その1  ユニクロは本当に60周年!


成功は


ご存知、今や「一人勝ち」のユニクロの経営学。

週末に「60周年記念セール」のチラシご覧になった方も多いでしょう。
限定特売のために、朝6時!から並びましたか?
60周年とは知らなかった方も多いのではないでしょうか。
60年前に現社長の柳井正氏のお父様が山口県宇部市で創業したのが
そのルーツだそうです。
そのときはただの田舎の洋服屋(失礼!)だった訳で
実際に今の「ユニクロ」として第一号店が広島に1984年に出店されたので
60周年というより、25週年くらいが妥当かもしれませんし、
一般の方がユニクロを知ったのはあの「フリース・ブーム」からでしょうから
おおよそは10年ほどでしょう。


その新興企業が、あたかも老舗企業のように60周年と言い張り、
しかも、朝6時から特売品を売っているのは、
この柳社長の実にしたたかな経営術であると、
この本を読むと良くわかります。


個人的なお話ですが、最近アパレル関係のお客様が増えてきました。
そんな関係で、以前からアパレル業界の急成長企業である
このユニクロには注目してきました。
本も何冊か出ているので、それを買って読んでいたのですが、
どうもよく分からない。
多分評論家や経営コンサルタントの方の勝手な解釈で
この柳哲学を想像で書いていたから、よく分からなかったのですね。


この本は、柳井社長の経営哲学が実によく分かります。
どうしてかというと、これは柳井社長直筆の本であるからなのです。
何冊も経営者本をこのブログでご紹介してきましたが、
通常は代筆がほとんどです。
忙しい経営者のこと、なかなか本を執筆する時間などない訳で
たいていの経営本は、ライターさんが取材を元に書いているそうです。
これは出版社の方から聞いたお話なので本当なのでしょう。


しかしこの本は明らかに違います。
まず文中に、柳井氏の全社員へ宛てたメールが5回も出てきます。


ユニクロは毎年1月1日に全社員に社長から、その年の経営方針を綴った
実に長いメールを送っているそうです。
元旦早々、社長からメールを送りつけられる社員の方々は
大変でしょうけど、「それを全員熟読している」と社長は断言しています。


そのメール文と、この本文がまるで同じ文体で同じ主張なのですから
間違いなく柳井社長自ら書いているのでしょう。


よって「ユニクロ哲学」がこの本にすべて書いてあります。
巨大戦艦「ユニクロ号」がどこへ向かうかを知っておくことは
アパレル業界に限らず、これからの経営者として必要なのでしょう。


ただ、どことなくかつての巨大戦艦「ガリバー野村号」と同じように
思えるのは私だけでしょうか・・・。






その2 売上高5兆円に?

急成長した「ユニクロ」。でも誰でも
「知っているよ。中国で安く作らせたあの激安のフリースで有名な・・・。」
そう言うでしょう。
10年前のユニクロは確かにそうだったけど、
今やもうそれだけではない会社なのですね。
真面目にこの本を3回読み直してみました。
「なぜユニクロが躍進したのか」
その答えを知りたいがために・・。


実はこの本の前に、6年前に柳井社長が「一勝九敗」という本も
出していて、その続編なのですね。

1勝九敗


単行本だけでなく文庫で出ていますから、ぜひ比較して読んで下さい。
柳井哲学が良くわかります。


6年前のユニクロの状況はご存知ですか。
フリース・ブームが一段落して、柳井社長が53歳ながら
急に社長交代を宣言した状況でした。
次期社長に若干40歳の慶応大卒のイケメン・ラガーマン玉塚氏を
抜擢したのですね。
皆驚いてこの成長企業を見ていたはずです。
その直後に、先ほどの「一勝九敗」が出版されました。
それまでのユニクロの生い立ちから何から書いてあります。
一勝九敗の題名どおり、ユニクロは失敗をし続けた
ベンチャー企業そのものであったと・・・。


