その1 日本で一番有名な同級生




ソニー


また話題の本ですね。ソニー前社長の平井一夫氏。

2017年度に20年ぶりに7348億円もの最高利益を

出しながら退任してしまいましたね。

平井氏がソニーの社長になったのが2012年。

その後6年間のリーダーとしての経営哲学が書かれた本ですね。

 

もちろん、それに興味があったのですが、

この本に飛びついた最も大事な理由。

それは、平井氏は1960年(昭和35年)12月22日

生まれだからです。

つまり、私となんと同学年なのですね。

私は10月生まれですから2カ月ほどしか違いません。

もっというと

 

1979年(昭和54年)アメリカンスクール卒業

1984年(昭和59年)ICU卒業

              CBSソニー入社

なのですね。ちなみに

1979年(昭和54年)都立竹早高校卒業

1984年(昭和59年)早稲田大卒業

               野村證券入社

 

非常に親近感を覚えたのです。

因みに、私は高校卒業して1年浪人したのですが、

平井氏はICUには9月生として1979年に入学しています。

 

ここまでは同じなのですね。

それから37年・・・同級生の平井氏はまったく違った人生となりました・・・。

 

人生にやり直しはありません。

「どうしてこんなに人生が違ったのだろうか?」と反省をしながら(!?)

何度も読み返してしまいました。

 

まず読んで驚きましたが、平井氏はまさに、典型的な「帰国子女」

だったのですね。

今では当たり前のような出来事ですが、

私の年代では少なかったでしょう。

 

小学校1年の時に銀行員だった父親の転勤で、ニューヨークへ。

当然英語なんて一言もしゃべれない状況で、

日本語まったく通じないところに放り込まれたのですからね。

でも4年生になると日本に帰国。

でも1学年下のクラス。これは子供心に厳しい試練だったでしょう。

それでも2年半でまたカナダのトロントへ。

その後また2年半で帰国。子供としては本当に大変ですね。

 

平井氏は「異邦人」という言い方をしていましたが、

「異なる場所を転々と動き続けてきた。

幼いころの『異邦人』としての体験がその後、

経営者になって役に立った」

そうです。

 

常に「異なるもの」の見方や考え方に触れ、

それを経営に取り入れようとした。

これを平井氏の造語でしょうけど、「意見」ではなく「異見」。

 

 

「異見をどう発見するか。どうやって経営戦略に昇華させ

実行させていくかは、私の経営哲学の根幹をなす思考法だ」

 

どうですか?

もうここまででまったく違う人生でしょう。

私だけのお話ではないですね。

人の「異見」どころか「意見」もまったく聞こうとしない経営者に

ぜひ読んでいただきたい本です・・・。




その2 34歳で一大転機


1984年(昭和59年)、平井氏はCBSソニー入社。

入社する際に、日産自動車かCBSソニーで迷ったそうですが、

「これからの世界、ソフトには無限大の可能性がある」

と父親から言われ、CBSソニーを選択。

日産自動車に入ったら、平井氏はソニーでなくて日産を

立て直してくれたかもしれないですね・・・。

 

当時は、バブル景気前の静かな時代。

でも急速な「国際化の波」が来ていました。

 

だから、平井氏のような語学堪能な方はどの企業も

確かに欲しがっていました。

どの企業も「語学枠」のような採用もあったと思うのですね。

野村證券の同期には海外大学出身の方も多く、

即戦力として重宝がられていましたから・・・。

私自身も「英語がしゃべれていたら・・・」よく思いました。

 

平井氏の仕事は、得意の語学力を生かして、外国部に配属され、

海外アーティストの日本でのプロモートすることが仕事。

ソニー本体は、すでに世界的なブランドとして駆け上がっていたのに

対して、CBSソニーはまだ創立16年目の会社。

 

ここで仕事を真面目に取り組んでいたかと思うと、

「残業することは嫌い。仕事とプライベートはハッキリと線を引きたい」

外国部の同僚と結婚して、なんと宇都宮に自宅を買い新幹線通勤。

「週末には緑の多い郊外の生活を満喫・・・。」

 

