その1 2度の倒産から東証一部へ実話です!
題名の副題が
「二度の倒産から東証一部上場を果たした企業の成長の要諦」
とあったので、また例によってamazonで速攻買い。
「2回も倒産した企業が上場する訳がない」
証券業界の常識から考えたら、絶対あり得ないお話なのですね。
「だいたいどこの企業のお話?」
まずそれ気になりますよね。
東証1部に上場するくらいの企業だから、ある程度知名度
あるはずですから。
その企業名は「株式会社ニイタカ」
失礼ですが、聞いたことないですよね。
株式会社ニイタカという企業は、
「業務用洗剤や固形燃料などを製造販売する大阪に本社を
置く化学品メーカー」
なのですね。
東京人にとって大阪の企業はなじみがないことと、
何より「業務用」と言われたら、TVCMなんてないでしょうから
消費者は知りませんね。
すぐ得意のエディネットで調べましたが、
平成29年5月期で売上156億円ながら、経常利益11億円も
上げている高収益企業ですね。
ここ5年間で売上が128億円から156億円に伸びて
経常利益も6億円から11億円に。
なかなかの超優良企業ですね。
従業員は平成29年5月期で342名。
まさに「小粒ながらピリッとした」企業。
こういう企業が中小企業のお手本なのですね。
よく書きますが、中小企業が、トヨタやユニクロの企業を
マネなどできるはずがないのですね。
売上5億や10億円のいわゆる中小企業が
どうやって50億円、100億円と伸ばしていくのか
そこをぜひ学んでいただきたいのですね。
ではなぜこの企業が上場したか?
この写真見てください。
これは旅館でよく見ますよね。
旅館で「一人用の鍋」が出てきて、火をつけますね。
ちょうど良い具合に消えますね。
なかなかの優れものですね。
日本全国どこの旅館にいってもあります。
これ「カエン」というブランドの固形燃料です。
実はこの商品のトップシェアなのですね。
この固形燃料とこの台座。そしてこれにあう鍋まで
開発しています。
なかなかニッチなマーケットで大成功しているのです。
是非参考にしてください・・・・。
その2 なぜ2度も倒産?
ではこの会社は2度倒産していますね。
なぜ上場したのかというのを検証するのも大事かもしれませんが、
「なぜ倒産したのか?」
ということを確認することの方がもっと大事だと思うのですね。
いままで多くの経営者本をご紹介してきましたが、
ほとんどが「成功体験」です。
「私はこうして成功した・・・」
のような本ばかりですね。
まさに「勝てば官軍」。
経営者としてはいろいろ脚色して美化してしまうのですね。
逆に「こうして失敗した」と正直に書く経営者はいないのですね。
だからこそこういう本は大事なのです。
ではその失敗理由をよく見てみましょう。
ではそのニイタカのルーツから。
現在の社長は森田千里雄氏(昭和19年9月5日生)現在73歳。
その森田社長の長兄が「新高油脂」という
従業員が18名のヒマシ油の加工を行う小さな会社を経営していました。
しかし、得意先の倒産で多額の不良債権を抱えていたのです。
そこで不採算部門を切り捨てようとして設立されたのが
新高化学株式会社。1963年(昭和38年)のことです。
その不採算部門とは界面活性剤を中心とした商売だったのです。
もうこれで倒産の理由が分かりますね。
もともと不採算の部門ですから赤字からのスタート。
余程のことがないとリカバリーは難しいです。
実は私も税理士を20年やっているといろいろな独立を
見てきました。
独立の経緯は大事なのですね。
言い方厳しいですが、前向きの独立と後ろ向きの独立・・・。
完全な後ろ向きの独立ですね。
切り捨てられた部門で切り捨てられた人材が始めた訳ですから。
新高化学株式会社は9人で船出したものの、すぐ4人が辞め、
5人に。
本当にあやうい零細企業です・・・。
時代背景としては、合成洗剤の生産量が石鹸の生産量を上回った時。
また高度経済成長のあおりを受け、四日市ぜんそくなど「公害」が
騒がれ出した時代。
よって新高化学は「環境に配慮した食器用洗剤」を開発し販売します。
それがマイソフト。
(写真は現在のもの)
しかし、このマイソフトの当時の原価率はなんと80%。
これ聞いた瞬間にダメだと思いますね。
原価率80%の商売何てあり得ませんからね。
つまりまったくビジネスモデルが確立できていないのです。
社員の給料が払えず「○月○日に支払います」という小切手
を渡した・・・・。
仕事が終わったあと社長以下で夜9時までアルバイトした・・・。
もうこれ読んだだけで会社は危ういですね・・・。
今なら社員がすぐ辞めてしまうのでしょうけど、
良い時代でしたね。
そんな時代が2年続いたそうです・・・。
最後は銀行も見放して高利貸しに手を出す・・・。
もうやはりダメですね。
1970年(昭和45年)。設立7年で1回目の倒産。
その3 原価率80%のビジネス
ではなぜ倒産したか?
