その1 一押しの人生の応援歌


いのちのスタート



年初に少しだけご紹介した本ですね。
こんな本に出合うと、人生はなんてすばらしのかと
あらためて思いますね。
正直読みながら号泣してしまいました。

自分の生き方を問い直すきっかけになる本です。
単なるマラソン愛好家として取り上げるのではなく、
全ての人にささげる応援歌です。
特に病気で苦しんでいる人、仕事に悩んでいる人などに
ぜひ読んでいただきたい本です。
もちろん、ランナーは必読書ですね。


著者は大久保淳一氏。
長野県出身。1964年生まれですから、現在53歳。
高校生の時に陸上部に所属し400メートルの選手でした。
高校2年のときに長野県予選で県内6位になります。

長野というと佐久長聖高校という駅伝の強豪校がありますからね。
その中で6位ですから、かなり期待されたのでしょう。
ただ残念ながら指導者に恵まれなくて、
がむしゃらな練習のやりすぎで、故障。
可愛そうなことにドクターストップ。
そこで彼の陸上人生は終了してしまったそうです。


ただその後、勉強して名古屋大学に合格。
名古屋大学大学院に進み、石油会社に就職します。
しかし、その後結婚し、どういう訳か31歳でMBAを取るために退職。
35歳の1999年にシカゴ大学経営大学院MBAを取得。
それでゴールドマン・サックス証券に入社するのですね。


何だかこの経歴見ただけで感動しました。
私も31歳の時に子供が二人いながら
野村證券を退職して無職になって税理士を目指しました。

当時はバブル絶頂期。
英語のしゃべれる証券マンは高額で引き抜かれていました。
ましてや、MBAを取得した証券マンなら、
最低年俸4000万円くらいは保証されたでしょうか!?

「税理士でなくMBAでも目指したら?」
と本当に言われました・・・。


読みながら思い出しましたが、
当時野村證券は入社2年目になると英語のテストがあって
合格するとMBA取得のために休職して海外の大学に
留学できたのですね。

まさに憧れの「休職」。
私はその試験にあっさり落ちましたが、優秀な同期が
合格して社費で海外の大学に留学していましたね。

まあMBA取得するとほとんどが、野村證券を辞めゴールドマンなどの
外資系の証券会社に本当に高額な報酬で引き抜かれていましたね。

 

大久保さんは退職して苦労して
MBAを取得し証券会社に就職します。
私は31歳で証券会社を退職して税理士試験を目指したので
まさに逆コース。
私もその当時のことを懐かしく思い出してしまいましたね・・・。


しばらく、一押しの人生の応援歌をご紹介しましょう・・・。




その2 脱サラしシカゴ大学へ自費留学


この本は「がん闘病記」であるのは事実なのですが
大久保さんの職歴が私と真逆だったせいか、
彼のキャリアアップのくだりに妙に感動してしまいました。


名古屋大学大学院を卒業して石油会社に就職したのですね。
どこの石油会社か書いてありませんでしたが
「日本式経営をしていた古い体質の会社、
しかも終身雇用、年功序列の組織」とあったので、
たぶんメジャーでしょう。


そこに高学歴で入ったのですから、そのまま残れば
高収入で幸せな人生だったはずです。
社内留学制度を使って1年間、米国テキサスのオーステイン校へも
通わせてもらったのですから、
たぶん社内でエリートでもあったはずです。


それをなぜわずか6年間で退職してMBAを目指したのか・・・・。
ただ、なかなか大久保さんは愛すべき人ですね。
これは正直に書いてありました。


「卒業後にどんなキャリアを積みたいかなんて、
ろくに考えもせず、退職してシカゴ大学まできてしまった・・・。」


「シカゴ大学の自費留学が1200万円もかかるということも
知らなかった。もし知っていれば・・・」


「あのまま残っていれば良かった・・・・」


まあこういう若者多いでしょうね。
30代で何を目指したいのか、何を目指すべきなのか
ふと悩む人が本当に多いのですね。

 