因みに税理士らしい「突っ込み」ですが、通勤手当の非課税限度額は

当時5万円だったのですね。

CBSソニーはいい会社ですね。

通勤費は全額出してもらっていたのでしょうか。

なお、平成10年度は10万円に引き上げられ、

平成28年度から現在は15万円。

 

その頃、私はお隣の群馬県。

野村證券高崎支店で、朝7時には出勤して、

毎日11時までの「セブンイレブン生活」。

土日出勤は当たり前・・・。

まったく違いますね。

休日に緑の多い郊外の生活を満喫していた平井氏に対して、

休日も群馬県中を駆けずり回って仕事していましたから・・・。

 

平井氏は、少なくとも20代は出世とは無縁のサラリーマン生活を

送ったのではないでしょうか。

私自身8年間しかサラリーマンをしなかったので偉そうに言えませんが、

1984年から1992年の8年間では間違いなく、

平井氏よりは仕事していたと自負はできます・・・。

 

そんな平井氏の転機は、1994年(平成6年)。

10年目にニューヨークに転勤が決まります。

CBSソニーの駐在員事務所。でも駐在員はたった一人。

要するに何でも屋。

でもここで平井氏は変わるのですね。

34歳一大転機です。

 

「そこに私を待っていたのは、組織の体をまったくなさないボロボロの現場。

そこで五里霧中の中を駆け抜けた日々が経営者としての土台を創ることに

なろうとは・・・」

 

私も1994年(平成6年)一大転機でした。

職員5人の小さな会計事務所に転職。

バブリー証券マンから手取り15万の薄給のただの職員。

税理士試験を目指しているのは私だけ。

まさに何でも屋。

 

「何でも屋」が人を伸ばすのかもしれませんね・・・。




その3 プレイステーションの発売


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(久保田利伸●全米デビューアルバム●sunshine moonlight●)

 

1994年ニューヨークに渡った平井氏のやった仕事が

歌手久保田利伸さんの全米デビュー。

見事全米デビューを果たしたのですが、

でもその頃ソニー本社ではもっと歴史的なことが起こります。

1994年12月に日本でプレイステーションが

発売されたのですね。

 

それを受けて1995年9月9日。

アメリカでもプレイステーションの発売。

もちろん、アメリカでもこのプレイステーションは大ヒット。

アメリカでそのプレイステーションの販売をしていたのが

ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の

アメリカ子会社SCEA。

そのSCEAの当時会長だったのが丸山茂雄氏。

当時SCEA内部はガタガタだったようです。

その再建に日本から丸山氏が毎週渡米。

その通訳として駆り出されたのが平井氏だった訳です。

 

20210820-090415

 

この本を読んで一番興味を持ったのが丸山氏ですね。

丸山氏はCBSソニーの創業当時からの生え抜きで大先輩。

調べたのですが、都立小石川高校出身で早稲田大商学部卒。

私の大先輩でもあるのですね。

丸山ワクチンの開発者丸山千里氏の長男というのは余談ですが、

ソニーで社長になった大賀典雄氏の親戚だったらしいですが

ものすごく仕事ができた方ですね。

音楽業界では有名人で、佐野元春や小室哲哉など多くのミュージシャンの

育ての親でもあります。

もちろん、ゲーム業界でもプレイステーションの生みの親の一人とも

言われているくらいの大物ですね。

 

当時は50歳台半ばながら、毎週東京から来てSCEAの再建に

奔走するのですね。

 

「丸山さんが日本語で指示すると、すぐそのまま話を引き取って

英語で現地社員に伝える・・・」

 

これまさに生きた帝王学を学ぶチャンスだったのでしょうね。

経営再建には大事なことは、「経営層のリストラ」と書いてありましたが、

これも英訳して本人に伝えることも何度もしたのでしょうね。

 

