その1 朝ドラのネタから
NHKの朝ドラ「まんぷく」をご覧になっていますか?
面白いですね。
毎朝本当に楽しみです。
昨日ついに「キチンラーメン」(ドラマではまんぷくラーメン)
の開発に成功しましたね。
日本国民中が喜びに沸いたでしょう・・・。
ところで、この物語は、「チキンラーメン」を作った
日清食品の創業者がモデルとされているのですね。
でも見ていて驚きましたが、主人公が逮捕拘留されること2度。
会社倒産させられたり、自己破産させられたり・・・。
なかなか実に波乱万丈なのですね。
「そんな訳ないだろ・・・」
と突っ込みながら見ていたのですが、
「これは史実に基づいたフィクションでは・・・」
と思っていたのですね。
事実このドラマの原作本はないそうですから。
でも、
「これが本当に事実で会ったらビジネス的に参考になるのでは・・」
と思いながら見ていたのです。
そう疑っていたら、本当の意味での「タネ本」を見つけました。
ご本人が書いた「半生記」なのですね。
今から16年前の平成14年3月に
この主人公 安藤百福氏がなんと92歳で出版した本です。
内容に驚きます。
本当に朝ドラの通りです。
でも朝ドラというのは、万人受けするように、
「家族のものがたり」
であったり
「夫婦のものがたり」
にしていますからね。
事実、「萬平さんを支える福子の物語」に
NHKはあえてしています。
でもこれをビジネスの観点からとらえたら、
「最高のベンチャービジネス物語」
なのですね。
安藤百福氏がこの魔法のラーメンの「チキンラーメン」を
開発したのがいくつだと思いますか?
なんと48歳です。
無職、無一文となり、研究の末ついに開発したのです。
これは本当に
「日本一のベンチャービジネスの教科書」
ではないでしょうか・・・。
その2 台湾で大成功
安藤百福(ももふく)氏。
1910年(明治43年3月5日生)
この方はなんと2007年(平成19年1月5日没)ということですから
96歳(数えで97歳)で亡くなったのですね。
憲兵に捕まって逮捕抑留されて瀕死の重傷を受けたのは
事実らしいので、それでも長生きされたのですね。
「チキンラーメン」は長寿の薬なのでしょうか・・・・。
この本は唯一安藤氏が書かれた本のようです。
書いた理由は、その直前に日本経済新聞の「私の履歴書」を
書いたことがきっかけだったそうです。
戦後の日本経済を支えた経済人でしたからね。
15年間再三この「私の履歴書」の執筆要請を受けていたものの、
断っていたそうですが、
「インスタントラーメンは二十世紀最大の発明と評価されているのに、
安藤さんが私の履歴書に出ないのはおかしい。
何か人に言えない具合の悪い事でもあるのかと思われますよ。」
という殺し文句でようやく書いたそうです。
日経に掲載されたら、案の定大反響それでこの本が出版されたのですね。
朝ドラではあえて隠されてますが、実はこの方台湾人なのです。
日本統治時代の台湾で生まれました。
実は幼い頃にご両親を亡くされています。
お父様は相当な資産家だったそうです。
兄が二人、弟一人の4人兄弟。
その後祖父母のもとで育てられたのです。
義務教育を卒業すると家業の手伝いです。
ということは大学を出ていないのですね。
驚きましたね。
「発明家」として有名な安藤氏が大学を出ていないのです。
祖母の家業は織物の仕事。
そこで商売の基本を叩き込まれます。
22歳で早くも独立。
台北市にメリヤス販売の会社を設立します。
商売は最初から大成功。
やはり安藤氏は商売の才覚に長けた方なのですね。
このあたりの台湾での仕事ぶりはNHKでは
あえてカットされています。
なぜならその後第二次世界大戦が勃発したからですね。
戦時中となり繊維の仕事がやりづらくなって
幻灯機の製造を始めます。
でもここで物資横流しの罪で本当に憲兵に捕まったのですね。
「ワナにかけられ拷問」・・・。
大変だったのでしょう・・・。
このあたりから史実通りに朝ドラは進みます。
その3 35歳で製塩業
安藤氏は終戦直後の昭和21年(1946年)
35歳の時にドラマの通りに、泉大津で製塩業を営みます。
この方は本当にベンチャースピリッツにあふれた方ですね。
もちろん、塩作りの経験はありません。
そこそこ塩は作れたらしいのですが、
ドラマのような上質の塩ではなかったようです。
またドラマと違うのは、当時から政治家のパイプが
あったようです。
彼らのアドバイスを受け、事業を拡大していきます。
名古屋に全寮制の学校を作ったり、大阪でも事業を起こします。
その後、ドラマのように栄養食品を開発していきます。
「ダネイホン」ではなくて「ビセイクル」というもの。
ペースト状のものをパンに塗って食べるもの。
その後、脱税で逮捕。
「若者に支給していた奨学金が所得とみなされ、
源泉徴収義務違反」
これはすごいですね。
本当にこれで逮捕ですから。
裁判になり、「四年の重労働」という判決。
????これは意味が分かりませんね。
当時は税理士という職業が確立されていなかったのでしょうか??