ブログで初めて書きますが、野村證券に勤める現役の30代に
3人くらい人生相談したことありますよ。
あと他の会社の方で


「私は慶応大学卒の39歳です。年収は今900万です。
これから税理士目指したいのですが・・・」


という相談まで・・・。

 

「自分は仕事を通じて何を成し遂げたいのか?」

これこそが大久保さんの一生の命題です。
サラリーマンなら必ず一度や二度思い悩むことですね。

退職して1999年6月、
シカゴ大学MBAを見事終了します。
その時の所持金はわずか80ドル(9600円程度)・・・。

私も野村證券に勤務した8年間で貯めた資金を使い、
1年間無職となりながら大原簿記学校に通いました。
もちろん私もなけなしの貯金をはたきました・・・・。

 

 

「自分は仕事を通じて何を成し遂げたいのか?」

これはどんなサラリーマンでも考え、
そして一生悩み続ける「超難問」
なのでしょうね・・・・。



その3 モーレツサラリーマンがマラソンの虜に


苦労して外資系証券マンとなった大久保さんですが、
ここでひょんなキッカケでマラソンを始めます。
得意先の部長さんからホノルルマラソンに誘われたからですね。

マラソン愛好家としては、初フルの記録が気になりましたが、
4時間10分。
まあ高校生の時に長野県6位となった方ですからこれくらいは
当然でしょう・・・。

ここから大久保さんはマラソンにのめり込みます。
私の周りにもよくいる「食わず嫌い」ランナーですね。
やってみると楽しいのがマラソンですから・・・。

 

「だれにかに強制されるわけでもなく大会の予定を入れ、
その日が近づくのを楽しみにしている。そして、レースに
出場し始めると、単調な毎日にメリハリが出る。
これがまた楽しい。どんどんマラソンの虜になっていく。」

 

まさにそうなのですね。
これはそう実感するランナーも多いはずでしょう。
もともと陸上選手でもあったのですからね。記録もどんどん伸ばします。


渡良瀬遊水地マラソン(フル)3時間25分。
諏訪湖マラソン(ハーフ)で1時間29分。


次々に自己ベスト更新。素晴らしいですね。

ホノルルも渡良瀬遊水地もそして諏訪湖も走ったことある場所。
皆懐かしいのですが、私としては手も足も出ない記録ですね・・・。

 

そして何よりもっとすごいのはサロマ湖100キロの完走。
フルマラソンの倍以上の距離ですからね。
とてもかないません。
それを4年連続完走です・・・。

 

マラソンも素晴らしいのですが、
この大久保さん仕事もかなりできたようです。
ゴールドマンサックスでバリバリ働きます。
その頃、会社の業績もよかったのでしょう。
あの「ヒルズ族」で有名になった六本木ヒルズに移転。

生き馬の目を抜く証券会社でモーレツに働きながら
このマラソンの記録はすごいですね。


自慢ではないですが、私が証券マンだった30年前は、

「24時間〜♪ 働けますか〜♪」 の時代。


走ろうなどと思ったことも一ミリもなかったし、自分の余暇など
する余裕も時間もなかったですね。
学生時代にあれだけ打ち込んだ囲碁も
石すら触れたこともなかった。
毎日深夜まで働き、仕事の後は同僚と飲み、土日も働いたし、
たまの休みも同僚とゴルフ。
まさに四六時中仕事のことばかり考えていました・・・。


大久保さんは仕事もきちんとこなし、しかもマラソンも好記録で走り、
そして家に帰れば子煩悩な二児の父親。

充実していた幸せ絶頂の時期だったのでしょうね。


それが一瞬にして・・・・。




その4 突然ガン患者へ



2007年2月。
ちょうど記念すべき第一回の東京マラソンが開催された時、
42歳で私生活も充実し働き盛りの大久保さんは、
思いがけず、奈落の底に突き落とされます。