「君はこの会社と縁がなくなる。辞めてもらう。

今日はこのまま帰っていい・・・。」

 

非情な宣告の仕方を学んだはずです。

なかなかこれは学びたくても学べない経営術ですから。

 

それを半年やってから丸山社長から

「俺は疲れたから、おまえが社長をやってくれ・・」

それでバトンタッチ。

 

この時平井氏35歳。

いくら米国の子会社とはいえ、通常の上場企業であれば、

その若さで社長をやらせることはあり得ないでしょう。

ここはすごいですね。

ソニーのすごさでしょうね。

 

このとき私も当然35歳。

転職した会計事務所で慣れない経理業務に悪戦苦闘。

へとへとになりながら夜も寝ずに税理士試験勉強を

していました・・・。

 

だんだん差がついてきましたね。

でも夢をもって自分の人生を切り開いていましたが・・・・。



その4 肩書で仕事するな!


平井氏が若干35歳でソニーの米国の現地法人の社長に抜擢されて

その後ソニーの社長になるまで、一気に出世の階段を昇りつめます。

米国のSCEAを振り出しに、その後のSCE本社の立て直しを

見事果たしたのですね。

その勢いで一気にソニー本社の社長にまで。

 

平井氏が「今太閤」のようにサラリーマンの憧れの存在に

なるかどうか分かりませんが、そのあたり興味深く読みました。

 

もう私の過去のお話はしても仕方がないので

書きませんが、

「私と何が違かったのだろうか・・・」

そう思ってしまいましたね・・・。

 

 

まず、素晴らしい上司に巡りあえたことが挙げられますね。

ご紹介した丸山氏ですね。

丸山氏はCBSソニー(のちのソニーミュージック)の社長にも

なっているし、SCAの会長にも就任した方です。

 

CBSソニー時代の上司で、何よりも、平井氏をゲームビジネスに

引き入れ、育ててくれた恩人です。

 

「肩書で仕事をするな!」

 

丸山氏の金言ですね。

 

「若くしてリーダーのお手本のような人に出会ったことは、

私にとってはとても幸運だった・・・」

 

そうでしょうね。

なかなか出会わないのでしょうね。

今はコロナの影響で減ったのかもしれませんが、

「ウチの部長の馬鹿が・・・」

と週末になると赤ちょうちんで、

くだを巻くサラリーマンが多いですからね・・・。

 

 

あと、平井氏はさらにいいこと言っています。

 

「管理職の皆さんに

『もし部下による選挙が行われたとしよう。

自分が当選する自信はありますか?』

と常に問いかけてきた。」

 

 

リーダーには、

「はたして自分は部下から選ばれる存在だろうか」

ということを常に意識し、自問してほしいということ

なのですね。

 

大事なことは

「難しい局面で逃げるリーダーには票は絶対に集まらない」

これはよく分かりますね。

 

逃げる上司は多いものですから・・・。

 

特に一番つらい場面は部下のリストラ、つまりクビの宣言だったようです。

これ一番理解しやすいですね。

これは絶対にリーダーがやるべきことです。

 

「難しい判断になればなるほど、特に心が痛むような判断で

あればそれだけ、経営者は自らメッセージを伝えなければならない」

 

肩書で仕事しないで、部下の心からの信頼を勝ち得ていくのです・・・。




その5 EQの高い人間であれ!


「肩書で仕事をするな」は、本当に名言だと思いますね。

 

部長になった途端、あるいは役員になった途端に部下への接し方が

急に変わってしまう人は確かに多いのではないでしょうか?