もう一度じっくり検証しましょう。
やはり設立の経緯から、会社存続のために
不採算部門の独立ですからね。
「ビジネスモデルが確立できていない」のは明白です。
よって、そもそも信用度がないから、資金繰りに苦しみますね。
何故原価率が高いのか書いてありましたが、
「仕入単価については信用がない事から
高値で購入し、また高い値段設定では、価格競争を
勝ち抜くことができないから・・・」
原価率80%というのは、80円で仕入れたものを100円で
売るということです。
その意味が分かっているかということなのです。
でも京セラの稲盛さんも何度も言っていますが、
「値入は経営」
ですからね。
そこが一番経営にとって大事なのですね。
しかもオーナーがいる訳でなく、リーダーが3人いたと
書いていましたから、間違いなくリーダーシップの
欠如ですね。
私も税理士として「共同経営」の会社を何十、何百社も
見てきましたが、結構失敗することも多いのですね。
特に3人で共同出資して・・・というのは本当に難しいようです。
さらに、
「もともと創業にかかわったメンバーは、労働組合的な意識が強かった
ようです。つまり、労働者の生活を守るために会社の経営を
軌道に乗せたいという思いや、企業を社会的な存在として
捉える意識が強く、社会の発展のために寄与したいという思い」
もあったようです。
ですから当時公害問題が騒がれ出した時代背景から、
環境に配慮した生分解性の高い食器洗剤「マイソフト」を
開発したのです。
理想や志は高かったものの、やはり資金繰りに追われる毎日です・・・。
理想だけでは経営はできません。
当たり前ですが利益の確保ができないですからね。
何度も書きますが、「ビジネスモデルが確立できていない」
ことが一番重要です。
最後にまた高利貸に手を染めます。
負債は雪だるま式に増大し、ついには「融通手形」。
「融通手形」なんてご存知ですか?
手形を勉強すると必ず出てくる単語ですが、
実際にあったのですね・・・・。
要するに銀行で融資を受けられない企業が発行する手形
のことですね。
まさに最後の手段です・・・。
1973年(昭和48年)2回目の倒産です。
勉強になりましたか?
でもこんな「どん底企業」が東証一部に本当に上場したのです・・・・。
その4 オイルショックのダブルパンチ
普通二度も倒産したら、完全にアウトですね。
取引先に多大なる迷惑をかける訳ですから、
まったく「市場から追放」となる訳でしょう。
でもなぜか新高化学工業は生き延びたのですね。
それを救ってくれた会社があったのです。
古くから付き合いのあった米山薬品工業です。
ただ正直なところは、
「新高化学薬品工業で多額の不良債権を出したということに
なれば、米山薬品工業の信用も低下することを
危惧した・・・」
と書いてありましたから、実際は潰れては困ったのでしょうね。
それで営業譲渡を受け、社員の雇用や業務は継続できたのです。
今だったら「民事再生法」などより強固な法律がありますからね。
何とか「ウマく」切り抜けたように思いますね。
しかも、
「米山薬品工業は、私たちの業務には口出ししませんでした。
独立した業務として自由にやらせてくれました。
仕入先についても原材料の供給は、米山薬品工業経由ではあったものの。
継続して供給してもらえ、何より、新高化学工業のブランドも
そのまま残ることができたのです。」
こんな破格の待遇はないでしょうね。
後年ニイタカは社是を「四者共栄」とします。
「企業というのは、お客様、従業員、取引先、地域社会
の様々な人の支えがあって成り立っている」
という考え方からくるそうです。
倒産を二度もした会社ならではの言葉なんでしょうね・・・。
倒産する前年の1972年(昭和48年)に
後にニイタカの主力商品となる「カエン」が誕生します。
「旅館の座敷の料理用に、固形燃料のようなものを使っている」
という情報から開発を取り組んだのです。
これはタイミングが非常に良かったのですね。
昭和48年当時は、会社の慰安旅行やバスツアーなどが
盛んになっていた時代です。
大勢の観光客が一斉に並んで食事をするとなると、
全員分の鍋をその場で温めることはできないのを
固形燃料があれば簡単に可能になるのです。
こうした時代情勢を背景にして、固形燃料の需要はどんどん
伸びていったのです・・・。
ただ申し上げた通り、翌年倒産。
さらにショッキングな出来事が起こります。
お分かりですか?
1973年(昭和49年)秋に発生した「第一次オイルショック」
原油価格が高騰し、世界経済が大混乱。
世に言う「トイレットペーパー騒動」
本当にどん底を味わった企業ですね・・・。
その5 カエンで息を吹き返す
ではそのどん底からどうやって立ち直っていったのか?