東京は抽選に漏れたものの、
サロマ湖100キロの5度目の完走を目指して
軽井沢でランニング中、何と大けがをしてしまいます。

「雪の軽井沢をランニング何てしてるから・・・」

とは思いましたが、ランナーですからね。
その走りたい気持ちよく分かります。


重度の骨折で1か月にわたる入院。
その入院中になんとガンが発見されます。
精巣腫瘍というガンなのですが、
ガン発見のくだりが妙になまめかしい。

 


「私には健康に自信があった。タバコは吸わない。
食事に好き嫌いはない。好んでジョギングもしている。
週に5回も走っている。
毎年の人間ドッグで悪い結果がでたことない。」

これを読んで「ドキッ」としましたね。
タバコは吸わず週5日は走っていて、人間ドックで悪い結果が
でたことのない私ですから・・・。

「こういう方でもガンに侵されるのか・・・・」

精巣腫瘍とは進行の早いがんらしいです。
でも冬の軽井沢を走って怪我して入院したからこそ
早期に発見されたのですね・・・。

しかし、

心の葛藤がこれも、かなりなまめかしく出ています。

 

「俺はなぜがんになってしまったのか。
ガンになったことで、人生はどう変わるのだろうか。
子供たちはまだ幼い(8歳と6歳)。
我が家は大丈夫だろうか。
会社にはいつから出社できるのだろうか。」


そしてガン摘出手術。
その手術の描写がかなり細かく、
まるでテレビドラマでも見ているかのよう・・・。


摘出したガンの病理検査の結果。
胎児性ガン、セミノーマ、卵黄脳腫瘍。
しかも、ガンが、腹部、肺、首にまで転移。
最も進行して最終ステージV- B・・・。

何度も書きますが、週5日も走っていて、
サロマ湖を4回も完走した健康そのもの大久保さんが・・・。


最後にもっとも恐ろしいフレーズが書かれていました。

「5年生存率49%」。

ということは5年間で2人に1人は亡くなる可能性・・・。




その5 副作用で間質性肺炎に


この本を読んでいろいろ思うことはあります。
つい数週間前まで元気に走っていたランナーが
突然最終ステージのガン患者に・・・・。


元気に働けること、そして元気に走れることは
何て幸せなことなのかと・・・。

何より、ガン治療の壮絶さを本当に知ることができます。
しかも、「生存率・・%」と宣告されたら本当に
人間はどうなるのだろうかと・・・。
読みながら大久保さんと一緒になって
ガンと戦っている自分に気がつきます・・・。

 

2007年4月9日。
息子さんの小学校入学式に出席した直後、
抗ガン剤治療のために入院します。
抗ガン剤全身化学療法はBEP法と言われ、治療法としては
確立されているそうです。
投与されるのは3種類の抗ガン剤。

この治療の記述がまた妙になまめかしい。
よほどガン治療について勉強されたのでしょう。
初めて聞く専門用語が並べられかなり詳細に書かれています。

副作用は、吐き気、嘔吐、脱毛、色素沈着。
でもこのような副作用は心配はいらないもの。
最も恐ろしいのは、末梢神経障害、骨髄抑制、
間質性肺炎・・・。


ワンクール21日間の抗ガン剤治療を続け、
これら強烈な副作用に苦しみます。


ガン治療とはこんなに壮絶なものなのか・・・。
本当に思いますね。

 

肉体的な苦痛もそうですが、
何より精神的な苦痛も多いのでしょう。


「入院病棟は牢屋と同じだ。」


働き盛りのサラリーマンがある日突然ガン患者になったら
本当につらいのでしょうね。


「自分は仕事と会社を通じて社会とつながってたんだ。」


あらためて思ったそうです。

3クールで合計39回の抗ガン剤治療の投与。

 

4度目のCT画像検査。
そこで恐れていた事実を知らされます。
何と問題の副作用である「間質性肺炎」を
発症していたことが分かるのです・・・。

壮絶ですね。
ここでまた手術を宣告されます。


ただその手術を受けるにあたって4つの病院で
セカンドオピニオンを求めたそうです・・・。
本当にどんな思いだったのでしょうか。

手術直前、皇居のランニングコースを見に行きます。
何だかこのあたりから、うるうる来ました・・・・。

 