ところが残念ながら、わずか3年ほどで期待の玉塚社長はなぜか
ユニクロを離れることになる。
それでまた、柳井氏が社長に復帰し、これまた大躍進・・・。


「でも一人勝ちではないよ。社員よ、おごるなよ。
 我々の目標は日本一なんかではない。世界一なんだよ。」


そう言いたいのでしょうね。
それがこの題名「成功は一日で捨て去れ」によく現れています。


先ほどの玉塚氏がなぜユニクロから離れたかから
この本は始まります。


要するに、柳井氏のお眼鏡に適わなかったということなのでしょうか。


「彼の人柄や育ちの良さのせいか意外と安定成長志向である。」


そう言いきっています。


「突っ込んでいかなければいけないようなチャンス時に、
思い切って挑戦しなかった・・・」

すごいですね。
アパレル業界に多少今足を突っ込んできた私としても
本当にそうなのか疑ってしまいます。
この経済環境下、業界的には本当に厳しいと
感じています。


でもこの柳井氏のパワーには脱帽です。
この不景気の中、巨大戦艦「ユニクロ号」と、さらに日本経済までをも
強引に進める馬力を柳井氏から強烈に感じます・・・。
この本にも書いてあるのですが、今朝の日経新聞でも言っていますね。


「2010年に売上5兆円! 経常利益1兆円!!」




その3  どうやって5兆円に?


「2010年に売上5兆円! 経常利益1兆円!!」
これはきっとこの本を読まない限り、意味が分からないかもしれません。
数字的に見れは現在の売上7倍、経常利益はなんと!10倍にもなります。


普通はこの数字だけ聞けば


「そんなバカな! アパレル業界で売上を10年間で7倍なんて
絶対にできる訳ないさ!」
「10年で経常利益を10倍に??? アパレル業界の利益率を
分かっていないのではないの!」


こう必ず突っ込まれるでしょう。
アパレルの会社の顧問税理士でもある私としても本当にそう思います。


でも、この柳井社長のポジティブな考え方は業界内の人とは全く違います。


この本には
「衣料品小売業界内の人とぼくの考え方が一番違うのは、
 チャンスは既存のこの業界内には無いと考えている」


とハッキリ言っています。このままでは
「狭い市場の中の同じサイフの奪いになるだろう」と。


そうでしょうね。
いくらユニクロが売れに売れても、やがて回りの人が
全部ユニクロを着ていたら・・・と思いませんか。
例えば、子供服でも将来、学校行ったら、
クラス全員がユニクロだった・・・。
そうは確かにならないと思うのですね。
そのあたり、しごく当たり前というか、冷静にお考えになっていると思います。


ではこの社長さんは、どうやって売上高5兆円にもしようと考えているの
でしょうか。
本の中でも、昨日の日経新聞でも掲載されていましたが
実に恐ろしいことをお考えになっているようです。


海外の大手アパレル会社と当然競争したいというのは分かりますが
他の業態とも競争したいと考えているのです。
今後M&A戦略を強烈に推し進めるのではないでしょうか。


具体的に上げているのは、携帯電話とインターネットです。
10年後にユニクロは大きく変わるかもしれないですね。


AUあたりを買収して「ユニクロ・フォン」?になっているかもしれないですし
楽天あたりも買収して「ユニ・天」?になっているかもしれないです・・・。


これは恐ろしいことを考えているお方だと本当に思います。
10年後にはアパレルというカテゴリーには属さない大企業グループに
しようと考えているのですね。


多分10年後には、きっとフリースなんか売っていませんよ・・・。





その4  最初は本当に中小企業だった・・  


ユニクロは本当に10年で利益が10倍になるかどうか
私としての予想は最後にします。


ユニクロがなぜこれほどまでに飛躍したか、これは中小企業にとって
本当に参考になるお話です。
このネタは私は今後言い続けるかもしれません・・・。


1984年(昭和59年)6月、ちょうど私が社会人として歩み始めた年に
広島市で「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」としてスタートしました。
その名前が省略されて、後に「ユニクロ」になるわけです。
柳井氏はこのとき35歳。
会社は個人経営のメンスショップを法人なりした「株式会社小郡商事」。
その年でその社長を引き継ぎます。


コンセプトは 「週刊誌みたいにカジュアルウエアを買える店」
商品は1000円と1900円の2プライス中心。
もうすでにユニクロの原型みたいですね。


まず注目すべきは、若干35歳の新社長の決断力です。
メンスショップ小郡商事はもともと名前の通り、紳士服の店でした。
「VANブランド」ってご存知でしょうか。
私の年代のおじさんでないと知らないでしょうね。
アイビーブームで一時流行した・・・。


