その1 元ヤフーの社長
ご存じ元ヤフーの社長ですね。
実は小澤氏はこのブログで何度か登場してきています。
まず三木谷さんを取りあげたときに
小澤さんの名前が出てきました。
三木谷さんが楽天イーグルスを起ち上げ、
球団取締役として奔走したのですね。
この奮闘物語以前読んで感動しましたね。
まだその当時若干30歳。
楽天グループに入ったのもその前に起ち上げた
ビズシークが楽天に買収されたからなのです。
その後クロスコを創業。
これもなんとヤフーに買収されたのですね。
まさにソフトバンクの孫さんに買われからなのです。
結局この小澤氏は三木谷さんと孫さんに
20年も使えたのですね。
こんな方はまずいません。
なかなか魅力的な方なので取り上げましょう。
小澤隆生氏1972年生まれ。
私と一回り違いますね。でも同じねずみ年。
祖父の代で起業した小澤商事が生コンの事業を始め、
成田空港建設や東京湾アクアラインなどの影響で
大当たり。
一時は年商100億円に。
でもここで生い立ちが大事。
起業家の三代目であることは重要です。
しかし裕福な家庭に育ち、名門成田高校に
進学。
成田高校といと高校野球で有名ですね。
プロ野球選手も多いし、今だと、日ハムの
田宮選手。
小澤氏も野球部に。
その後早稲田大学法学部に進学。
私の後輩ですね。
でもここで重要な問題ですが、その後IT起業
しますが、完全な文系です。
早稲田ではゴルフサークルに入り、
優雅にボンボン生活。
1年の時には4単位しかとらず留年。
なかなか豪傑ですね。
昔からそういう豪傑は早稲田に多かったですから。
ただそんな優雅なボンボン生活はすぐ終わります。
小澤商事が傾きだしたからです。
当時市原市に借金60億円をして
五井グランドホテルを開業。
でも見事にこれが裏目に・・・。
これをきっかけに小澤氏は起業を思い立つ・・・
ちょっと出来過ぎたシナリオですね。
その2 起業のためにCSK入社
学生の身でありながら借金返済のために、
起業を決意します。
それで小澤氏の就職の下りが面白い。
早稲田法学部卒だから文系ですね。
「システムエンジニアリング(SE)希望」
IBM、富士通、アクセンチュア、
プライスウオーターハウス・・・
ことごとく落とされます。
ただどういうわけかCSKに内定。
1995年4月晴れてCSKに入社。
1995年というとどういう年か覚えていますか?
1月に神戸大震災、3月に地下鉄サリン事件。
そしてその年の11月23日、
Windows95が発売された年だったのです。
まさにインターネット時代の幕開けを告げた変革の年
当時のCSKは大川功氏が大阪で、コンピューターサービス株式会社
を設立し1985年に東証1部に上場。
勢いがあった会社なのですね。
小澤氏があこがれるまさに起業家です。
実は、野村證券出身の方が次の社長になるなど、野村とも
関係が深くよく覚えていますね・・・。
内定式の下りが面白い。
「内定式の日、小澤はなんと白づくめで現れた」
「入社式はベージュのスーツ」
とにかく同期の間では小澤は知らないものいなくなるくらい。
そこで入社式の後、同期のSEに、
「僕は将来、起業をすることを考えている。
一緒にやるヤツいないか?」
なかなかの人物ですね。
会社がこれを聞いたらどう思ったかと感じましたが
それくらいの意気込みで入社する人はまずいないでしょう。
しかもIT知識に対してまったくの素人だった小澤氏は
会社の研修を利用して習得。
このあたり抜け目ないと思いませんか。
それでいながら、毎週木曜日夜7時半から、新宿東口
シャノアールに集まる。まさに起業のための勉強会ですね。
だんだん仲間も絞られてきて6,7名に。
参考になりませんか。
「考えて考えて考え尽くすことによってビジネスチャンスは
花開く。必要なのは徹底的なブレインストーミング。
アイデア出しの千本ノック。自分の頭だけでなく、
仲間の頭脳もフル活用する。」
でも現実はなかなか厳しい。
そう簡単にはできないのが起業ですからね。
でも時代はインターネット黎明期。
さぞ楽しかったと思いますね。
ようやく当たったのが、入社2年目の1997年2月
「Bizseek 古本探しのお手伝いサービス」
その3 リアルエグジット
創業したBizseekを結局は楽天に売却します。
これを「エグジット」というのですね。
本来なら上場公開を目指すのですが、
手っ取り早く資金回収をする方法を
「エグジット」というのです。
小澤隆生氏起業の成功例です。
でもどうなのでしょうか?