8月6日ついに手術で五度目の入院。
この写真を見た瞬間、ついに耐えきられず
泣いてしまいました・・・・。


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その6 手術は成功したが・・・


この本は本当にガンについての勉強になります。


大久保さんのように、精巣腫瘍が最も進行したステージの
患者の多くが「後腹膜リンパ節郭清(かくせい)術」という手術を
受けるそうです。
名前からして何だか難しそうな手術ですね。


「簡単にいうと、お腹をタテに切って内臓を取り出し、
奥にある50個弱のリンパ節をすべてはぎ取る大手術」


なんだそうです。

「腹切って内臓取出して・・・??」

もう聞いただけで恐ろしくなりますね。


ガンというのは本当に怖いですね。
大久保さんが手術前に4つの病院でセカンドオピニオンを
受けた理由がこれで分かりますね。
できれば絶対受けたくない手術ですから。

ただ、この「後腹膜リンパ節郭清術」をして
「取り出したリンパ節に活動性のガンが見つからなければ
ガン治療は終了する」のだそうです。

 

2007年8月8日。3度目の手術。
大手術は難航します。手術開始から9時間かかったところで
奥さんが執刀医に呼ばれます。

本当にここで悪い知らせかと、奥さんは死を覚悟までされたそうです。


「ご主人のお腹の中は癒着が強く、それを解くのに
時間がかかっています。
これが終わったらリンパ節郭清術に入ります・・・。」


ここでテレビドラマの「ドクターX」の執刀の場面で
こんなやりとりがあったことを思い出しました。
大門未知子は見事に癒着を取り除いていましたね・・・。


結局、手術は15時間にわたる大手術でした・・・。
集中治療室でまる2日間、大久保さんは
生への執念で格闘します・・・。

でも15時間という大手術のダメージは計り知れなく
大きかったと思います。


手術から5日目。8月13日。
担当医が病室を訪れます。


「大久保さん、手術の病理検査の結果が出ましたよ。
取り出した47個のリンパ節は、
すべてガンの壊死組織でした・・・。」


とたんに大粒の涙が出て、自然と担当医と抱き合っていたそうです。
隣でもちろん奥さんも大泣き・・・。


ここで私も大泣きです・・・・。




その7 退院まで10カ月


でもガンというのは本当に怖いですね。
腹切って内臓取出しすべてのリンパ節を取り除いても
治らないのですね。
あれだけ号泣して、これでガンを制圧したかと思っていたら
まださらに怖いものがあるというのです。


前に述べた抗ガン剤が原因となる副作用です。
抗ガン剤治療中の6月にすでに発症していた「間質性肺炎」。
恐ろしいのは、突発性の場合は、治療が困難な難病なのだそうです。

 

具体的には抗ガン剤の影響で肺胞が線維化、
つまり肺が固くなります。
呼吸器系の劣化は肺組織の崩れということで、
元に戻るということはないのです。
ということは、マラソンランナーとして、肺が使えなくなるということは
受け入れがたいことで、本当につらい宣告でしょう。


さらに恐ろしいことに、急に症状が悪化した場合、
これを「急性憎悪」というらしいですが、
生存率は高くなく、大久保さんの精巣腫瘍の最終ステージという事実を
合わせると、一説には生存率20%以下・・・。

 

後腹膜リンパ節郭清術の手術の成功で8月に退院して
自宅療養を続けて、この間質性肺炎と大久保さんは戦っていました。


その大久保さんは、10月のある日に医師はこう告げられます。

「肺が真っ白ですよ。いったい、どうしたんですか?」

恐れていた「急性憎悪」が起こっていたのです。
これを聞いた直後の描写がリアルで泣けます。

この宣告の瞬間、何よりその生存率の低さから
最悪の事態まで考えざるをえなかったのでしょう。


ついにその3日後、この発作、つまり「急性憎悪」が起こります。
その後緊急入院して、治療するもののなかなか治療効果は出ません。


ここで16日目、ついに「ステロイド・パルス療法」の処置。

これはそれまでステロイド薬を一日最大7倍量(70mg)まで
増やして慎重行っていた投与を、なんと、100倍量(1000mg)まで
一気に引き上げるもの。
これはまさに「一か八かのカケ」