でも、この新社長は早くも紳士服に見切りをつけていきます。


「紳士服は接客しないと売れない。同じ商品でもうまく勧めれば
売れるが、勧め方が悪ければ売れない。セールストークから
採寸まで、技術や熟練が要求される・・・。」


それに対してカジュアルウエアは「接客せずに売れる」
「もしそのまま紳士服を売り続けたら、潰れていただろう」と
その後本当に言っています。


ちょうどその頃は「紳士服の青山」など、郊外型の紳士服チェーンの
勃興期です。
当時証券マンだった私もよく覚えています。
デパートや専門店で買うような商品が、郊外の大きな店で
品揃えと安さで拡大していきました。
その波にユニクロも乗れたのでしょう。
FC展開して売上を伸ばしていきます。


経営学的になぜチェーン展開するかお分かりになりますか。
もともとユニクロは安い商品を売る店ですね。
当然大量仕入することによってコストを下げたかった訳だと
誰でも想像がつきますね。
大量仕入できる力=バイイングパワーをつけたかったのです。


一方で自社企画商品を作ろうともします。
オリジナル商品を手がけようと、メーカーに製造委託をし、
香港に現地法人を設立していきます。


30台の若手社長、やはりなかなかのやり手です。
店舗も増えていき、87年には13店舗、売上高22億円、
経常利益6500万円になっていった。


ただ、そのうち7店舗はまだ紳士服の店で
当時としては、よくある田舎の(失礼!)中小企業だったのです・・・。





その5  世界企業への転換点


ユニクロは、1988年売上高27億円、経常利益4300万円。
89年売上高41億円、経常利益4800万円になります。
順調に売上を伸ばしていきます。店舗数は22店舗に。
でも、ここではまだまだ、失礼ながら「田舎の中小企業」だったのです。


90年に、つまり時代は平成のバブル景気に移り、柳井社長も変わります。
誰も言ってないし、本にも書いていないことですが、
柳井社長が「田舎の中小企業経営者」から「世界企業の経営者」に
変革したスタートの年ではないかと思うのです。
私はその年がユニクロの本当の意味での「第二の創業」だと感じます。
自らその当時は「経営の素人」と言っていたところから、
その年から真の経営者に変わろうと努力をし始めます。


まず、数字から見て、売上は伸びているけど、利益は伸びていませんね。
先日ご紹介したように、バイイング・パワーをつけることによって
仕入コストを下げようとした。
でも、この経営者はなぜ利益が出てこないのか分からなかった。
必死になって勉強します。
このあたり、並みの青年実業家とは違うところです。


ではなぜ、そのあたりが分からなかったか?
これからお話しすることは税理士として読んでいて
本当に考えさせられました。


そんなことさえ分からなかったのも当然です。
売上高が41億円にもなっていながら、この会社に経理の担当者が
いなかった・・・。
この事実に対して、驚きですね。
でも当時としては、「地元の税理士の先生にみてもらうのは
当たり前」(本人談)のようでした。


いわゆる業界的に言えば「記帳代行」なのです。
しかも完全丸投げだったのではないでしょうか。
通帳のコピーと領収書から決算書を作るような・・・。


どんな先生が見ていたかは分かりませんが、今日成長して22店舗にも
なった会社です。
それも経常利益が4000万円も越える・・・。
関連会社が数社あったようですし、
これは会計事務所としては「おいしい」お客さんだったのでしょう。
でもそんな「丸投げ経理」では、管理会計なんかできるわけないですね。


確かに急成長企業としては、こんなドンブリ経営では本当に問題です。
でもこの社長のすごさはそれに気づいたことです。
「これではダメだ」と。
社長は経理担当者を募集し、経理を強化し、POSシステムを導入し
各店舗の標準損益を設定して、それを中心業務とする業務改善室を
作った・・・。


