その1 日本企業の衰退はリクルート事件から



リクルート

コロナ禍で苦しむ日本。

こんなときこそ「起業の天才」のお話しをしましょうか。

 

現在時価総額8兆円のリクルート。

その創業者はまぎれもなく江副治正氏なのです。

「江副治正」や「リクルート事件」なんて

遠い昔のように忘れ去られていることでしょう。

私も久々に思い出しました。

 

巻頭の筆者の言葉、

「コロナ禍という人類未曽有の危機にある私たちが、

今からこの国で、未来を切り開き、生き抜いていくためにも」

江副治正の生涯をたどるべし・・・。

 

一気に読んでしまいました。

何か勇気が湧いてきますね。

 

「もしこの男の夢が実現していれば、どんな日本になっていたのか。」

 

「日本はいつから、これほどまでに新しい企業を生まない国に

なってしまったのか。

答えは『リクルート事件』のあとからである。」

 

筆者の一番言いたいことでしょう。

 

本当にそうなのかもしれませんね。

 

2020年夏。世界の知識産業を代表するGAFAMの

株式時価総額は600兆円を突破したのだそうです。

 

日本の東証一部上場企業2170社の合計さえも、いとも簡単に

上回ってしまったのですから・・・。

 

その江副治正氏。

 

1955年(昭和30年)に東京大学に入学した江副氏は、

あまりにも有名なお話ですが、3年生の時の1958年(昭和33年)、

当時の丸紅の「就職説明会」の広告を

東大新聞に初めて載せたのです。

それがきかっけとなって、あのリクルートが誕生したのです。

学生と企業を日本で初めて「マッチング」させたのが

まさに江副氏だったのですね。

 

そしてリクルートの前進「大学新聞広告社」が誕生したのが

1960年(昭和35年)。

なんと私の生まれた年ですね。すぐ計算できます。あれから60年です。

本人もその時は8兆円企業になるとは思いもよらなかったでしょうか。

 

すごいですね。

これからは

 

「戦後最大のベンチャー企業リクルートが誕生したのが1960年。

私の誕生年と一緒。

世界最大の企業Googleが誕生したのが1998年。

私の開業年と一緒。」

 

新しいネタです・・・。



その2 インターネットのない時代のグーグル


「リクルート」というと「広告の会社だろ。」「就職情報誌?」

まあ、普通その程度の認識でしょうね。

 

それがなぜ、「戦後最大のベンチャー企業」と言えるのか?

それは、この本を読んで初めて理解したことです。

 

リクルートという会社は何が素晴らしかったかというと

「これまでにない媒体(メディア)を作った」

からなのです。

 

大学新聞に企業の広告を取ってくるというのは、しょせん広告代理店

でしか過ぎないのです。

江副氏は「メディア」を日本で初めて作ったのです。

それは、「リクルートブック」です。

この「求人広告だけの本」を、非常に大事なことですが

「無料で」配ったのです。

 

著者に言わせたら

 

「インターネットのない時代のグーグル」

 

「??」

分からないでしょうか。

つまり、江副氏の発明した広告は

「情報が欲しいユーザーと、情報を届けたい企業を

『広告モデル』(ユーザーには無料)によってダイレクトに結び付けた」

のです。

 

当時は「企業への招待」と呼ばれたのですが、発刊されたのが

1962年(昭和37年)。それから36年後の1998年!

(私が開業した年と同じ)、グーグルがインターネットを使った

「検索連動型広告」を発明したのです。

 

今なら当たり前にあるものですが、60年前に思いついたことこそ

まさに「イノベーション」だったのです。

 

著者は世界最大のオンラインサイトPayPalの創業者

ピーター・ティルの「ゼロ・トゥ・ワン」を紹介しています。

 

ここは何度も読み返しました。

「これが真の起業ということか・・・」

そう思いました。

 

「ビジネスに同じ瞬間は二度とない。次のビル・ゲイツが

オペレイティング・システムを開発することはない。

次のラリー・ペイジとセルゲイ・プリンが検索エンジンを作る

こともないはずだ。

次のマーク・ザッカーバーグがソーシャル・ネットワークを

作ることもないだろう。

もちろん、新しい何かを作るより、在るものをコピーする方が

簡単だ。おなじみのやり方を繰り返せば、見慣れたものが増える。

つまり、1がnになる。だけど、僕たちが新しい何かを

生み出すたびに、ゼロは1になる。(中略)

これだけは言える。ほかの生き物と違って、人類には奇跡を起こす

力がある。僕らはそれを『テクノロジー』と呼ぶ。」

 

お分かりになるでしょうか。

60年前に江副氏は「テクノロジー」により

 