「私は、死を覚悟した。意識せざるをえない状況だった。」


その結果、やっと効果がでて、死と背中合わせの危機的な状況は
何とか乗り切ります・・・。
これで6度目の入院治療が終了。


これで2月の骨折から始まり、3度の手術と3カ月に及ぶ抗ガン剤治療、
さらに間質性肺炎の治療と退院まで10か月・・・・。

命はなんとか助かったものの、


「マラソンで作り上げた身体は、まるで100歳の老人のように
弱り果てて、脳の衰えまで自覚するほどだった・・・。」

 


何度も書きますが、
10か月前までは元気に走っていたランナーが突然・・・・。




その8 会社はどうなった?


ガンのお話ばかりですみません。
なかなか100キロマラソンまで進みませんね。
まだまだガンのお話が続きます。


10ヶ月も長期入院先して、ようやく退院して4か月目。
やっと走ろうと思ったらしいです。
でもジョギングどころか、トボトボ歩くのが精いっぱい。
1キロを16分もかかったそうです。
つい1年前ほどは1キロ4分で走れる高速ランナーが・・・。


しかし、ここらあたりで非常に気になることがありますね。
働き盛りのサラリーマンが大けがで入院し、
ガンを患って1年あまり、

「いったい会社はどうなったのだろう?
辞めてしまったのだろうか?
生活はどうなったのだろう?」


ところで、一昨日の2月4日は「世界がんデー」でした。
新聞テレビで、多くのガン患者が登場していましたね。
この本のおかげか、かなり興味深く注目しました。

特にガン患者に対する世の中の対応が
多く紹介されていました。
酷い話ですが、ガンになったとたん、退職を強要されたり、
リストラされたり・・・。
まだまだガン患者に対する世間の目は
かなり冷たいらしいですね。

今や二人に一人がガンになる時代なのだそうです。
これは考えなければいけないことなのでしょう。

 

1年2カ月も間が空いていましたが、
しかもまだ間質性肺炎の治療中ながら、
春から1日3時間程度で週1〜2回、無理のない復帰を
会社は認めてくれたそうです。

大久保さんの勤務先が外資系だったから良かったのでしょうか。
ここは考えさせられましたね・・・。

こういう対応を日本の企業がしてくれるものかどうか・・・。


実は、大久保さんは辞めることなく、その後長く勤め続けます。
野村證券の多くの友人が転職したゴールドマンサックスですので
多少知っていますが、長くても勤続年数4、5年が普通です。
しかし、結局大久保さんは、ガン闘病中も含め、15年間も
勤務することになりました・・・・。


しかし、この年は実は2008年。
お分かりですね。
「リーマン・ショック」の年だったのですね。
外資系金融機関が未曾有うの大不況に陥る年です。
多くの従業員がリストラされた年なのですね。

外資系サラリーマンだったから、
ガン患者でも会社は大事にしてくれたのでしょうか。
ゴールドマンサックスは本当に素晴らしい会社ですね。

しかし、これが中小企業に勤める普通のサラリーマンだったら、
そして私のような自営業者だったら・・・


またも書きますが、


「私には健康に自信があった。タバコは吸わない。
食事に好き嫌いはない。好んでジョギングもしている。
週に5回も走っている。
毎年の人間ドッグで悪い結果がでたことない。」


こんな方がある日突然ガンになるのです。
やはりガンは本当に恐ろしいのですね。


何だか「ガン保険」でも今さらながら
加入しようかと思ってしまいました・・・。




その9 屈辱的なハーフマラソン


マラソンのお話をそろそろ書きたいところですが、
書けない理由があるのですね。


本当に走れなかったのです。
ガンの副作用である間質性肺炎の治療が2年半にも
及んだのですから。
肺は病気と治療で3分の1が機能していないため、
走ろうとさえも思わなかったのでしょう。