そうして、この90年から、上場公開を目標に掲げ、
次々と改革整備を進めていったのです。




その6  上場公開へ


ここで柳井社長は会社を上場公開しよう!と
決意します。
これは公開の典型的な例ですね。
なぜ柳井氏は公開企業にしようとしたのか、これはまた参考になるお話です。


90年当時、私も現役の証券マンだった頃なのでよく覚えています。
当時は売上高が30億円くらい、利益が1億円を越えてくると
証券会社は皆「上場しませんか」とアプローチをかけていました。


「公開すると持ち株の価値が跳ね上がって億万長者になります!」
そんなセールストークが横行するくらい、上場すると株長者が
全国で出現していました。


でも、この社長は会社の公開の目的を、まったく違う次元においていたと
思うのです。
ずばり「資金調達」です。
当時は、本当に資金繰りが大変だったそうです。本にも


「1990年当時の我が社は、洋服の販売店がユニクロ7,8店舗を
含めて直営店は10数店舗しかなかった。
運転資金はいつもぎりぎりで、設備投資資金はほとんどなかった・・・」


なるほど!だからフランチャイズ(FC)展開を図ったのですね。
ずばりカネがなかったから・・・。
この本にも前著(一勝九敗)にも2回でてくるお話。
よほど悔しかったのでしょう。


「3年間で100店舗出店してから公開する!」


この急成長期にそう宣言したものの、メインバンクから資金の引き上げを
通告される・・。
これは公開しかない!そう思ったのでしょう。
「公開して銀行を見返してやる!」と。



それとここでまた業界人として感動したお話。
ここでユニクロを急成長させた運命の方と出会いました。


公開コンサルタントの公認会計士 安本隆晴先生 との出会い。
柳井社長41歳。安本先生36歳のときでした・・・。





その7  運命の出会い


ユニクロ経営学を学んで一番うらやましかったのはここです。
41歳の青年実業家は必死になって経営を勉強していた際に
一冊の本に出会います。安本先生の書かれた
「熱闘 株式公開」という本です。
今では絶版になって手に入らないのですが、社長いわく、
「読者の立場に立って、経営や株式公開のイロハが分かりやすく
書かれている」そうです。
この本によって、柳井社長は上場公開を目指すようになったのです。
すぐさま安本先生を山口県の宇部本社に招き、コンサルティングを
依頼します。


その時は36歳の若き会計士だったのですが
それ以来お付き合いが続き、現在は株式会社ユニクロとその持ち株会社
である株式会社ファーストリテイリングの監査役をお勤めになっています。
20年間ずっとこのユニクロの成長を支えてきた方なのです。


ユニクロのホームページにもバッチリお顔も出ています。こちら
若々しくやさしそうな先生ですね。
アスクルの監査役もお勤めで、現在は大学教授でもいらっしゃいます。
しかも、いろいろ本もお書きのようですね。
「ユニクロ!監査役実録」も読んでみたい本です。


しかし会計士として、こんなうれしいことはないのではないでしょうか。
自分の関与した企業が大発展をして、売上数十億から一兆円になる・・・。


なんと幸せな会計士でしょうね。
業界人としてたまらなくうらやましく思います。
当事務所の経営方針として
「顧客とともに栄える 開業から上場まで」
を私は開業以来掲げています。
こういう企業とお付き合いしてみたいですね。


ここで個人的に 「しまった!」 と思いました。
私もこれでも30台で「個人事業の超簡単経理」を書きました。
読者の立場に立って、経理の初歩を分かりやすく書いたつもりです。
ありがたいことにその後ずっと改訂を続けています。


こんなことなら、そのとき
「超簡単 株式公開」
も書いておけばよかったと本当に残念に思います。


そうすれば、今頃私も一兆円企業の顧問税理士になっていたかも
しれませんね!?
売上が一兆円だと顧問料は一億円!?(下品なお話ですいません・・・・)





その8  月次決算を初めて!導入


1990年からユニクロは安本先生の指導のもと、
公開に向け準備作業を進めていくのですが、
ここで公開準備作業について、詳しくご紹介してみましょう。
ぜひ知っていただきたいこともあります。