ネット上で今でもこのM&Aが見れます。
まさに実例なのでエグジットということが
勉強になるでしょうね。
上場企業である楽天は当然開示義務がありますかね。
小澤氏が平成9年3月にビズシークを立ち上げ、
会社設立後さらに2年あまりで売却です。
買取りの内容まで記載されていますね。
売上わずか2000万円の赤字会社でも
楽天の購入額は12億3520万円。
全部で1544株ですから、一株80万円。
小澤氏からの買取株数は341株。
つまり2億7280万円。
すごいですね。
資本の額の推移みれば資本取引が分かります。
小澤氏はもともと資本金1500万円で設立したことと
その後ベンチャーキャピタルに出資を受けていたことも
分かります。
ということは小澤氏は1500万円を2億7280万円で売却。
20%の源泉分離払っても2億2000万円は残ります。
でもここでいやな記述がありました。
「ビズシークを楽天に売却したことを知った融資先の
C銀行が、回収の好機到来と交渉を持ち掛けてきた」
略歴見ると平成9年12月に
「玉井グランドホテル常務取締役就任」
とありますから、保証人でもなっていたのでしょう。
「土地や家、現預金をすべて押さえられ、
父は自己破産することになった。
会社は複数社に切り売りされた・・・。
自己破産後父はみるみる元気がなくなり、・・・
残念ながら破産から5年後この世を去った」
小澤氏の陰と陽のお話。
起業家の成功を体験したと同時に、
起業家の不幸な結末までを知ったのです。
これはその後起業家として成長するための
貴重な経験だったのでしょう・・・。
その4 東北楽天ゴールデンイーグルス
楽天にBizseekを売却しましたが、ここで
勉強になるのは「キーマン条項」ということ。
M&Aで起業を売却しても通常は
「代表取締役であるキーマンは退職できない」
こんな決まりがあるのですね。
これをキーマン条項というのです。
それにより辞めずに残っていた2年後。
楽天は球団を設立することになったのです。
ご存じ「東北楽天ゴールデンイーグルス」。
楽天球団の参入が決まったのは2004年11月2日。
本拠地開幕が2005年4月1日。
わずか5か月しかありませんね。
この5か月間のこと書くのをこれで3度目ですね。
三木谷さんの本でもビズリーチの南壮一郎さんの
本でも必ず出てくるところ。
三木谷さん39歳。小澤氏32歳。若いですね。
それに社長となるリクルート出身で宇野康秀氏と
ともに人材派遣会社のインテリジェンスを起業した島田亨39歳。
後の「ごちくる」を運営するスターフェスティバル岸田祐介30歳。
ビズリーチを創業する南壮一郎30歳。
この5か月間の疾風怒濤の日々。
「朝8時に仕事が始まり、朝5時まで会社でやって、
3時間会社で寝て、次の日に突入していくという
生活が続きました・・・」
結果、楽天イーグルスの1年目の成績は、38勝97敗1分。
初代の田尾監督は1年で交代。
それでも当初10億円の赤字予想が初年度1500万円の黒字。
パリーグ球団で唯一黒字を達成。
「球団の成績は最下位だったが、球団経営では見事優勝」
これだけピカピカの経営者の中でも揉まれた小澤氏は
実に幸せだったでしょうね。
生きた経営学の習得です。
世界中のどんな立派な大学でも、それこそMBA で学んでも
教えてくれない実践経営学。
「ただ働きに近い形で手伝ってくれた学生も皆立派になった。
当時楽天の内定者としてアルバイトしていた高坂俊介氏は
2022年千葉ロッテマリーンズの社長に。
他にも楽天イーグルスの社長、プロバスケットボールの
オーナーなど“社長”が10人以上いる」
今でも何年かに一度、球団創業メンバーで集まるが、
集まるたびにいろいろな話がでてきて、
それが面白過ぎて皆で大笑いする。」
心の底からうらやましいと思いませんか・・・。
その5 ライオンキングに出たい
東北楽天ゴールデンイーグルスを立ち上げた後
2006年、34歳の小澤氏は楽天を退職します。
退職理由はやりたいことやりたいから。
「ライオンキングに出たいから」
ということで劇団四季のオーディションを受けます。
「ホントかよ〜」
と突っ込みたいところですが
でも当然ながら落ちます。
2007年ごろ
南青山にビルを建て、自宅兼スタートアップの
シェアオフイスを作るのですね。
ここで「小澤起業家牧場」をはじめるのです。
個人的には私ももう少し資産があれば、
起業家支援アパートを都内に10棟くらい
建てたかった・・・!?
