その1 キリンビールの奇跡の方と同期



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夏ですからね。ビールの美味しい季節です。

キリンビールといえば、以前に取り上げましたね。

 

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「キリンビール高知支店の軌跡」

 

のちにキリンビール副社長にまで上り詰めた田村潤さんが、

45歳のときに左遷させられた高知支店で

軌跡の営業成績をあげるお話ですね。

 

「今太閤」みたいなお話で勇気をもらえる本でした。

 

ただ今思うと、「昭和のガンバリズ」そのものですね。

懐かしく思う世代と、令和の新世代の方々には

ある意味受け入れられないのではと思ったのも

正直なところです。

 

この田村潤さんは、1950年(昭和25年)生まれで、

1973年(昭和48年)キリンビール入社です。

 

実は今回の主人公である前田仁(ひとし)氏も、

1950年(昭和25年)生まれで、

1973年(昭和48年)キリンビール入社です。

 

驚きますね。なんと同い年の同期入社なのです。

同期で一方は副社長になった方に対して、

前田氏は社長にはなっていません。

子会社キリンビバレッジ社長にはなりましたが

その後キリンを去っています。

 

でも社長にもならなかった方が、

「キリンを作った男」

という表題がつけられているのが気になりますね。

 

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それもそのはず、キリンビール最大のヒット商品である

「一番搾り」、「淡麗」、「氷結」を前田氏が生んだからです。

そのため、「マーケティングの天才」、「希代なるヒットメーカー」

とまで表現されています。

 

1973年入社組の同期入社は76人。

事務系と技術系とが半々。

当時のキリンは約6割の販売シェアを誇る安定企業。

三菱グループにつらなる会社であり大学生には

絶大な人気があったそうです。

 

前田氏は一浪の末、関西学院大経済学部卒。

スポーツはサッカー同好会。どこにでもいそうな大学生で

「落ちると思ったけど、どういうわけか通った」

けということで入社。

同期には田村潤氏の他に、キリンビール社長になった松沢幸一氏など

出世された方が多くいて

「花の73年組」

と言われたそうです。

 

入社して5年間は大阪支店業務課に配属。

問屋から注文を受け、伝票を起こし、工場に発注する内勤の仕事。

 

その後営業を2年間やっただけで、東京のマーケティング部へ

異動。

でも定期健診でがんが見つかって胃を4分3も切除し

4カ月も入院。

 

この時前田氏31歳。

何だか出世とは無縁の普通のサラリーマンですね・・・。

 

でもこれから

「キリンを作った男」

に変わっていくのです。

 

営業成績でナンバー2まで上り詰めた田村氏に対して

マーケティングで次期社長候補まで言われたほど。

なかなかこの「出世すごろく」を読んでいて面白いです。

 

ビールでも飲みながら、ぜひ読んでみてください。





その2 リアル半沢直樹



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1987年3月17日。

アサヒビールから新商品が発売されます。

「スーパードライ」

ですね。

世に言うビール業界「ドライ戦争」勃発です。

 

「あんな薄いビールはビールの王道ではない」

 でも当時のキリンビールはまったくバカにしていたのですね。

「キリンラガー」という長年のブランドの上に安穏としていたのです。

 

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その頃前田氏は、新商品開発チームで「ハートランド」の開発に没頭。

前田氏のこの時のマーケティング・プランナーとしての発想。

ここは驚きます。

「大量生産・大量消費の時代が終わり、心を動かす商品の時代へ移る」

 

しかし、1987年というとバブル前夜。

「大量生産・大量消費」は当時として常識なのですね。

その時代に、ハートランドを

「量より質を追求し、コアなファンに愛されるビール」

として開発していたのです。

ここは詳しく書きませんが、なかなかマーケティングの勉強になりました。

 

しかし、キリンはアサヒに対抗してドライを追随しますが、

ことごとく失敗。シェアは完全に奪われます。

なぜ失敗したかはこの著者の表現が実に面白い。

 

「スーパードライにシェアを奪われたせいで、偉い人たちの

言い訳のための書類作りが、われわれ下々の現場までおりてきた・・・」

「シェアを奪われたことよりも、失敗を言い訳にする、

他責文化が醸成されたことがキリンにとっては痛手だった・・・」

 

「長年の殿様商法によって、組織の機能不全が悪化」

 

そんな中で、前田氏はハートランド・プロジェクトを大成功させます。

それを受けて1989年1月、

「キリン一番搾り」の開発チームリーダーに大抜擢。

この時39歳。

当然「スーパードライ」の勢いを何としても止めなければならないと

いう社運がかかった一大プロジェクトですね。

 

