを蹴っていた。

まあ、それくらいの体力がないと

外科医として活躍できないのかもしれないですね。

 

あとここで個人的な懺悔。

お医者さんは内科、外科、産婦人科、皮膚科・・・

いろいろあるではないですか。

医学部5年生くらいで「内科コース」、「外科コース」などに

分かれるのかと思っていました。

だから6年間も通う必要があるのかと。

しかも、医師国家試験も科目選択でもできるのかと。

 

でもまったく違うのです。

すべての医学生が同じ国家試験問題を解くのですね。

それを合格して晴れてお医者さんになれるのですね。

これは驚嘆すべきことです。

 

ここでこんなこと書くと「絶対」怒られるかもしれませんが、

 

「税理士国家試験も見習ったらどうでしょうか。

例えば6年制の税理士大学校を設立。

6年間であらゆる科目を学ばせるのですね。

1年生までに日商簿記検定1級合格は必須。

2年生から中小企業育成のための

厳しい実技演習。

最後は医師国家試験のように

法人税法、所得税法、相続税法、相続税法、消費税法」

を一度に受ける全国一律の国家試験・・・」

 

どうでしょうか。

日本経済のために役立つ素晴らしい税理士が

どんどん排出されます・・・

(独り言です)





その7 研修医としての苦労



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難関の医師国家試験に合格して

めでたく「お医者さん」なのですが、

そのあとまた大変なのですね。

 

研修医生活に入るのですね。

2年間になんと

 

「内科6カ月、外科9カ月、1か月の精神科、

産婦人科、地域の開業医、保健所、放射線科・・・

 

この段階で驚きませんか?

まだ専門が決まらないのですね。

それでも、ある程度は

「将来内科に行きたいとか、外科で・・・」

とは決めているのでしょうけど、

あらゆる分野を学ぶ・・・。

お医者さんになるには本当に大変なのですね。

しかしこの2年間が前期研修医。

このあと後期研修医生活がなんと3年もあるのですね。

 

 

しかしここだけでもさらに驚きませんか?

研修医生活は都合5年間。

医学部自体が6年間あるので、医者として

一人前になるのは最低でも11年間もかかるのですね・・・。

 

現役で医学部に合格できればいいけど、

中山先生のように2年も浪人してしまうと

もう30歳をゆうに超えてしまいますね・・・。

 

なかなか医者のリアルが分かって勉強になりました。

もう一つ分かったのは後期研修医3年間。

 

多くの(9割)研修医は大学医局という大きな組織に

入り、そこの教育システムに乗っかっていくのです。

3年後は医局の持ついくつかの関連病院に

数年毎に転勤となって、勤め先には困らないそうです。

 

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ここで何となく医局というと

「白い巨塔」

を思い出しませんか?

大先生のもとに毎朝大名行列。

「財前教授のご回診・・・」

 

新人の研修医は一番後ろからついていくのでしょうね・・・。

 

でも大先輩からの助言

 

「医局に入ったら年功序列。

すべて順番待ちになる。

中山の能力や努力と関係なく成長スピードが決まる。

階段を一段飛ばしで上がりたいなら入っちゃダメだ。」

 

素晴らしい先輩ですね。

あのドラマでもそんな感じでしたね。

 

しかし医局に入らなければ3年学んだあとは

勤め先はないのです。

なんとなくギャンブルのようですね。

 

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でもここで分かりますね。

白い巨塔ではなく、

大門未知子を選んだのですね。

「ドクターX」

です。

カッコイイと思いませんか。

勤め先なくても腕さえよければ

大門未知子のようにフリーランスでしょうか。

 

でもこの研修医の苦労話。

泣くな研修医シリーズでてんこ盛りです。

本当に泣けます・・・・。




その8 まさにドクターX!


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後期研修に入って2年目。

ドクターXでよく出てくる「カンファレンス」(術前会議)。

中山先生も週二回やって鍛えられたそうです。

これは勉強になるのでしょうね。

 

でも中山先生は焦っていました。

重要な手術をやらせてくれないのですね。

優秀な外科になるには、難易度の高い手術を

何度も執刀することが必要なようです。

 

ようやくこの道30年のベテランの医師の

「前立ち」と呼ばれる第一助手を

勤めるのですね。

 

そのあとこれも驚きますが

「エルステ会」という儀式。

「初めて胃を切る手術をした外科医が

指導してくれた外科医やお世話になった看護師を

招待して食事をおごる

のです。

 

名店で4万円を払って、これが誰もが通る

「外科医第一歩」。

 

ここで「あれっ?」

と思いましたね。

熱心に読んでいた「泣くな研修医シリーズ」

とちょっと違うのです。

 

新人研修医が美人先輩女医から厳しくも

指導され、時には酒を酌み交わしながらも

暖かく育てられるストーリー。

とにかく仕事は厳しく、寝ずに仕事に打ち込むのです。

ミスしたら

「そんな気持ちでやっているなら医者なんかやめな!」

本当に怒られるのですね。

確かに人の生死を扱う職業だから

当然かと思っていたのですね。

だからこそ

「外科医になるのにはそれくらいキビシイ修行が

いるのか・・・」

 

 

つまり、腕のいい医師から直接指導があるのかと。

ここが違う業界からみたら羨ましいと

本当に思ったのです。

 