日本初のメディアをゼロから作ったのです・・・・。




その3 起業の天才は営業の天才


起業してわずか3年の1963年8月、日本リクルートセンターと

社名を変更します。

この時の快進撃のお話が実に面白い。

まだ社員28人ほどでしたが、何と新卒を採用します。

初任給2万7500円で募集です。

当時の一流企業の平均は2万円。もっとも高い武田薬品でも

2万2000円ですから、いかに破格の給料か分かるでしょうか。

結局12名採用。

無謀な採用かもしれません。

でも急成長する企業にとっては大事なことなのでしょう。

 

ただ時代が後押しもします。

1960年代は日本の「黄金の時代」。

企業は次々に採用を増やします。

高卒でも「金の卵」とさえ言われた時代。

あのソニーに営業し、

「学歴無用!出る杭求む!!」

とびきり優秀な高卒を取りまくったという武勇伝が残っています。

あのトヨタにも営業し、さらに急拡大していたダイエーにも。

これにより一気にリクルートは拡大します。

このあたり確かに「起業の天才!」、「営業の天才!」と言えるのでしょうね。

 

でもそうは簡単ではないのも起業ですね。

やがて「昭和40年不況」と呼ばれる景気後退。

あの山一証券経営危機で日銀特融も受けます。

 

さらに、1966年(昭和41年)、リクルートについに強敵が攻めてきます。

出版系の老舗「ダイヤモンド」が就職情報誌を始めたのです。

ダイヤモンドの売上は約20億円、従業員は400人です。

ついに、大手出版社が本気で就職情報誌をスタートし出したのです。

この時の売上は1億1000万円。社員は48名ほど。

 

何だかここで、「桶狭間の戦い」を思いだしました・・・。

織田信長軍はわずか兵力3000。

それに対する今川軍は2万5000。

まともにいったら勝てる訳がありません。

 

その時、江副氏はどうしたのでしょう?

ここが一番面白かったですね。

 

何と一人でダイヤモンド社に乗り込むのです。

 

「日本リクルートセンターの江副と申します。

本日は社長にお目にかかりたく、うかがいました。」

 

もちろん、アポなんかありません。

社長にあうと、

「やめていただけませんか」

 

感動しましたね。

これこそベンチャー・スピリッツですね。

もちろん、そんなことくらいで引き下がるダイヤモンドでは

ありませんでした。

 

しかし、その後、社員全員を集め、

 

「同業者間競争に敗れて二位になることは、我々にとっての死である。」

 

この時からリクルートは戦う集団に変わったのです・・・。



その4 業界トップでなければ死と同じ


「業界のトップでなければ死と同じ。」

 

恐ろしい言葉ですが、これはある意味真実なのでしょう。

私のかつていた会社もバブル期に「ガリバー」と言われた野村證券。

 

当時は「業界トップが必然。」とされていました。

ここは何となく理解できたところ。

その代わり中で働く人は大変でしたが・・・。

 

後に、リクルートは1975年(昭和50年)住宅情報誌に進出しますね。

当初は不動産に関してはまったくの素人集団であったものの、

「リクルート精神」により業界でナンバーワンを作り上げます。

 

読売新聞の中興の祖「販売の神様」と言われた務臺光雄氏。

それについに対抗手段を取ります。

1983年(58年)3月23日。読売グループ総力を上げ

「読売住宅案内」を創刊します。

 

その時も江副氏は全員を集め、

 

「情報誌にナンバー2はない!生き残るのはナンバーワンだけだ!」

 

読売も当時のジャイアンツのエース「江川卓」や「王貞治」まで使って

「いろんな情報あるけれど、これが決め手のビッグワン!」

 

そこまであの読売が対抗してきたのに、結局勝負はわずか3年で決着がつきます。

 

1986年(昭和61年)わずか3年で読売は

「読売住宅案内」を廃刊にします・・・。

 

ここも面白かったところですが、でもここで冷静に考えてみると、

「リクルートブック」と「住宅情報」の登場により、不特定多数の

読者に求人広告や不動産広告を届ける新聞やテレビの

「魔法」が溶けてしまったのです。

ここ難しいですか?分かりませんか?