 

私の経験でもサラリーマンってある意味「肩書がすべて」だったとも

思うのですね。

私も30歳の頃、確か肩書は「課長代理くらい」(要するにヒラ)でしたが、

ある時、本社の役員、部長、課長の椅子が違うのに気が付いたのですね。

不思議に思って総務担当の課長に聞いたら、

「これは総務として絶対大事な仕事・・・」ともらしていましたね。

 

確かにそうなのでしょうね。

今思えば椅子のカタチなんてどうでもいいのですね。

平井氏のように「選挙で選ばれたのですか?」

とは当時絶対聞けませんでしたけどね・・・。

 

ただ大事な点は

「これは決して精神論ではない。リーダーがどう振舞うかで成果が全く違う。」

 

「社員たちの票を勝ち取り、『この人なら話を聞いてやろうか』と

思わせなければならない」

 

そうでしょうね。

それと、その社員の票を勝ち取るために大事なことを言っています。

 

「経営者はEQ(心の知能指数)が高い人間であれ」

 

このフレーズはこの本に何度も出てきます。

「IQ」とは、知能指数(Intelligence Quotient)であることはご存じだと思います。

「EQ」というのは、心の知能指数(Emotional Intelligence Quotient)

ということなのですね。

 

この「EQ」という言葉は、今後流行るのではないでしょうか?

前に、平井氏の経営哲学として

「異見を発見し、どうやって経営戦略に昇華させ実行させるか」

その経営哲学の根幹をなす思考法の一つとご紹介しましたが、

この「EQ」が高くなければ、本人から「異見」を得ることはできない

そうです。

 

これ分かりますか?

もし上司が自分と反対の意見を持っているとしたら、

その状況で意見(まさに異見)を言ったら

「だからダメなんだ!そんな考えでは!」

叱られるのが落ちですね。

でもEQの高い上司なら、もしくはEQが高いと部下から慕われ

そう思われているなら、

「この人なら考え方が違っても自分の意見を聞いてくれるはずだ」

と部下も心を開いてくれるはずですね。

 

なかなか、こんなEQの高い上司にはお目にかかりませんか?

因みに、丸山氏はこのEQの高い上司だったそうです。

 

それと平井氏がもう一つサラリーマンとして恵まれていた点。

 

上司だけでなく、素晴らしい部下がいたのですね。

本では「部下」と言わず「相棒」という、尊敬と親しみを込めた表現をしています。

SCEA再建当時、平井氏は35歳。

部下のアンドリュー・ハウス氏は4つ下の31歳。

オックスフォード大出身で流ちょうな日本語も話す優秀な部下でした。

二人でこのSCEAを立て直したのです。

 

因みに、その数年後平井氏がSCEの東京本社の社長になりますが、

ソニー本社の副社長に転じたときに、SCEの社長の後任には、

このアンドリュー・ハウス氏がなったそうです。

 

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この本に出ていた写真で一番素晴らしいと思った一枚。

平井氏の笑顔がいいですね。

真ん中がアンドリュー氏。

右側がプレイスレーションのまさに生みの親、ソニー副社長でSCE社長の

久夛良木(くたらぎ)健氏。

 

「おまえたちは子供バンドだな」

 

と久夛良木からよく言われたと記載されていましたが、

これは最大級の誉め言葉ですね。

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当時のうじきつよしの「子供ばんど」もじった冗談ですが、

「子供のように若いけど実力がある」と認めていたということなの

でしょう。

当時から現職の副社長にも実力を認められて

しかも可愛がられていたということですからね・・・。

 

 

「上司に恵まれ、そして部下にも恵まれ・・・」

 

だんだんうらやましくなってきましたか・・・?







その6 運も味方に

20210825-141441

 

上司に恵まれ部下にも恵まれ・・・。

でもサラリーマンとして、もっと大事なものがありますね。

「運」ですね。

実力がありながら、出世しない方をたくさん見てきました。

こればっかりはどうしようもないですからね。

 

平井氏には「運」がありました。

それはお分かりですね。

ゲーム機のプレイステーションの大ヒットですね。

1994年日本で発売されてから世界中で売れに売れました。

ゲーム機として、初めて累計販売台数が1億台を超えたのです。

 

因みに2000年に発売されたプレイステーション2は何と

累計販売台数1億5000万台ですからね・・・。

 

平井氏は、確かにSCEの米国現地法人でご苦労されたのは認めます。

でもこれだけ売れると当然数字が付いてきますからね・・・。

 