ここから次々に起業家を育てます。
まず盟友岸田祐介氏の設立したスターフェスティバル
の「ゴチくる」を軌道に乗せます。
コロナ禍の期間を乗り越え、今は年商100億円を
越える規模にまで成長し、上場の夢を目指すまでに
なってきています。
クラウドワークスを立ち上げた吉田浩一郎氏の
記述が面白い。
東京学芸大を卒業した吉田氏は、次々に新規事業を
起ち上げてきた起業家。
手を出した事業は13に及ぶ。
でもことごとく失敗。
失敗した理由は、
「少し成功すると、すぐアメ車に乗ったり、
高価なワインを飲んで浪費してしまうこと」
中小企業ではこれ結構よく聞くお話です。
これでは誰もついてこないから失敗するのだと。
2010年12月すべてが失敗。
36歳にして初めて悟るのですね。
ここでクラウドソーシングの将来性に気が付き
新たなチャレンジ。
持ち金3000万円をつぎ込んで最後の賭けに。
ここで小澤氏に頼るのですね。
でも
「失礼だが、君は粉飾をしそうな感じが
するんだよね」
まあ、何となく想像できますが、浪費型の人は
見栄っ張りです。
決算書も見栄を張るのかもしれませんね・・・。
2011年11月11日。
クラウドワークス設立。
それから3年後の2014年12月2日。
本当に東証グロース市場に上場させるのですね。
その6 今度はヤフーに買収
2012年9月。
自身が起業したクロスコもヤフーに
買収されます。
ヤフーの狙いはずばり
「ECを担当してほしい」
ということ。
当然楽天での彼の業績結果を買われてでしょう。
でもきっぱり断ります。
楽天への忠義立てだったのでしょうか・・・。
それで小澤氏はベンチャーキャピタル
「YJキャピタル」の投資責任者に。
でもこの小澤氏のベンチャーに対する眼力は
実に鋭い。
設立2年でIPOした出資先が3社。
その頃クラウドワークスも上場させ、した2014年頃。
まさに小澤氏は「小澤起業家牧場」と呼ばれるに
ふさわしい業績。
因みにそれから10年後の2023年5月。
YJ第一号投資事業組合は満期となり、
出資者数19社で11社がIPOし、
1社M&Aという驚くべき成功率。
出資額24億円収益約140億円もあげ
まさに「小澤マジック」と呼ばれます。
でもやはりヤフーの執行役員兼
ショッピングカンパニー長に就任。
ヤフーの孫正義が「eコマース革命」を
ぶちあげます。
その際に孫氏と食事をした記述が実に面白い。
孫氏が小澤氏にYJキャピタルについて
問います。
ちょうどすごい業績を上げだした頃。
小澤氏は孫氏に自慢げにいいます。
「今は30億円ですが、できれば100億円くらいには
もっていきたい。」
でもそれを聞いた孫氏は
「30億円ではなく200億円にしたら?」
「それなら1000億円に。」
怒り出した孫氏は
「まあ1000億円はすごいけど、その程度で
いいんだ。はあ・・・」
「お前、1兆円、2兆円のeコマースの大勝負を
しているときに、そんな小さな金額やめてくれない?
本当にやめてくれな?」
恐るべき孫氏・・・。
でもそれが小澤氏の大きな成長をもたらしたようです・・・。
その7 ヤフーの社長に
小澤氏は孫正義氏の一言で覚醒します。
単なるベンチャーキャピタルからヤフーとの
シナジー効果で企業価値を上げる投資へ。
具体的なターゲットは一休とZOZO。
一休の2015年3月期の営業利益は22億円。
一方でのヤフーの営業利益は1972億円。
買収金額は1000億円。
ヤフー始まって以来の巨額M&A案件。
2015年12月15日。
株式市場が閉まると同時に買収が発表。
株式公開買い付け(TOB)で
1008億円を投じて完全子会社化に成功。
その後2019年小澤は取締役専務執行役に昇格。
ここでZOZO買収へ。
2018年のヤフーのEC事業売上高は2兆3442億円。
それに対してZOZOは3113億円。
ライバルである楽天3兆4000億円との差は
一気に縮まる。
2019年9月12日。
ZOZOへTOB。
買収額は4007億円。50.1%。
前澤社長は37%保有の持ち株を売却して経営から
退きます。
すごいですね。
2社で5000億円!
ヤフーの規模感。
その2社の買収の間、2018年10月5日。
PayPayサービスの開始。
この下りが面白い。
ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」もじって
当初「PayPay Pay」が候補だったと。
結局「ヤフーPay」にはならず「PayPay」
これら業績をひっさげ、2022年1月31日。
ついに50歳ながら代表取締役CEOに。
しかし、その翌年2023年。
Zホールデイングス、ヤフー、LINEなど5社が
10月1日付で合併。社長を退任。
すごいキャリアですね。
2024年1月9日。
ブーストキャピタルを創業。
「停滞感のあるこの国を一気にブースト
しようという壮大な企て」
2024年10月早稲田大学商学部寄付講座に
登壇。
演題は「10兆円ビジネスの作り方」
早稲田大学商学部11号館501号室は超満員。
11号館懐かしいですね。
私もぜひ行ってみたかったですね・・・。
「日本で最も優秀な起業家」
それを小澤隆生・・・。
(がんばれ! 日本一のベンチャー
キャピタリスト シリーズ おしまい)