申し訳ないですが税理士業界にはありえないでしょう。

そもそも研修医のようなインターン制度もないですからね。

実務経験2年というのは必要ですが、

これは税理士になる前に職員としての経理の実務経験で

よいだけなのです。

 

司法試験合格者には合格後に司法研修所での受講義務があり、

非常に羨ましく思ったのです。

昔は2年間。今では1年間らしいのですが

そこでまた鍛えられるのでしょう。

 

素晴らしい医師や弁護士を育てようとする

業界の熱意でしょうか・・・。

 

私もどこかの大税理士法人で

大門未知子のように大勢の前で

カンファレンスを一度でいいからやってみたかった。

 

「この会社はここが問題なので

会社を再生するためにこの緊急手術を

やってみます!」





その9 患者さんの死に対して



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「患者さんが目の前で亡くなるとき

医者はどう思うのだろう」

 

お医者さんに対して思う素朴な疑問ですね。

それに対して

 

「一言でいうと『慣れた』ということなのだろう

僕は、僕が担当した患者さんが亡くなることに

慣れた。

悲しみはいつまでも続かない。

お看取りをした翌日には、別の患者さんが

人生をかけた手術を執刀するからだ」

 

きっとそうなのでしょうね。

「泣くな、研修医シリーズ」ではたくさんの

患者さんの死に直面しますね。

そのたびに感情移入していたら医者の仕事が

できなくなるのでしょうね。

 

ふと30年以上前の証券マン時代を思い出しました。

株式の運用には常に損得がつきまといます。

お客さんの損を一緒に悲しんでいたら

まったく商売にならないのですね。

私も証券の新人のころかなり悩んだものです。

「吉田さんのせいで損させられた」

証券マンとしては、お褒めのような

「勲章」を浴びせられると、

ナイーブな私は、心折れたものです。

でも気がついたら、いつの間にかお客さんの損得について

何も感情も持たない自分になっていたのです。

 

「何だかイヤな商売だな・・・」

 

本当にそう思ったものです。

 

でも中山先生は

 

「自分の治療で治らなかった、生きさせてあげることが

できなかった」

 

という悔しい感情があるようです。

お医者さんとしての葛藤ジレンマなのでしょうか。

 

その点、証券会社は

「投資家の自己責任」

という金科玉条のような逃げ道があります。

「私はこの株がいいと思いますが、

最終的にはご自分で判断してください」

つまり、

「自分のアドバイスで損させてしまった、

儲けさせることができなかった」

とは絶対に思わないのです。

 

この点お医者さんとはまったく違いますね。

 

しかし、

「やめるな外科医」で亡くなった患者さんのお話は

実話なのですね。

山下弘子さんという方で、19歳で肝臓がんが

見つかり、闘い続けて2018年3月、25歳で逝去。

抗がん治療中に中山先生と一緒に富士山に登ったり。

こんなお医者さん本当にいるのですね。

本の最後の言葉

 

 

 

「雨野隆治、30歳。医者6年目。

人の死になんて、慣れない。」

 

この箇所は私は号泣してしまいました・・・。






その10 がんばれ!世界の中山!!



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中山先生の本を取り上げていたら

終わらなくなりましたね。

おかげで先生の本は大方読んでしまいましたね。

 

中山先生の生き方に共感を覚えました。

外科医として一とおりの修行をしてから

 

2018年京都大学大学院で公衆衛生学修士。

2023年福島県立医科大学で医学博士。

 

本当に素晴らしいですね。

凄腕の大門未知子が東帝大学病院で

博士号を取って教授になったよう!?

 

一方でこのような執筆活動。著書多数。

ベストセラーになった「医者の本音」から

 

「閉じた医療業界に風穴をあけたい」

 

はっきり書いてありました。

 

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最後に「外科医の本音」から

 

「医者をやっていると患者さんやご家族から

『それはさすがに失礼なのでは』

と思わざるをえないレベルの『暴言』

をぶつけられることがあります

『このヤブ医者。とっとと辞めてしまえ!』

『先生は人殺しですね』

と過去に言われたことがあります」

 

お医者さんは本当に大変ですね。

「人殺し」

と呼ばれる職業は、お医者さんとゴルゴ13(古い?)

しかありませんからね。

 

しかし、いろいろ先生の本を読んで

気になりました。このように

「ここまで書いていいの?」

と。

医師の集まりである医師会から

目の敵にされないのでしょうか。

税理士には税理士会という

「たいへん陰湿な組織」

があります。

利権を守ろうとする保守的な団体です。

税理士業界でここまで業界のことを書くと

「風紀委員」!?

にすぐ呼ばれてしまいますからね・・・。

 

このブログでもつい

「税理士大学校を設立して共通の国家試験を・・・」

つい筆を滑らして書いてしまいましたが、
あまり調子乗っていると

すぐ叩かれてしまうのですね・・・。

でも正直非常に刺激を受けました。

若い先生がこれだけ頑張っているのですから

私もせめて針の穴くらい・・・。

 

中山先生!

ぜひ日本の閉鎖的な医療業界に

風穴どころかトンネルを掘ってください。

中山先生を心から応援いたします。

 

(がんばれ! 世界の中山シリーズ おしまい)










 



 



 



 








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