でも一方でマーケティング部に対抗して企画部でも

大型新商品を多額の予算をかけ、マッキンゼーと組んで

開発します。

それを主導していたのが「キリンのラスプーチン」と言われたある役員。

(どういう訳か本名は出ていませんでした)

そうして、キリン社内史上残る一大コンペ。

 

コンペの結果、前田氏のチームが圧勝。

一番搾り商品化のゴーサインがでるのですね。

しかし、当時の経営会議では

「高価格のプレミアムビール」

として発売することを決めていたのです。

 

「これではスーパードライには勝てない」

 

そう思った前田氏は社長に直訴するのですね。

当時の社長は本山英世。

キリンビールの社長を4期8年も勤め、

当時「キリンの天皇」と言われるほどの実力者。

社内で誰も逆らえるものはいません。

その「本山天皇」に対して

 

「すべて責任は私が取ります」

 

その結果、取締役会で本山社長の一言。

「プレミアム案は却下」

当然、その席には、社内コンペに負けた「ラスプーチン」も同席。

苦々しく見ていたでしょう。

 

その結果、スーパードライと同じ価格帯で販売され

それにより、一番搾りは空前の大ヒット。

キリンビールは復活したのです。

 

一番搾りの開発の功績により前田氏は「社長賞」を受賞。

社内の誰もが知る存在になります。

 

でもその直後、前田氏はなぜか突然の左遷。

マーケティング部のチームリーダから外され、

移動先は経験のないワイン部門・・・。

 

この人事には、「キリンのラスプーチン」が前田氏への嫉妬から

人事部を動かし左遷させたのです。

 

 

もうここまで書いて、私が言いたいことは分かりますね。

 

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こんなドラマのような展開は

「半沢直樹」そのものですからね。

これは是非池井戸潤さんが脚本書いて、TBSの日曜劇場で

ドラマ化をしてほしいですね。

 

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「キリンのラスプーチン」を演じる方は、絶対香川照之氏で決まりです。

今「敵役」としては誰よりも一番似合ってます。

日本中の全国民から「圧倒的な」嫌われる役になるはずです。

TBSが「懺悔を込めて」ぜひ制作してほしいですね・・・。





その3 社長賞直後の左遷



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前田氏が社長表彰を受けた91年6月。その時41歳。

でも社内の抗争に巻き込まれて左遷。

受賞時すでに外されて、ワイン部門にいました。

 

半沢直樹が東京中央銀行を救って大手柄を受けた直後に

東京セントラル證券に左遷人事を受けたのと一緒ですね。

 

そのあと前田氏は独学でワインの勉強を始めます・・・。

この時の社長は4期8年勤めた「本山天皇」。

その後社長は退きますが、会長となって子分の社長を後継者として

「院政」を始めます・・・。

しかし、本山天皇の在任期間、キリンはアサヒに

完膚なきまで叩きのめされます。

90年にシェア48.2%と22年ぶりに50%を割ってから、

キリンの社内的には「敗北の6年間」というそうです。

経営の判断ミスにより、ラガーを「生化」して大失敗。

スパードライに余計に水をあけられてしまいました。

 

本来なら2期目か3期目で責任を取って退任し、

後継社長と目されていた

桑原通徳氏になるはずだったのです。

桑原氏は誇り高き営業マンで、人望熱き方だったのですが、

それゆえに、天皇のイエスマンにはなれなかったのです・・・。

 

実は桑原通徳氏は元のマーケィング部長。つまり前田氏の直属の上司で

まさに前田氏を育てた方なのです。

桑原氏はその後大阪支社長として後継社長と目されるまで

多くの人材を育て上げ、社内的には「桑原学校」とまで

社内で評されていたのです。

桑原氏は91年3月に近畿コカ・コーラ社長に転じ、

キリン本体から外されてしまいました。

著者は

「桑原さんが社長に就任していたなら、アサヒに負けることは

なかったでしょう」

 

何よりも一番搾りを開発し、キリンの最大の功労者である前田氏を

左遷させるようなことは絶対なかったと思います。

 

この本の題名のとおり、前田氏が「キリンを作った男」と

いうのなら、

「キリンを壊した男」こそは、「本山天皇」だったのでしょう・・・。

たぶんそう著者は言いたかったのだと思います。

 

93年3月。

桑原氏という後ろ盾のいなくなった前田氏は、

さらなる閑職に飛ばされてしまいます。

 