 

ようやく走ろうと思ったのはがん治療が終了してから
3年後です。

2010年9月12日。
故郷長野で開催された第4回八ヶ岳縄文の里ハーフマラソン。
きっとフルマラソンは無理でもハーフくらいなら走れると
エントリーしたのでしょう。


でも3年間の治療で、抗ガン剤、ステロイド薬、免疫抑制剤。
それまで250本の注射を打ち、50種類以上の薬を
身体に入れていたのです。
薬によって助けられ、薬によって破壊された身体だったのです・・・。

 

スタートして15分も経たない頃、後ろを振り向くと10人くらい。
しかも次々と抜かされます。

8キロ地点でとうとう「最終ランナー」に。
9キロ過ぎにあまりのつらさに歩き出してしまいます。

 

病気になる前は70以上のレースに参加していたそうですが
こんな屈辱は初めてだったはずです。


14キロ地点収容車から人が下りてきて
ついに収容されるのかと思っていたら
おにぎりを差し出されます。

 

「あんた、大丈夫かい。後ろで見てくれると
何だか泣けてくるんだよ・・・。」

 

差し出されたおにぎりは銀色のアルミ箔で
包まれたまんまる。
つまりコンビニでも売っていない家族が作ってくれたおにぎり。
それを頬張るとポタポタと涙がこぼれた・・・・。


ようやくゴールしましたが、3時間以上もかかり当然ビリ。

 

この本は何度も泣かされましたが、
このハーフの記述はまさに号泣・・・。

 

読みながら私の7年ほど前のハーフマラソンを思い出しました。
大久保さんも走ったことがある渡良瀬遊水地。
私が走り出した頃、2度目にチャレンジしたハーフマラソン。
あの頃はハーフ走ると必ず15キロ地点になると足が攣りました。
2時間30分をなかなか切れません。


制限時間2時間40分の大会でしたが、不遜にもエントリー。
17キロ地点で3回目の痙攣で本当にやめようかと思っていると
後ろから収容車が見えました。
もし、あそこで収用されていたら


「自分はマラソンは向いていない。もうやめよう。」

本当にそう思ってそれ以降走らなかったかもしれません。

でもそこから頑張って2時間36分で走りきったのです・・・。
そんなつらい思い出もランナーには、一度や二度必ずあるのですね。


そんな気持ちを思い出すと、この大久保さんにとっては屈辱的なハーフマラソンを
読み返しながら何度も泣いてしまいました・・・

 


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その10 6年ぶりにかすみがうら完走



「やっぱり、俺はもう、だめなんだ
もうマラソンなんて走れない身体なんだ・・・・」

八ヶ岳縄文の里ハーフマラソンでの大失速で
大久保さんは走るのを辞めてしまいます。

その後、仕事に集中します。
本当に、外資系企業は、ガン患者にはやさしいですが、
仕事にはキビシイのですね・・・。


再び走り出したのは、最後の退院から四度目の春を迎えた2011年。
この時46歳。

検査で腫瘍マーカーの数値が急に上がり再発の疑いが出ます。
結局1週間後数値は収まり事なきを得ましたが

「自分に残された時間は無限ではない」
「せっかく生かしてもらったのだから、自分との約束を果たしてみろ」


ふたたびマラソン復帰への闘志に火が付きます。

復帰へのレースはそれから1年後の2012年4月に行われる
第22回かすみがうらマラソン。
私もその3年後に走ったことのある大会ですね。こちら

それから計画的なトレーニングが始まります。
走るコースを皇居に変え、頻繁にジムでウエイト・トレーニング。
このあたりは走りに対するストイックな考え方ですね。

毎月100キロ程度と徐々に走行距離を伸ばします。
そして夏場の走り込みの後、あの因縁の「八ヶ岳縄文の里マラソン」
前回から30分以上短縮し完走。
翌2012年1月には走行距離177キロまで。

