その1 経営の神様の失敗 


パナソニック


話題の本です。
パナソニックとは昔の松下電器産業ですね。
今から7年前、2008年(平成20年)に社名を変更しました。
「松下」とか「ナショナル」というブランドを統一して「Panasonic」として
世界進出するためというのが公式理由らしいですが、
やはり本音としては「松下」という金看板を外したかったのでしょうね。


松下電器産業はご存知の通り、丁稚奉公から身を起こした松下幸之助氏が
一代で築きあげた日本最大最強の企業。


松下幸之助氏はよく「経営の神様」と呼ばれますね。
私もその「神様」の本を何冊も読んできました。



経営に役立つ本としても取り上げようかと思っていましたが
有名すぎて少し気が引けるくらいですから。
以前松下政経塾の本を取り上げたくらいですね。こちら


しかし、この本を読んですぐ感じたのは、
「経営の神様でも失敗することがあるのか・・・・」
これは正直驚きでした。


神様に対して失敗というのは語弊があるかもしれませんが、
この著者はまさにそういっています。


何を失敗したかというと「後継者問題」


「後継者問題(=人事問題)がうまくいかなかったからこそ、
今のパナソニックの低迷がある・・・」と。

 

これは中小企業の顧問税理士として切に思います。
多くの中小企業経営者に読んでいただきたい本だと・・。





その2 偉大な婿殿 



経営の神様は後継者問題に失敗した・・・。
この驚愕の事実に、松下家を大いに勉強させていただきました。


カリスマ経営者松下幸之助氏には、一人娘、幸子さんはいたものの
男の子はいませんでした。
そこで幸子さんの婿として松下家に迎えられた方が
「松下正治氏」
この方がこの本の主人公です・・・。


まず家柄と経歴がすごいです。
伯爵平田英二の次男で、母親は三井財閥本家とも
親戚筋にあたる子爵前田利昭の長女という華麗な家柄。
ご本人も東京帝国大学を卒業後、三井銀行に勤務。


それが28歳の若さで、前途洋々の銀行を退職し、
松下家の婿養子です。
幸之助氏はもともと家業が破たんした影響で、
尋常小学校を4年生(今の小学校4年生)で中退した身で、
今でいう「ベンチャー企業の経営者」
これでは「とんでもない縁談」だったのでしょう・・・。


正治氏は予定通り、10年で副社長に昇格し、(38歳)
49歳の若さで2代目松下電器社長になります。
もちろん、予定の行動だったのでしょう。


松下幸之助氏は1989年(平成元年)94歳の長寿で亡くなられています。
会社創業し70年で、売上高6兆円、
本社だけで4万人の従業員を抱える世界企業に
成長させています。


実は2代目正治氏も長寿でした。
なんと享年99歳!
平成24年に亡くなったそうですからつい最近なのですね。


このカリスマ経営者の2代目の長寿が
パナソニックを低迷させた原因だったのです・・・!?






その3 二代目の力量 



経営の神様は、二代目の経営者としての力量を
早くから見切っていました。


でもここは大事なところですが、どうしても首を切れなかったのですね。


東京帝国大学卒業の学歴と三井銀行のキャリアまで捨てて
ベンチャー企業に婿入りしてくれたのですからね。


でもこの二代目の首を切れなかったことが、その後の松下電器の
低迷を招いたと筆者は断言しています。



松下幸之助氏のものすごい「遺言」が伝えられています。
これは正直衝撃でした。
松下三代目の社長は山下氏なのですが、
1980年(昭和55年)に当時の山下社長に幸之助氏は
こう言っています。


「ポケットマネーで50億円用意するから、
これを正治さんに渡し、引退させたうえ、
以後経営にはいっさい口出ししないように
約束させてくれ。」


すごいですね。50億円もです。
でも正治氏には50億円くらいなら「はした金」だったのでしょう。


それはどうしてでしょうか。
何故なら、1980年の松下電器は、業界初の売上高2兆円の大台を超え、
経常利益1385億円の過去最高益を記録していたからです。


しかも、幸之助氏は私財70億円をも投じて「松下政経塾」を
開塾していた頃です。
ただ私に言わせたら、50億どころか500億円渡しても
絶対に引退させるべきだったでしょう。