プレイステーションを販売するソニーの一部門であったSCEは

「まさに飛ぶ鳥を落とす勢い」だったそうです。

 

しかも、平井氏のおかげでSCEAも改革が進み、

「組織としてチームの体制が固まり、すっかり自走する組織になっていた」

そうです。

 

この「自走する組織」というのも平井氏は何度も言っています。

これは経営として、間違いなく理想形でしょう。

 

「社長が支持する前に、社長ならこう考えるだろうと皆が察して

事前に動いてくれる」というのを「自走」というのですね。

これを飛行機のコンピュータ制御飛行に例えて

「オートパイロットの状態」

ともいうのだそうです。

 

これは、中小企業ではなかなか難しいでしょうね。

社長がいなくても動いてくれる組織はなかなかできないものですから・・・。

 

しかし、自分の担当している部門が予想以上に良い結果を出したのは

まさに「運」ではなかったのではないでしょうか。

また一方で、他のライバル部門が苦境に立たされたのも、

こういう言い方すると申し訳ないですが、これも「運」であったと・・・。

 

この本で当時のソニーの状況がよく分かって、非常に勉強になりました。

 

プレイステーションという大ヒット商品が現れる一方で、

ソニーを取り巻く環境は大きく変化していたのです。

 

ソニーは、20世紀においては、

「アナログの時代の家電で間違いなく世界の頂点に位置」

していたのです。

つまり、「世界最小・世界最軽量」といった世間をあっと言わせる

製品を出すことで急成長していたのです。

 

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私の年代ですと

ソニーといえば「ウオークマン」でしょうね。

 

猿が音楽を聴いているこの哲学的なCMを、きっとご存じでしょうね。

 

21世紀に移り変わると、家電の世界には一気にデジタル化の波が

押し寄せてきたのです。

つまり「デジタル家電の到来」ですね。

テレビはブラウン管から液晶やプラズマに。

カメラからフィルムからデジタルカメラに。

ビデオも磁気テープからDVDやブルーレイへ。

 

もちろんソニーも、デジタル家電の波頭をとらえようとしていたのですが

韓国勢などの攻勢で厳しい値下げ競争の始まりでした。

結果的に特に売上高の6割を占めたエレクトロニクス部門が

低迷し始めていたのです・・・。




その7 プレイステーション3で苦境に


ところで平井氏はCBSソニー(ソニーミュージック)の入社でしたね。

しかし、そのままソニー収益源となったゲームビジネスに携わっていました。

「これはおかしい」

と本社からクレームが来て、転籍するのですね。

それでも、これでソニー本社の正社員かと思ったら、

SCE(ソニー・コンピュータ・エンタテインメント)でもなく、

その子会社のアメリカ現地法人SCEAへ転籍ですね。

そのまま1999年SCEAの社長になったのです。

「これで失敗したらクビ」

だと書いてありましたが、当然そうでしょう・・・。

しかし、思い通りにいかないのがサラリーマン。

意図した通りに行かないのもビジネスですね。

 

プレイステーションで大儲けしたソニーでしたが、

プレイステーション3で大失敗するのですね。

 

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2006年11月に発売したプレイステーション3を発表する

久夛良木健氏ですね。得意満面の顔ですね。

 

 

なぜプレイステーション3で失敗したかを説明するのに、

「Cell事業」というのを説明しなければいけませんね。

これもこの本で勉強しました。

「Cellは2000年代前半にソニー、東芝、IBMの3社連合で

開発を進めていた次世代型の半導体」

なのですね。

ソニーとしては、2003年に2000億円もの巨額資金を

投資して開発を進めていたのです。

 

圧倒的な能力をこのプレイステーション3につぎ込み、

テレビなどの家電に広げていく、そして最後はソニーのデジタルシフトを

実現する・・・そんな壮大な社運を賭けた一大事業だったのです。

 

当時久夛良木氏は副社長。その方から平井氏は可愛がられていたのは

書いた通りですが、実力があり魅力的な方だったそうですね。

ソニーの社長になったストリンガーから「ソニーのスピルバーグ」と

言われていたらしいですね。

 

しかし、このプレイステーション3はハードディスク20ギガで

Cellを搭載で当時最先端だったブルーレイも搭載。

しかし、何といっても価格が6万2790円!