こうなってくると、今の私くらいのトレーング量でしょうか・・・!?
3月の熊谷さくらマラソン(ハーフ)ではついに2時間切り。

そして2012年4月15日。
ついにフルマラソン復帰です。
6年ぶりのフルマラソンです。
まさに「いのちのスタートライン!」

5年生存率が49%とも20%とも言われた方が・・・。


でも大久保さんのすごいところはあくまで
タイムに拘るところなのですね。


あれだけの大病をされて死の淵をさまよった方が
マラソンに復帰できたのですからね。
完走を目指せばよいものを、あくまで4時間台に拘った
ようです。
このあたりは見習わなければいけませんね・・・。

結局4時間49分で完走・・・。


読んでいて恥ずかしくなりました。
私も走り出して5年後かすみがうら走りました。
結果は4時間46分。

大病の後に6年ぶりに走った方と、
五体満足で5年間も真面目に走ったものがタイムが変わらない・・・・・??

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その11 サロマ湖100キロ完走!


かすみがうらマラソンを完走した大久保さんは、
翌年6月のサロマ湖100キロを完走することを計画します。
しかし、当然でしょうけど家族から大反対。

それでも復帰して8か月成績はぱっとしません。
翌2013年から毎月フルマラソンにエントリー。
1月勝田全国マラソン、2月東京マラソン、3月板橋Cityマラソン、
4月かすみがうらマラソン。
すごいスケジュールです・・・。
でもようやく、4月のかすみがうらで4時間24分というレベル。
申し訳ないですが、私のベスト4時間30分とそれほど変わらない・・・。


しかも、走る直前走り過ぎが原因か血液の異常数値。
このあたりガン患者の苦労なのでしょうね。ドクターストップの危機。
ただ1週間前に数値が正常化しようやく出場決定。

 

2013年6月30日。
大久保さんは悲願だったサロマ湖100キロマラソンの
スタート地点に立てることができました。

なぜ走るかという、記者の問いに対する大久保さんの答え。

「ガンを発症する直前が、俺の人生のピークだったなんて
大ウソだったと自らに証明したい。
完走できたら、闘病の終止符となり、人生の振り出しに戻れると
思っている。だから走る。」

なんだか走る前からウルウルきていました・・・。
完走することが、まさに「いのちのスタートライン」なんだと。


ただ、走り出して20キロくらいまで調子が悪い。
ビリから50番目くらいの位置。
このままいけばリタイア当確。

「ガンバレ!」

もうこのあたりから一緒に大久保さんと走っている自分に
気がつきます・・・。

ようやく30キロ地点からペースを上げてきます。

50キロ地点の関門突破。

ここで青く美しいサロマ湖が現れ、
大久保さんは「生きていること」を実感します。

レース後半は、厳しい制限時間との闘い。
しかも路面温度は27度まで上がり、灼熱地獄。

60キロ関門を制限時間8分前に通過。
走りながらこう考えます。

 

「私はある時からガンになってよかった、間質性肺炎になって
よかった、と思うようになった。
病気で失ったものより得たもののほうがはるかに大きいと
感じたからだ・・・。」

応援しながら涙が出てきます。

「ガンバレ!」

次の難所の70キロ関門は、5分前通過。
80キロ地点は、なんと2分前通過。

いよいよ関門アウトかと思いながら読んでいると
信じられないことが起こります。
動かないはずの脚が動きだしたのです。
1キロごとに1分ペースアップ。

90キロ地点通過。

フラフラなはずなのに、先行しているランナーをどんどん
抜いていきます。
ゴールまであと1キロの表示。

 

もうだめです。ウルウルきています。

 

ついにゴール!


100km_4

 

 

この写真でこらえきれず涙。
これこそ「いのちのスタートライン」!!

 

そのあとの奥さんのコメントにも号泣・・・・。


 

(ありがとう大久保さん! ガンバレ大久保さん!

シリーズ おしまい)













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