これは非常に参考になるお話ですね。
米山薬品工業傘下の元で研究開発を続けます。
業務用洗剤の他、固形燃料の「カエン」です。
コレです。
写真左の一斗缶がこの商品の原型です。
一斗缶にアルコールを14キロ流し込んで固めただけのもの。
どうやって使うかというと、スプーンを使って一斗缶から必要量をすくい出し、
それを火皿にのせて使うのです。
これをさらに改良したのが右側の「角切りカエン」
鍋の具材が完全に煮え切り、食べ終えるまでの保温力が続く
適正量(30グラム)を試行錯誤の上作り上げたそうです。
この「角切りカエン」が販売されると、売れ行きはグンと
伸びたのです。
それで製品チラシを作り、観光旅館向けのDMも。
販促活動のおかげで市場を次々に開拓していきます。
以前ご紹介したカエン専用のコンロと鍋を開発し、
さらにそれに合うメニューまでも開発し提供。
おりしも旅行ブームの影響とあいまってグングン伸びていきます。
これで一気にどん底から息を吹き返したのですね。
そして1982年(昭和57年)に独立。
9年間にも及ぶ「どん底」から新たな飛躍のスタートを
切ることができたのです。
その後カエンも改良を加え続けます。
切っただけの「角切り」だとアルコールが
気化するので、アルミ箔をつけることで
それをふせげる、「カエンエース」
そのアルミ箔をフイルムに変え改良したものが「スーパーカエン」
「シュリンク包装」という特殊な包装をしてアルコールが
まったく気化しないそうです。
それでこれが現在の「カエンニューエース」
旅館でよく見ますね。
ニイタカの技術革新の歴史ですね。
ここで参考になったお話が、「実用新案」という特許のお話。
アルミ箔をつけたところで、「アルミ箔付きの固形燃料」ということで
実用新案権とその製法についての特許権を取ったそうです。
でもある弁理士から
「角切りの段階でも実用新案権は取得できたはずですよ」
と言われたそうです。
もしその段階で実用新案権を取っていれば、
市場を完全に独占できたのでしょうね。
でも、この「カエン・シリーズ」こそが、他社の固形燃料を
引き離して圧倒的なシェアを誇る商品に育っていったのです・・・。
その6 急成長で東証1部へ
1980年代は「カエン・シリーズ」で
ニイタカは急成長を遂げます。
温泉地の旅館は当然ですが、大量の食器や鍋を洗わなくては
ならないため、洗剤の需要も多いのです。
固形燃料を売ると同時に
「当社の洗剤も扱ってください」
という営業で洗剤の売り上げも伸びていきました。
こうして、固形燃料と洗剤との相乗効果で
売上が伸びていったのです。
80年代後半にはカエンの固形燃料だけで売上20億円にも
拡大したそうです。
1982年(昭和57年)にどん底から独立ですからね。
わずか数年でこの「カエン効果」で急成長したのです。
ここで経営陣は一大決心をします。
これも参考になるお話なのでしょうね。
固形燃料のビジネスは旅館などの特定の消費者に
限られるのですね。
シェアをほぼ独占したニイタカにとっては
これ以上の市場規模にはならない、
ニイタカのもともとの主要製品である洗剤の方が
数百億の市場規模になると判断したのです。
ニイタカはもともと関西が地盤です。
物流を考えたら、東日本に工場を建設すべきと
判断したのです。
そうして1989年(平成元年)茨城県龍ヶ崎市に
最新のコンピュータ制御で稼働する「つくば工場」を建設。
工場建設にかかった費用は土地代を含め20億円!
当時の年商は30億円台であたっというのですから、
かなりの「イチかバチかの賭けに近い投資」
独立から7年目のことです。
20億円も投資できる経営者はそうそういないと思いますね。
でもその投資のおかげで1990年(平成2年)の売上は
43億円に!
その後1997年(平成9年)に滋賀県多賀町に「びわ湖工場」を
建設しています。
しかし経営者の読みは見事ですね。
カエンの固形燃料のシェアはトップと取り続けていましたが
1998年(平成10年)の固形燃料の売上は25億円にしか
なっていないのです。
主力の洗剤のマーケットの市場規模が拡大するという読みは
ズバリあったったのです。
写真は現在の主力商品のマイソフトコンク。
高濃度でコンパクトな業界初の菱型パウチ洗剤です。
発売後わずか4年で販売総数300万袋に達する大ヒット商品
となりました・・・。
こうして、2003年(平成15年)4月24日。
創立40周年のまさに当日、東証二部に上場することが
できたのです。
さらに2015年(平成27年)東証一部に・・・。
どうでしょうか?
参考になりましたか?
一度や二度の倒産くらいで!
諦めたらダメなのです・・・。
(ガンバレ! ニイタカシリーズ おしまい)