高すぎますよね。

ゲーム機ですからね・・・。

ソニーとしては

「これはゲーム機ではない次世代の家電」

として売りたかったのでしょうか・・・・。

 

でも販売直前に4万9980円に変更。しかしこれだと

1台売るごとに赤字が積みあがっていく計算・・・。

このプレイステーション3の大失敗でソニーは

2300億円もの巨額赤字。

その責任取ってか久夛良木氏は退任。

その後任としてSCEの社長になったのが平井氏。

そのあとそのSCEの立て直しにまた奔走するのですね。

因みにそのCell事業は、その後東芝に生産設備ごと売却して

撤退しました。

 

しかし、なかなかこの平井氏サラリーマンとして

波乱万丈の時代を生きてきましたね。

同級生として非常に読んでいて面白い。

映画化してソニーが配信したら儲かるのではないでしょうか・・・。




その8 ついに社長に


20210830-084054

(2012年2月 ストリンガー氏と)

 

平井氏はリーマンショック後の2009年月末、

40代の若さで副社長に昇進するのですね。

担当分野は、今までのゲーム部門に加え、

テレビやビデオのようなエレクトロニクス部門。

 

エレクロニクス部門がソニーの歩みの真ん中にいたのは

誰でも認めるところですね。

そのソニーの中枢たるエレクトロニクス部門の門外漢が

どう立ち向かうのか・・・これは興味深く読みましたね。

 

正直書いてありました。

 

「ソニーのトップは住む世界が違う人たちに見えた。

ソニー本社ではなく音楽やゲームの子会社にいたから、

なおのことそう思えたのかもしれない。」

 

音楽もゲームも、今やソニーグループの中核企業ですが、

「エレクトロニクスのソニー」であったことは誰の目でも

明らかなこと。

 

そのエレクトロニクスの不振が最大の原因で、

その時連結最終利益は4年連続赤字。

2011年度は過去最大となる4550億円もの赤字。

担当するテレビ事業は実に8年連続営業赤字。

副社長就任後の1年後、社長就任を打診されるのですね。

 

そんな状況でよく引き受けたと思いますね。

「よく引き受けるよな」

と先輩からも本当に言われたそうです。

ソニーの連結社員数は16万2700人です。

その家族を含めたら責任は限りなく重い・・・。

 

本人いわく、「エレクトロニクス部門の門外漢」がです・・・。

それでも2012年4月1日に社長兼CEO就任です。

ソニー再建へと走り出します。

 

同級生の私が言うのもアレですが、「若さ」ですか・・・!??

 

6月末の株主総会を前に、株価は1000円を割り込んで

32年ぶりの安値になります。

私も覚えていますが、800円くらいまで下がったのですね。

 

「これは最高の買い場だ!」

 

元証券マンとしての相場観を感じましたね。

あの時800円でソニーの株を1万株でも買っておけば、

今頃は税理士辞めてハワイでのんびり暮らしていたかもしれませんね!??

 

平井氏がそんなどん底になったソニーを復活させるのですね。

 

20210830-084024

 

しかし、その数年後の写真です。

 

意気揚々としていた社長就任時の写真と

まったく違いますね。

 

「白髪だらけのおじさん」

になってしまいましたね。

この写真だけで、その後どれだけ苦労したか分かりますね。

 

その頃、私はマラソンで自己ベストを出して

意気揚々としていた頃ですね。

もちろん髪の毛は真っ黒でしたが・・・。




その9 なぜVAIOを売却?