これは本人いわく、
「みせしめに使われたようだった」
まさにGHQの策略だったようです。
ドラマのように、本当に税務当局と争ったのですね。
京都大学法学部長を務めた黒田學博士に6人の弁護団を
結成してもらい、処分の取り消しを求めて提訴。
2年も争ったのですね。
その後本当に大阪の信用組合の理事長に。
史実に本当に基づいているのですね。
「もともとこの信用組合は金融業務の専門家がいない
素人集団だった。貸方がルーズだったこともあり、
あちこちで不良債権が発生していたのである。」
ドラマでは不景気のせいで、経営が傾いたように描かれたのですが
ちょっと違いますね。
信用組合は破綻し、理事長としての社会的責任は問われ、
財産を失います。
でもこの経験がその後生かされています。
日清食品は無借金経営を貫いたそうですから。
金貸しを経験し、金貸しの理論を知っている経営者は
本当に強いのですね・・・。
その4 46歳無一文から
信用組合が破たんし本当に無一文に。
この時46歳。二人の子供がいるのですね。
普通なら生活のために職を探そうとするのでしょうけど、
この方は精神的に強いのですね。
「失ったのは財産だけではないか。
その分だけ経験が血や肉となって身についた。」
そう考えると新たな勇気が湧いてきたそうです。
ここでラーメン開発に挑みます。
ドラマにでもでてきますが、
これが「ラーメン研究小屋」。
「昔なじみの大工さんに頼んで10uほどの小屋を
作ってもらった」
そうです。
こんな「掘立小屋」で(失礼!)本当に20世紀最大の発明が
生まれたのですね。
ここで「発明の小屋」としてよく言われるのが、
アップル社の創業者、スティーブ・ジョブスのガレージ。
彼も自宅のガレージで、これも世界的な大発明「コンピュータ」
を作ったのですね
日本の大発明の小屋と比べられないくらいデカイですが
アメリカンですからね。
アメリカのガレージは巨大なのですね・・・・。
日本の大発明家は、この小屋で
「平均睡眠時間は4時間。こんな生活を丸一年間、
一日の休みもなく続けた・・・」
すごいですね。
ドラマの通りなのですが、これこそ「ベンチャースピリッツ」ですね。
周りからどんな目で見られたのでしょうか?
奇異な目で見られたでしょうね。
子供2人もいて無職でラーメン研究していたら
どうみられるのでしょうか。
ドラマのように「ラーメン屋の子」としていじめられたのですね・・。
私も31歳で子供二人いながら無職になって
税理士を目指した頃を思い出しました・・・・。
まあ、周りの目なんか気にしているようではダメなんですね。
昭和33年(1958年)の春。
48歳の時にようやくラーメンが完成。
家族一丸となってラーメンを開発したのですね。
この本で一番感動した写真。
チキンラーメンは本当に家族の力で開発したのです・・。
ちなみに、真ん中にどんと構えているのが、
奥さんの仁子さんの母親の須磨さん。
松坂慶子みたいで「ウザかわいい!?」
その5 このチャレンジスピリッツをぜひ
いろいろもっと書きたかったけど、朝ドラの「ネタバレ」になると
思ってしばらく遠慮していました。
ここ数日は本に書いてある通りに進行していましたから。
でもこの物語は、チキンラーメンを開発するところまでが
面白いのですね。
こも、これ以上の先の話もネタバレになり書けないので、
この辺で終わりにしましょう。
何度も書きますが、このチキンラーメン開発物語を通して、
このベンチャースピリッツをぜひ真似していただきたいのですね。
失敗を恐れずどんなことでもチャレンジしてほしいのです。
それには年齢なんて関係ない事を、萬平さんは教えてくれましたね。
でも新しいことをやるとすぐ真似する人が出てきます。
朝ドラのストーリーの通りなのですが、これもビジネスで参考になりますね。
しかし、それを防止するために特許というものがあるのですね。
これも勉強になりましたね。
「瞬間湯熱乾燥法」
という特許を出願してこれが認められたのです。
これはチキンラーメンという麺の製造法に関する特許でした。
「チキンラーメン」という商標の特許も当然とったのでしょう。
特許の問題は、いろいろ書きたいのですが、これはまた別の機会に
譲りましょう。
しかし、ビジネスは本当に真似する人が必ず出てくるのですね。
でもラーメンのレシピそのものはどうなのだろう?
特許が取れるのだろうか?
このあたり疑問に思いませんか?
当事務所の隣に、「つけ麺発祥の地」とされる
「大勝軒中野店」があります。
山岸一雄氏がここでこのつけ麺を考案したのですね。
その後、昭和36年(1961年)に豊島区東池袋に
「東池袋大勝軒」として独立して、つけ麺を広めたのです。
年代的にチキンラーメンの発売直後ですね。
もし、その当時にそのレシピの特許が取れたらとんでもないことに
なったのでしょうね・・・。
でも、たぶんそのレシピの特許そのものがないのでしょうね。
ですから、美味しいものを作れば、また誰かが真似し、
販売している値段より、安いものを誰かが販売し・・・・。
飲食店をそれを繰り返すからこそ、たいへんなのでしょうね。
チキンラーメンを何十年ぶりに買いました。
「こんな味だったのか・・・」
妙に懐かしかったです。
大勝軒のつけ麺も確かに美味しいと思いますが
萬平さんのチキンラーメンをぜひ味わってください。
これを食べると何だか元気になり、
何か新しいことを始めようかという気がしてきます・・・。
(がんばれ! 世紀の大発明シリーズ! おしまい)