グループの洋酒メーカーキリン・シーグラムへ出向。

この時43歳。

あまりにひどい仕打ちではないでしょうか。

 

「マーケティングの天才」として名前が知られ始め、

脂がのり切っていた時期です。

 

申し訳ないですが、キリンの暗黒時代だったはずでしょう。

 

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同期でのちの社長になる前沢幸一氏と二人でビールを飲むシーンが

でてきます。前田氏の本音。

 

「キリンは、なんて酷いことをする会社なんだろう」

 

何だかサラリーマンの悲哀を感じますね。

どうでしょうか。

まるで半沢直樹が井川遥さん演じている美人ママに

愚痴を言っているシーンを見ているようですね。

 

「リアル半沢直樹」ということを

分かっていただけたでしょうか・・・。




その4 倍返しのサラリーマン人生



本山天皇体制は、やがて総会屋への利益供与事件の影響で終焉します。

その「茶坊主社長」がやっと失脚して、

96年3月にキリン社長に佐藤康弘氏が就任。

因みに佐藤社長は私と同じ早稲田大学商学部出身。

キリン初の私大出身社長ということから、キリンの古き体質がよく分かりますね。

実は、永年キリンは新卒採用の際に「指定校制度」を取っていたのです。

東大京大などの旧帝大と一橋大卒で私大は早慶しか採用しなかったのです。

 

ただ、就任早々佐藤社長は苦しんでいました。

当時売れ出していた発泡酒の開発にもキリンは着手しますが、

200も試作品を作りながら難航していたからです。

そこで佐藤社長は大英断!

 

97年9月、当時の佐藤社長はキリンシーグラムから

前田氏を呼び寄せるのです。

前田氏は本部商品開発部長に就任。

この時前田氏は47歳。キリンで40台の部長はただ一人。

つまり、「最年少部長」の誕生です。

 

これから7年もの間左遷されていた男の「倍返し!」のスタートです。

前田新部長は、わずか4カ月で「淡麗」を開発してしまうのです。

 

当時の販売目標は、98年12月末までに1600万箱だったのを

なんと!3979万箱も販売してしまうのです。

 

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まさに「倍返し!」

 

初年度の販売数としては「スーパードライ」を

はるかにしのぐ「最多記録」だったのです。

 

でも、これだけにとどまりません。

「マーケティングの天才」は01年7月に「氷結」を開発。

当時は缶チューハイが売れていたため、キリンも参入したのですが

前田氏のアイデアで缶チューハイのベースを

甲類焼酎からウオッカに切り替えたことで大ヒット。

 

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さらに、その後02年4月、糖質70%オフの発泡酒

「淡麗グリーンラベル」も開発。

健康系ビールとして大ヒット作となります。

 

これらの功績で04年3月末、前田氏は執行役員マーケティング部長に就任。

その半年後には執行役員酒類営業本部企画部長に。

 

さらにその後当時の加藤社長からも気に入られ、

キリンHD常務執行役員兼メルシャン代表取締役専務執行役員。

さらに09年1月キリンビバレッジ社長に。

 

実に、半沢直樹張りのドラマテックな展開でしたね。

マンガの「課長島耕作」から「社長島耕作」に駆け上がったような。

 

でも、やはり強烈な「オチ」が待っていました。

加藤社長はキリンとサントリーの統合計画を企てていたのです。

それが破談になって加藤社長は失脚。

加藤派と見られていた前田氏もキリンビバレッジ社長を解任。

結局キリンを追われることになってしまったのです・・・。

 

実はその後、前田氏がキリンを去ってから凋落の一途を

辿ってしまいました。

 

キリンのライバル(アサヒ?)社長の言葉。

 

「キリンは前田さんが作ったヒット商品に支えられていた。

キリンはそんな功労者を切ってはいけなかった。

こういう人事は、社員たちの士気にもかかわる」

 

本当にそう思いますね。

前田氏は、その後20年6月13日にすい臓がんで

亡くなります。享年70歳。

 

奇しくも29年前の6月13日

社長賞を受賞した日でした・・・。

 

さらには20年6月までの下半期で、キリンは09年以来、

実に11年ぶりにアサヒを逆転し、シェアトップに返り咲きます。

キリン全社をあげて「前田氏の弔い合戦」を

 

してくれたのでしょう・・・・。

「こんなサラリーマンが本当にいたのか!!」

 

リアル半沢直樹に心から感動しました。

とにかく一番搾りが飲みたくなりました・・・。

 

 

(ありがとう!キリン最大の功労者シリーズ おしまい)








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