まず、「月次決算」をスピーディーに正確に実施するようにします。
こんなこと当たり前だと思われる方も、絶対にいるかもしれませんが
先日ご紹介しましたように、当時は地元の税理士に経理を「丸投げ」
していたのですね。それでは公開なんかできるわけないのですね。
だからこそ、自社内の経理システムの確立を真先にしました。
と同時に、仕入、販売、在庫、店舗運営、出店管理などの
不正や間違いを防止、発見するための牽制制度を確立していきます。


当時は言われなかった言葉ですが、今はやりの「内部統制制度」ですね。
それと、社内管理規定や運用マニュアルを作っていきます。
給与体系も整備したそうです。


ここまで読んで、
「なんだ!ユニクロも、昭和の時代までは、日本全国どこにでもいる
そのあたりの中小企業そのものではなかったのではないの?」
そう思うでしょう。
だからこそ「田舎の中小企業」であったと私が申し上げたまでです。


でも日頃、会計事務所を経営している者として、
次の言葉は非常に参考になりました。
安本先生の次の言葉で、このユニクロの経理システムが
一瞬にして変わったのです。


「決算書は経営者の成績表です。
それを自前で作れなければいけません。
毎月、月末で締めて即座に作って評価し、翌月の対策を打つ。
この月次決算書の流れも大事です。」


この一言で、世界のユニクロへと経理システムが確立していったのです。
日頃、商売柄「記帳代行業」という職業があることを十分知っています。
それを商売の種としている業界人として、実に「深い」言葉です。


このフレーズは、中小企業がユニクロのように
世界に羽ばたいていただくために、
私はこれから1000回くらい言っていくでしょう!






その9  株式公開の本当の狙い


「日本の税制が悪いから!」
当時の公開する理由を柳井社長は明確に言っています。


これは税理士としてよく理解していなければならないことですね。
「当時は利益の6割が税金だった。仮に2年続けて10億円の利益が
出たとすると、約6割が法人税等に支払われる。おまけに前年度の
税金の3億円を当年度に予定納税しなければならない。・・・
一瞬にして9億円が税金に消えるような気さえする・・・」


これは理解できますね。
ただ、その後税率は下がってきたのですこし状況は
当時と変わってはいますが。
急成長する企業にとって納税が大事な問題になってくる。
だからこそ、資金を得るために株式公開しかなかった・・・と。


どうでしょうか。
これが柳井社長のいう公開の真の目的です。
結果的に公開によって彼は世界有数の株長者なったのですが、
もともと株長者を狙ったわけでなく、資金繰りのために
資本市場から資金を調達したかったのです。


でもここで、株式公開と税金のお話、もっと突っ込んで書いてみましょうか。
税金を支払うのが好きな社長はいません。
私もこの業界に飛び込んで15年くらいは経ちますが、そんな社長には
お目にかかったことはありません。
どんな社長でも、税金を好き好んで、喜んで支払う訳ないのです。


顧問税理士としていろんな社長にお会いしました。
「なんとかならないか!」
納税額を説明すると、そう怒り出す社長も多いものです。
それで多くの税理士は
「では関連会社を設立して、経費を発生させ・・・」とか、
「社長のお持ちの土地を会社がお借りして、賃料を払う・・・」
などなど、あれこれ知恵を絞って「合法的な」節税策を講じるのですね。


でもお話が株式公開となると、こういう関連会社や社長との
私的な取引はご法度なのです。
「資本政策」といって、上場公開を目指すとまず関連会社の整理から
入るのです。
会社が本当にどれくらい儲かっているか、明確にするためです。
当然節税ではなく、正しく納税することも要求されます・・・。


つまり、株式を公開するということは


「当社はこれだけ儲かっています。よって配当もキチンと出します。
当社の業績はこれだけすばらしいですので、ぜひ出資してください。
株も買ってください。」


それが公開ということなのですね。

配当するということは、節税なんかしないで利益を
たくさん出さなければならないということなのです。
大変大事なお話です。この発想お分かりになりますか!