それは何故か。
「誰も言わない」税理士らしい「突込み」を
これから真面目に入れていきます・・・







その4 幸之助の相続問題 



では松下幸之助氏の相続問題を取り上げたいと思います。
すいません。かなり本題から外れます・・・・。


幸之助氏が亡くなったのが1989年(平成元年)。
まさにバブルのピークでした。


株や不動産が値上がりし、「相続破産」という言葉が生まれたほどの
時代でした。



幸之助氏は長者番付で10回も全国1位を記録し、
40年連続で全国100位以内に登場したくらいの日本最高の「億万長者」
一世代で5000億円もの資産を築き上げたとされる方です。


では幸之助氏が亡くなった時の相続税はいくらだったのでしょうか?
これは大変有名なお話であり、相続税を勉強すると必ず出てくる事例なので
ぜひ知っておいていただきたいのですね。


実は、当時は相続の高額納税者がすべて公示されていたのですね。
(2006年で廃止され今はない)


よって松下家のすべてが開示され国民全体で知ることとなりました。
公示された遺産総額は2449億円!
まさに史上最高額で、今もってこの額は破られていません。
ただそのうち97%以上の2387億円相当が松下グループの株。


いったい相続税額はいくらだったのでしょうか?


なんと!854億円。

確かにこの金額は驚きますが、遺産全体2%ほど。


個人的には、「相続破産」どころか大したことない・・・。
そう思いませんか?
これは税務的に説明すると、遺産の半分を奥さん(むねの氏)が
相続したからなのですね。
これは配偶者控除と呼ばれ、相続税がかからないのですね。
これも配偶者控除としての有名な事例。


むねの氏自身も93歳であったことから、またその後巨額の相続税を
払うことになります。
これは2次相続対策としての有名な事例。



それと因みに、幸之助氏の愛人の子4人にも相続されました。
(幸之助氏はそういう意味でも偉大でした・・・)
一人80億ほど・・・


こういうことが公示制度が廃止された理由ともいわれていますが、
愛人の子が相続した額で日本最高!
これまた相続事例で有名なお話!?






その5 典型的な世襲の問題 




幸之助氏の天文学的な相続は本当に勉強になります。
でもここで大事なことは、松下電器はじめとした多くの株式が
2代目の正治氏に相続されたこと。
松下電器のオーナーとしての地位も相続されていることなのですね。



話しを戻すと、幸之助氏が
「正治氏を経営に一切口を出さないように」
といった「遺言」を3代目社長山下氏に言ったのが、1980年(昭和55年)。
幸之助氏が亡くなる9年前です。
この時正治氏は68歳。会長に退いてからまだ3年しか経っていません。


山下氏は正治氏の7歳年下の社長の立場。
高卒で松下電器入社後異例の大抜擢で若くして社長になった身です。


いくらなんでも「神の子」正治会長に、ここで

「退いて経営に口を出さないでくれ」

とは絶対に言えないですよね。
この引導を渡すのは、やはり幸之助氏の役割だったのでしょう。


幸之助氏は経営者として素晴らしい書籍を多く残しています。
自身も経営者としては80歳でスパッと引退しています。
その引き際は実に見事だと思います。


実は正治氏の子供に正幸氏がいます。
幸之助氏は血がつながった孫は可愛かったに違いありません。
婿に経営から手を引けということは、松下家の世襲を自ら封印することに
なります。
この時孫の正幸氏は35歳。正治氏は自分が会長として権力を維持し、
子供に世襲させたかったに違いありません。
事実、幸之助の実の娘であり、正治氏の妻幸子氏はそれを何より
望んでいました・・・。