 

 

しかし当時は、それを誰も理解していなかったのです。

それを正しく理解していたのが、読売新聞の務臺氏だったのです。

 

もう一度書きますが

「江副氏が作り上げた『情報誌のビジネスモデル』は、需要者と

供給者をダイレクトに結び付ける『検索サービス』なのです。」

 

まさに「メディア」なのです。

ここは、この本で勉強しましたね。

 

「マスメディア」といった方が分かりやすいでしょうか。

新聞、テレビ、ラジオが、まさにそれまでの「マスメディア」だったのですね。

国民の大多数が、新聞、テレビ、ラジオに掲載される広告を

受け入れていたのです。

しかも、テレビラジオは「タダ」のサービスですね。

 

それを「リクルートブック」を就職希望者にタダで配り、

「住宅情報」を書店にタダで配り(儲けを全額書店に)、

メディアを作り、新聞ラジオから広告を奪ってきたのです。

 

Googleの検索が何故広告効果が高いかというと、

「検索するならGoogle」

と誰もが思うからです。しかも当然かもしれませんがタダのサービス。

まさに2番では意味がないのです。

 

就職を探す、就職のために広告を出すには

1番広告効果の高いところにする意味こそ大事でしょう。

 

それは不動産を探す、不動産の広告を出すという意味において

同じです。

 

恐ろしいことが書いてありました。

「1980年代にリクルートは、当時の毎日新聞を

1000億円ほど買収するようなお話」が本当にあったようです。

 

ただ、メディアを欲しがりすぎて最後はメディアに叩かれます。

新聞を始めメディアから「リベンジ」の総攻撃を受けます。

状況としては、テレビから広告を奪っている現在のYoutubeと

同じでしょうか。

日本人は「出る杭」を打ちたくなる悪い性格がありますから・・・。

 

そうなのですね。もう分かりますね。

言いかた悪いですが「ライブドア事件」と同じです。

ホリエモンはフジテレビというメディアが欲しかったのですが、

最後はいろいろ叩かれましたね。

それこそが江副氏の「リクルート事件」の背景だったのです・・・。




その5 平成最大の相場師

このリクルート事件なのですが、ここでは語りません。

詳しくは本をお読みください。

事件が起きたのは1988年(昭和63年)。

当時は私も現役の証券マンでしたからね。

よく覚えています。

 

「絶対に儲かる株がある・・・それが新規公開株・・・」

 

当時は、この事件により、誰でも欲しがりましたね。

あと「新規公開株」とともに絶対に儲かる「新発転換社債」。

これらは私に言わせたら「バブルを誘発した麻薬」です。

(守秘義務があるので・・・今度・・・)

 

確かにリクルート事件を端緒に、証券界はずいぶんかなり変わりましたね。

また、リクルート事件により当然ながらリクルートの経営は傾きます。

1992年(平成4年)江副氏の持ち株1018万株を、

455億円でダイエーに譲渡。経営から一切身を引きます。

これにより、残念ながら江副氏の「稀代の経営者」としての人生は終了。

その後江副氏は起訴。2003年(平成15年)有罪確定。

 

それから10年後、2013年(平成25年)江副氏は、

リクルートがかつて開発した安比高原からの帰りの新幹線を

降りた東京駅で倒れます。そのまま帰らぬ人に。

 

この本を読んで初めて知ったことですが、

東京駅で倒れた際に持っていたバッグの中には「会社四季報」。

肌身離さず持っていたそうです。

 

よほど株がお好きな方だったのでしょう。

ネット全盛の現在。

会社四季報を読んでいる方はどれくらいいるのでしょうか。

30年以上前に証券会社の新人研修で

「会社四季報を全部覚えろ!」

と講師に言われたこと今でも覚えております。

その後会計の専門家となり、企業業績を比較してみることは

よくありますが、それで株価の予測することは、今でも到底できません・・・。

 

江副氏は、ある意味「稀代の経営者」でありながら「稀代の相場師」

ではなかったかとさえ思います。

戦後の有名な相場師で、「是川銀蔵」などいますね。

古い話で恐縮ですが、獅子文六の小説「大番」に出てくる

「ギューちゃん」を思い出しましたね。

「大番」で「ギューちゃん」は満鉄の株で大儲けしたのですが、

5.15事件の暴落で全財産を無くすお話でしたね。

 

今では「インサイダー」と言って完全にアウトですが、

江副氏は、当初メディアの情報量と政治家とのパイプによって、

相場を100%の確率で勝ちにいったような方のような気もします。

 

最後に、最近日経平均が高値更新して、30年前のバブルの再燃と

よく言われますね。

「これからどうなるのですか?株を買って大丈夫ですか?」

これもよく聞かれます。

それに対して

「株の世界は『ゼロサム・ゲーム』」

「分かりやすく言うと、『二人でババ抜き』。勝ちか負けしかない。」

 

でもこれから、江副氏のお話を引き合いに出すことに

しましょう。

 

平成最大の相場師「江副氏」は、ピーク時は個人資産1000億円は

ゆうに超えていたのは間違いないでしょう。

それでも、結局残ったのは117億円。

相続税を43億円差し引いて残りは74億円。

 

「相場の世界はそういうものです・・・」

 

 

今でも株の大嫌いな元落ちこぼれ証券マンは、

つくづく感じました・・・。

 

 

(ガンバレ!戦後最大のベンチャー企業シリーズ 
 おしまい)







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