その10  会社はお客様のもの


「会社は誰のものか?」
というくだりがあります。
こここそ柳井流の経営学の真髄だと思います。


先週かなりしつこく公開のお話をしてきましたが、
株式の公開というのは、基本的には「会社は株主のもの」という
考えに立つものです。
だから、配当をして株主に報いなければならない。


でも、この柳井社長は


「会社はお客様のもの」


と言い切っています。
「上場企業の社長がそんなことをいっていいの?」
私としても突っ込みたくなるところです。
それこそいつか株主訴訟でも受けてしまうのではないかと
危惧さえしてしまいます。


100歩譲って「ユニクロというブランド」は
お客様のものと考えたとしても
上場している以上、「会社は株主のもの」と考えるべきでは
ないのでしょうか。
でも「そんなことはありえない」と社長は完全に否定もしています。


このお話は、日頃中小企業の経営者と接している税理士として
よく問いかける「問答」です。

以前「会社は誰のものか?」
というテーマで証券税制のセミナーをよくやりました。
私自身このお話はライフワーク!にしようかと思っているくらいの
テーマなのですね。


株式公開を念頭におかない中小企業は、会社=社長のもの
という発想が多くなります。


例えば決算前に1000万円も利益が出ているとします。
「では決算大バーゲンをやりましょう!」
そういう発想は、ユニクロのような「会社 = お客様のもの」
という考え方なのでしょう。
消費者側に立てば実に望ましい経営です。


会社は株主のものという発想なら

「1000万円で税金400万円支払った後
600万円配当して株主に報いよう」

となります。難しいですがこのあたりお分かりになりますか?


「では1000万円を決算賞与として従業員に配りましょう!」
そういう発想は「会社は従業員のもの」となるのですかね。
実際はほとんどないですが・・・。


でも多くの中小企業はこうです。
「繰り延べの節税策を講じて、社長の役員報酬を来期から上げましょう」
だいたいこれで納得してもらえます。
やはり日本の中小企業経営者に特有の発想はこれです。

「会社 = オレのもの」






その11  柳井社長の意地

「会社はお客さまのもの」

という言葉は、個人的には少しキレイすぎるとは思います。
でもこれこそがユニクロの戦略なのですね。
何度も読み返してそう思いました。


「会社は誰のものか」という商法学者が好きなテーマは
経営者にとっては違うのですね。
これは勉強になりました。
このお話は深いです。私自身もっと勉強してからまたアップしましょう。


では「会社はお客さまのもの」という観点から、
ここでユニクロの強みについてもっと掘り下げてみましょうか。


これは柳井流の経営哲学というより、柳井社長のこれまでの
意地といったら失礼でしょうか。


お話を1994年の公開時点に振り返って見ましょう。
1990年に公開しようと宣言して、わずか3年ほどで広島証券取引所に
株式を上場します。


ユニクロ = 安売りの店
そういうイメージがもともとあったのでしょう。
だからこそ、安売りの商品 = 粗悪品
そうではない!と意地でも何としても言いたかった・・・。


それで上場して

「購入後3ヶ月は理由を問わずに返品します」

そういう画期的な戦略に出ます。


これは幻のCMで、見た人はほとんどいないらしいですが
関西のおばちゃんがユニクロのレジの前で、
「この服気に入らんから交換して」と言いながら服を脱ぐCM。
なんと強烈で下品なCMでしょうね。
私も記憶がないのですが、当然クレームの嵐ですぐ中止に。


そのあと、すぐ

「ユニクロの悪口言って100万円」

という奇抜なキャッチコピーを全国紙に出しました。
そのときも、
「1900円のトレーナー1回洗ったら糸が解けた、2回目は脇に穴があいた」
「Tシャツを一度洗っただけなのに、首のところが伸びた・・・」
などなどクレームの嵐だったらしいです。


この安売り=粗悪品 とのイメージとの戦いこそが

「会社はお客さまのもの」

という理念というか信念に結びつきます。


その悔しさがバネになって、その後、今までの日本にはない独自の
アパレル製造小売業(これをSPAというそうです)
という新規分野を開拓していったと思うのです・・・。






その12  ユニクロ・ネタの本心

ユニクロ・ネタで連続してアップしています。
書きながら自分でもヒートアップしているのを感じています・・・。
なぜこれだけユニクロにこだわるのか、ここで本心を書いておきます。


このデフレ・スパイラルの崖っぷち日本経済の中で、
「一人勝ち」のユニクロの飛躍の理由を「暴く」ことは
この不景気に立ち向かう中小企業の原動力になると思っているからです。