「世襲」とは、なんだか典型的な同族経営のお話ではないでしょうか。
老舗と言われる多くの中小企業である問題でしょう。


経営の神様としても自分の婿を経営から退けること、
つまり「世襲」をしないこと、これはなかなかできないのでしょうね。


これが本当に出来ていたら、
まさに「神」と未来永劫呼ばれたに違いありません・・・・。






その6 松下成長の時代背景 


松下電器の事業承継は、どこの中小企業でもある相続問題と同じで
非常に参考になりますね。


2代目正治氏が社長になったのが、49歳、1961年(昭和36年)
その後17年間も、65歳になるまで社長を続けました。


ただ、すでに書きましたように、幸之助氏は正治氏の社長としての力量を
見切っていたため、実際は会社の重要な決済はさせなかったようです。


ただ時代背景は良かったのですね。
東京オリンピック景気や昭和40年代のいざなぎ景気。
白物家電はほっておいても売れたのですね。
1970年(昭和45年)の万博まで続きます。


本題とそれてしかも古いお話で恐縮ですが、
万博の松下館は2時間以上並んで見ましたね。


幸之助会長・正治社長の体制は変わらないのですが、
どうもこの二人の仲はあまり良くなかったと思います。
小学校中退の丁稚奉公あがりと、東京帝国大学卒の銀行マンでは
合う訳ないでしょうね。


幸之助氏の本は何冊も読みましたが、以前取り上げた
「志のみ持参」
など幸之助氏の考え方を学ぶ貴重な本でしたからね。こちら


幸之助氏の経営学の一つに「トイレ掃除」がありましたね。
帝国大学卒の方には「トイレ掃除」など経営学では
絶対ありえなかったはずですから・・・。






その7 ドロドロの人事抗争 




松下幸之助氏と正治氏の確執がかなりあったことが想像されますね。
1989年(平成元年)幸之助氏が死去すると、
正治氏への包囲網がさらに強くなります。



1991年(平成3年)の決算で過去最高の連結純利益2589億円を達成し、
「幸之助の松下」から「世界の松下」へ生まれ変わる必要性があったのでしょう。


創業家がいつまでも経営の中枢に留まっていては困ると考えた
当時の4代目谷井社長は正治氏へ引退を迫ります。


この頃正治氏は80歳。幸之助氏がかつて引退した年です。
でも正治氏は首を振り、それどころか反撃に出て
谷井社長を辞任まで追い込みます。


このあたり松下電器のドロドロした内紛は実になまめかしい。
その後当然正治氏寄りの5代目社長森下社長が就任。
当時進められていた大型買収案件MCAなど谷井路線を全面的に見直し。
それこそが松下低迷の原因であると筆者は書いています・・・・。


それどころか正治氏がその後長い間、人事まで介入し、
松下電器の会長として「院政」をしいてしまうのですね。


まさにこの本の題名の通り、
「パナソニック人事抗争史」
正治氏の幸之助氏への反発と、実子正幸氏への後継・・・。



世界の松下どころか、まったくそのへんの中小企業と同じですね・・・。







その8 会社は誰のものか 



ここで私がよくこのブログで掲げるテーマ

「会社は誰のものか」

をつい考えてしまいますね。


松下家=創業家 としては、当然 

会社=株主のもの 


なのでしょうね。
正治氏は大株主でもあるのですから、オーナー一族としてふるまうのですね。
オーナーとして発想は、そこらの中小企業とまったく同じです。
息子の正幸氏に社長を継がせたいと思って至極当然ですね。


でも連結純利益を2589億円も上げる世界企業です。
全世界に数万人にも及ぶ従業員がぶら下がっているのですね。


会社=従業員のもの


とも当然いえるでしょうし、
全世界に松下製品を使っているユーザーが何千万人、何億人もいるのですね。


会社=お客様のもの


とも一方で言えるのでしょう。


面白いスピーチが残っています。
これは1997年(平成9年)のスピーチらしいですから、
山下氏が3代目社長を退任(1986年)してから11年後のことです。
正治会長の経営に対して、山下氏は痛烈批判しています。