平井氏が社長になってから、2014年2月に、大きな決断を下します。

赤字が続くエレクトロニクス部門のテコ入れとして、

パソコン事業の売却とテレビ事業の分社化、さらに

5000人規模の人員削減を断行します。

 

この本で一番読みたかったところは、この「VAIOの売却」のくだりですね。

「どうしてVAIOを売却したのだ!」

ソニー製品の愛好家は多いです。取りわけVAIOに愛着のある

ソニーファンはもっと多かったと思うのですね。

売却した理屈と言い訳を長々と書いてありましたが、

「エレクトロニクスを知らない社長が売ってしまう」
ことに各方面から痛烈な批判が寄せられたと、正直書いてありました。

ソニーの歴史の中で、成長した事業を売却するのは初めてだったからなのです。

特にソニーOBからも辛辣な攻撃。

「昔はよかった」とか「エレクトロニクスを軽視する経営はけしからん」

というものから、ズバリ「経営陣の退任を迫るもの」もあったそうです。

 

「そんなノスタルジーがソニーを今のような会社にして

しまったんじゃないか」

 

「いい訳や愚痴はなし。経営者は結果を出さなければならない」

 

どうでしょうか。

リーダーとしての覚悟、そして責任感。素晴らしいですね。

 

ただ、リストラされた社員から記念写真をせがまれた記述の個所。

「実は僕はバッテリーの開発をやっているのです。

つまり売却されてしまう対象なのです。」

ここは泣けましたね。

リーダーとしての孤独感も感じますね・・・。

 

しかし、

「エレクトロニクスを知らない社長」

という辛辣な批判は、社長就任後からずっと平井氏を苦しめたでしょうね。

 

何度も書きますが、ゲームの会社の子会社から社長になったのですからね。

上場企業では通常あり得ないお話ではないでしょうか。

 

私が経験した某野村證券では子会社の社長が本社の社長に

なることは、まったく考えられなかったですね。

分かりやすく言うと、半沢直樹ですね。

 

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半沢直樹はヘマをやって子会社の東京セントラル證券に飛ばされましたね。

昔の子会社とは通常そういう位置づけですからね。

東京セントラル證券の社長が、東京中央銀行の頭取になることはあり得ないのです。

 

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親会社の社長になれなかった副社長が子会社の社長に

転出する・・・。

昔はそういう転出も、

「サラリーマン出世すごろくの裏のあがり」だったのですね・・・。

 

しかし、この平井氏のグループ戦略はまったく違います。

副社長に抜擢した、現社長の吉田憲一郎はすごい方ですね。

当時それこそ子会社のソネット社長だったのを説得して

副社長になったそうですね。

「私はイエスマンにはなりません。好きなこと言わせてもらいますが

それでもいいですか?」

副社長受諾の条件だったそうです。

この吉田氏とともに、ソニーのグループ戦略を変えていきます。

今年の4月からソニーは「ソニーグループ」になっていますが

これも吉田氏の発案だそうですね。

「事業ごとに分社化してそれぞれ異なる財務目標を課す」

戦略に子会社を変えたのです。

昔の「子会社は天下り先」みたいな発想は当然ありませんからね。

 

こうして平井氏は冒頭書きましたように、史上最高益で

ソニーを復活させます。

しかし、任期6年の56歳ながら、社長を吉田氏に任せて退任してしまうのですね。

 

「こうして私はソニーを卒業した」

「ビジネスの世界から身を退いたつもりだ」

 

今後チャリティー活動をするそうですが、正直もったいないと思うのは

私だけでしょうか。

しかも、同級生が引退と聞くと本当に寂しい限りです。

 

私もまだまだ頑張るつもりですから、またどこかでカンバックしてほしいですね。

変革を成し遂げてほしい会社は、このコロナ禍の日本にはたくさんありますから。

 

とりあえず、政治家にでもなってほしいですね。

旧態依然の派閥にしがみついたイエスマンばかりの政治家をぶった切って、

日本を再生させてください・・・。

 

(ガンバレ! ソニーシリーズ おしまい)

 

 

 

 

 



 



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