結論を先に言います。こんなことは言い過ぎかもしれませんが

「ユニクロを10年間で売上を5倍になんかさせてはいけないのです!」

ユニクロの売上が1兆円から5兆円になるということは
他の企業の4兆円の売上が食われてしまうということではないでしょうか。


今や中小企業はこのデフレで喘いでいます。
事務所の近く中野では、100均ショップが大繁盛し、立ち飲み酒場が乱立し、
ワンコインランチも増えてきました。
ユニクロが990円ジーンズを売り出し、今まで2980円や
3980円で売っていた洋品店が大打撃を受けています・・・。


値段を安くするということは、原価は無論、どこか切り詰めなければならない。
人件費なのか他の経費緒なのか、リストラの相談も本当に多いのです。


「がんばれ!日本の中小企業!」


という応援メッセージで書いているつもりです。
わざと年代を追って書いていますが、何度も申し上げるとおり
昭和の時代ではユニクロは「田舎の中小企業」だったのです。


昨日アップしたように、15年前は「単なる安売りの店」で
それが平成になってから飛躍的に急成長しただけの企業なのです。
こういうストレートな表現は語弊があるかもしれませんが、
この本を読んで本当に感じました。
最近の柳井社長のコメントにも「山口県の田舎の企業」と自ら言っています。


それでも、この企業はそこから、もがき苦しんだのです。
その結果、日本に生産拠点を求めるのではなく世界へ向かったのでした。
単に仕入れて、販売する従来のアパレル業ではなく、
もちろん単なる安売りでもない、


「お客のニーズを掴み、自分自身で企画し、商品開発を行い、
タイムリーなマーケティングとともにお客に商品の良さを伝えて、
自分の手で売っていく」


これこそがユニクロを成長させた「アパレル製造小売業」=SPA
なのですが、もうお分かりですね。
これはアパレルに限ったお話ではないのです。


この不景気を突破する処方箋がここにあると思いませんか!






その13  製造小売業SPAのすごさ


このアパレル製造小売業=SPA 本当にすごいと思います。
あの大ヒットのフリースがなぜ1900円で売れるか。
単に中国で作っているだけではないのですね。
これは感心しました。

まず原料を東レから買っています。
あの日本を代表する繊維メーカーがユニクロと手を組んでいたのですね。
だからこそ、現在もヒットしている「ヒートテック」が作られたのだとも
思います。


フリースはその東レから買った糸を、インドネシアで糸を紡いで
それを中国で作っているのです。
だからこそ1900円で売れる・・・。


そのあと現在でも売れている990円ジーンズはどうしてできたか。
これも驚きです。
中国製の安価なデニムを使ってカンボジアの工場で縫製している
そうです。


これでは、そう簡単には日本の中小企業には、ユニクロの真似を
できないかもしれませんね。


でもユニクロに本当に死角はないのでしょうか。
10年間で売上が本当に5兆円になってしまうのでしょうか。
そろそろその回答を発表しましょうか。


でも本当に売上が5兆円になって、利益が1兆円になると思うのなら
ぜひ株を買っておけばよいと思います。
10年間で利益が10倍になる株なら株価も10倍以上になって
おかしくないと本当に思うのです・・・。


ブログなんかで、あまり断定的なことを言って株の購入を勧めると
金融証券取引法によって逮捕!?されてしまうかもしれないので
ハッキリは申し上げません。
でもここで投資勧誘しても意味がないのです。
日本の中小企業のためにも、そうならないようにユニクロ以上に
努力をしていただきたいのです。


ユニクロの死角を三点申し上げて、このシリーズを終わりたいと思います。
ユニクロの攻略方法!です。

まず第一点このSPAはすごいとは思いますが、この戦略で5兆は
達成できないと私は思います・・・。






その14  ユニクロの死角  


あまり偉そうなことを言って、ユニクロからクレームが来ても
困りますね。
でも、これからもユニクロの「一人勝ち」にならないように
中小企業のためにユニクロを迎え撃つヒントを申し上げるまでです。