「今の松下はおかしくなっている。孫というだけで松下正幸氏が
副社長になっている。役員陣の8割は正治会長派・・・」


ズバリ世襲批判をしているのですね。


その間ずっとこの正治氏が院政を続けていたことを意味します。


事実取締役会はすべて正治会長の顔色を窺って行われ、
反対する役員はすぐ辞表を提出させられたそうです。
まさに松下電器は本当におかしくなってしまったのでしょうね・・・。



正治会長の中小企業の社長のような発想が原因です。
大企業の社長さんにあるまじき発想。


ハッキリ書きます。

会社=オレのもの・・・。






その9 2代目の長寿があだに 



その絶対的な権力者、正治氏が取締役相談役名誉会長の職を辞したのが
2012年(平成24年)6月。
正治氏は99歳という長寿で亡くなられるほんの1月前。


パナソニックに生まれ変わっても、取締役という「現役」に留まったのです。
逆に言うと、最後まで会社は正治氏を辞任させられなかったのですね。


つまり、幸之助氏の「遺言」は守られなかったのです。
筆者は、これこそがパナソニック低迷の原因であると・・・。


しかし正治氏の野望も最後まで果たせませんでした。
つまり、息子正幸氏は残念ながら社長にはならなかったのですね。


2000年(平成12年)に55歳の若さで副社長から
副会長に「降格」させられ、社長への道は完全に閉ざされてしまったのです・・・。


それは何故か?
結局は「世襲批判」ということなのですが、
この本には書いていないですが私も独自に研究しました。
しかし、松下家を勉強すると「中小企業」の実態が見えてきますね・・・。


ズバリ、「松下興産の破たん」がその理由です。

松下興産とは幸之助氏が作った松下家の資産管理会社です。
資産管理会社とは、オーナーが所有する株式や不動産を会社に移して
いわゆる「節税」のために設立されるものです。


その話をしたら長くなるので、今度にしますが、
幸之助氏の遺産が2449億円もあったのにその相続税額が、わずか854億円しか
なかったのは多分この節税効果ではないかと思っています・・・
(そのお話はいずれ)



昭和の頃、証券会社では
「持ち株会社を作って節税しよう!」
というのが流行りましたから。
私も野村證券の新入社員研修で勉強したのを今でも覚えています・・・。


幸之助氏は株式投資が大好きだったことは有名なお話ですね。
その「趣味が高じて」ナショナル証券を作ったくらいですから。
たぶん資産管理が大好きだったことは間違いありません・・・。






その10 2代にわたる婿殿ため・・・ 



松下興産の社長は幸之助氏が1983年(昭和58年)まで
ずっと勤めていました。


そのあと社長になったのは、正治氏の娘婿の関根恒夫氏。
この方は埼玉の建設会社のご子息で、就任直後から、
松下興産を「リゾート開発会社」に変革していきます。
有名なお話ですが、あの北海道夕張市へも幸之助のご威光を使って、
リゾート開発を進めたのですね。


でもお分かりの通りバブル崩壊。
2000年(平成12年)には7700億円もの有利子負債。
1400億円もの債務超過。
松下電器自体が傾きかねない多大な損失です。


この会社を助けるため、松下電器本体だけでなく、
松下家も資金拠出します。
そのため幸之助氏の遺産であった松下電器の多額の株式を
売却したと言われます。


結局これが原因で孫の正幸氏(つまり関根氏の義弟)は
松下電器の社長になれなかったのですね。



こうして考えると、松下幸之助氏が一代で築き上げた巨万の富を、
2代に渡る「娘婿」がほとんど食いつぶしてしまったと
いうことになるのでしょうか・・・。


よく

「相続が三代続くと財産は無くなる」

と言われますね。
幸之助氏のこの巨額の相続が例に上げられることもあります。


でも本当は違うのではないでしょうか。
昭和を代表する偉大な企業家の作り上げた財産を、
結局その後継者2代が浪費してしまったということなのですから・・・。

 

どうですか?


大企業のお話でもあるのですが、
多くの中小企業経営者の方に読んでいただきたいと
私が申し上げた理由がお分かりになりましたか?

 

(がんばれ!パナソニックシリーズ おしまい)

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