今やユニクロの対抗馬は国内にはいないそうです。
少し前では、「ユニクロ 対 しまむら」とか「ユニクロ 対 量販店」など
言われましたが、柳井社長の目は完全に海外に向けられています。
世界のアパレル小売業の上位3社はGAP(アメリカ)、ZARA(スペイン)
H&M(スウエーデン)なのですが、この社名とブランド名がこの本には
何百回と出てくることか!本当に関心するくらいです。


H&Mは、2008年9月に銀座に初進出したことで話題になりましたね。
もうそういう世界企業にどうやって対抗していくかで必死だそうです。
それに対抗するために、今後売り場面積2000平米以上の大型店を
日本に数多く作っていくそうです。
すごいですね。全館ユニクロの大型デパートみたいなものでしょうか。
その戦略は果たしてどうなのでしょうか。
それを本当に実行して行ったら、日本の中小小売業はまた大打撃を
受けてしまうのでしょうか。
でも、日本人は全館ユニクロのブランドしか売らないような
巨大デパートに皆喜んでいくのでしょうか。
日本人が皆それを望んでいるとも思えないのですね。
もっと多様なファッションを楽しみたいのではないでしょうか。
今までの郊外型店舗展開から大幅な方針転換です。
それがうまくいくかです。


第二の危惧する点は、ユニクロの「M&A戦略」です。
これも果たしてうまくいくかどうか。
確かに異業種に参入してくることは脅威です。
「ユニクロ・シューズ」はもうスタートしていますが
それ以外にインターネットや携帯の分野に進出すると発表しています。
それがどうなっていくのでしょうか。


2007年にアメリカの高級百貨店バーニーズをM&Aしようと
しましたが、買収に失敗しました。
でも結果的に買収しなくて良かったと書いてありましたが、
実際に1000億円もの資金を用意したそうです。
確かに買収していたら、アメリカのサブプライムの大不況の荒波を
まともに受け、深刻な経営危機にまでなっていたかもしれません。


M&Aによって「売上を買おう」ともし考えているとしたら
危険なことではないでしょうか・・・。


最後に、ユニクロの一番のウィークポイントですが、
それは皆マスコミも指摘していますね。
もうお分かりですね。カリスマ社長がいる企業の常にある問題、
「後継者問題」です・・・。






その15  後継者問題


柳井社長はあと10年で売上高5兆円にするといいながら
一方であと4年の65歳で第一線から引こうとしています。
「そんなの無責任ではないの!」
だれでも突っ込みたくなりますね。

65歳で会長になって院政でもやろうと思っているのでしょうか。
それまでに柳井氏を越えるような経営者を育て上げられるか
甚だ疑問ですね。


数年前に玉塚氏に社長をバトンタッチしましたがうまくいかなかった。
社長復帰後も、執行役員制を取り入れたがそれもうまくいかなかったと
本に正直に書いてあります。
強烈なカリスマ社長を超えるのは大変ではないでしょうか。
「5兆円?オレが10兆円にしてやるから山口で隠居していてよ・・・」
それくらい言えるような真のリーダーを本当に待っているのでしょうね。


売上高5兆円を実行するために、経営幹部を200人育てるそうです。
確かにそれくらいの規模にするには、この「ワンマン経営」では
絶対に不可能でしょう。


一橋大学大学院の教授陣と教育機関を作って、後継者教育を
本格的に取り組んでいるとも書いてありました。
でもどうやって育てるかこれは非常に興味があります。
後継者教育をどうやってやるのか・・・。


「演説や討論がうまくなる、パワーポイントの使い方が上手にできる、
他社のケースを分析し、課題を探るなど技術論は教えるつもりは
まったくない。経営の本質を教える。」


大学教授が得意そうなことを一切学ばずに、現場の実地で教えるそうです。
これは私も学びたいくらいですね。
現場でOJTでどうやって経営の本質を教えていくのか・・・。


ところで、柳井氏の経営の手本としている方はドラッガーと松下幸之助で
特にドラッガーはNHKの特番に出演されるほど傾倒されているそうです。
松下氏はご存知のとおり、松下政経塾を設立して、
日本の将来を背負ってたつような優秀な人材を数多く育てました。


いっそのこと65歳になってもし一線を引かれたら、「柳井経営塾」を
山口で開講されたらどうでしょうか。


日本経済の真のリーダーを育てるために・・・。





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