その1 若手デザイナーの企業再生
年末年始いろいろな本を読みました。
ご紹介したい本ばかりですね。
今年第一弾は「ものづくり」のお話からです。
先月ご紹介した「町工場の女」もまさにものづくりでしたね。
でも仕事がなくて苦しんでいるお話はなかなか強烈でした。
そうなのですね。
税理士として中小企業のお手伝いをしてから20年。
いろいろな起業開業を見てきました。
大手メーカーの下請けとして独立した工場があるとしますね。
でもその大手メーカーの仕事がある日突然なくなったら・・・。
そんな、まさに「町工場の女」にでてくるお話がリアルに
体験してきました。
大きな工場があり、多くの従業員を抱えていたら大変なことに
なるのですね・・。
そういう「小さな町工場」が生き残るお話です。
著者は金谷勉氏。
1971年生まれ。まだ40代のデザイナーです。
正直この本を読んで、
「デザイナーのイメージ」が正直変わりました。
デザイナーというと、東京オリンピックのデザインをつくるような
そんなイメージだったのですが、傾いた町工場を再生するような
お仕事をするのですね。
「デザイナーという職業の方はこんなことをするのか」
本当に思いました。
この金谷氏ですが、京都精華大学人文学部卒です。
デザイナーは皆美術大卒かと思ったら違うのですね・・・(すいません。)
企画制作会社、広告制作会社を経て28歳の時に独立して
「セメントプロデュースデザイン」というデザイン会社を設立します。
最初は間違いなく仕事は何もなかったのでしょう。
東大阪の町工場で作った最初の商品がコレです。
何だか分かりますか?
これはクリップなのですね。
このあたりのくだりはなかなか面白かったのですが、
ここで初めて金谷氏はものづくりを学びます。
これ一個500円もするのですが、
なぜか大ヒットです。
ここから町工場や職人と組んで企業を再生するデザイナーに
なっていくのですね。
デザイナーから見た企業再生は学ぶべきところが多いです。
ご紹介していきましょう・・・。
その2 メガネの商材で耳かき
大震災の年の2011年。金谷氏は全国各地の町工場や職人との
協業プロジェクト「みんなの地域産業協業活動」を始めます。
そこで福井県鯖江市の商社、キッソオと出合います。
これはテレビでも取り上げられ金谷氏を有名にしたお話です。
鯖江市というとメガネで有名なところですね。
キッソオは1995年創業、従業員15名ほどの
眼鏡メーカーに材料を供給する商社でした。
しかし、中国産の安いメガネチェーンが台頭し、
さらには2008年のリーマンショックで追い打ち。
2008年8億5000万円あった売上が半減、
ついには債務超過に陥っていました。
ここでキッソオは脱メガネということで、雑貨の製造販売という
思い切った事業転換を図っていたのです。
そこで金谷氏と出会います。
このあたり
「デザイナーという職業はこんなことをするのか?」
妙に感動します。
今まで材料商社であった会社ですからね。
完成品を作ったことも、売った経験もないのですね。
当時は、メガネのフレームの技術で
「一個4000円もするリング」を売っていたそうです。
何となく売れそうもないと思いますよね・・・・。
そこでキッソオが金谷氏と共同で作ったのが
コレです。
何だか分かりますか?
「サバエミミカキ」
耳かきなのですね。
パッケージデザインが非常に面白いですね。
如何にも鯖江市で作ったものと感じられますよね。
外観がきれいなセルロースアセート素材でできています。
もちろん、これはメガネの素材ですね。
製造も眼鏡フレームのこめかみ部分を加工する機械で
作っています。
さらに耳かきの中心部に、強度とバネ性に優れ、
チタンでも最高クラスのβチタンを使っています。
一番驚きなのがこの耳かきの値段です。
いくらだと思いますか?
「何と一本3900円!!」
「耳かきに3900円!売れるわけがないだろ!」
皆そう思いますよね。
この奇抜なデザインで「日経グッドデザイン賞」も受賞し
メディアで取り上げられたことで大ヒットです。
4年で3万6000本も売るロングセラー商品になったそうです。
その3 まな板が・・・
金谷氏は2011年にガイアの夜明けで、商品開発の模様が
紹介ました。
その放映中に金谷氏のfacebookのアカウントを探してきて
直接メールを送ってきた方がいたそうです。
その方は木工所の3代目の西島洋輔氏。(当時26歳)
静岡県熱海市の西島製作所で建具製作を行っていました。
熱海というと昔は旅館が盛んでした。
当然旅館相手の建具需要だったはずです。
でも旅館も倒産が相次ぎ4割に激減し、建具屋さんも
かなり厳しい状況に追いやられていたのでしょう。
西島木工所はピーク時に9000万円あった売上が
4分の1まで落ち込んでいたそうです。
当時は建具屋からの脱皮を計ろうと木工雑貨を作っていたのですが、
サッパリ売れず。
デザイン力のなさを痛感し、デザイナーを10社以上探して連絡しても、
まともに取り合ってくれません。
そんなときにガイアの夜明けを見て、その場でメールしたそうです。
でも金谷氏のすごいのは、すぐ対応したのですね。
普通の「エライ」デザイナーならこうなるのでしょうか・・・・。
申し訳ないですが「倒産しかかった」(失礼!)助けるデザイナーは
なかなかないですよ。
1年半も試行錯誤して、金谷氏のアドバイスに従って作ったのがコレです。
これ何だか分かりますか?
まな板です。
でも、裏返すと食事を盛りつけるプレートになるのがミソです。
しかも、高級な国産ヒノキを使っています。
奈良の吉野ヒノキで合板ではなく、
無垢の一枚板で樹齢100年以上のものです。
当然高価なものとなりますが、西島木工所は、建材にしたときに出る端材を
安く仕入れられるルートをもっていたのです。
でも安くはありません。西島木工所のHPを見ると
なんと11,664円です。
正直いい値段ですが、このあとの戦略ですね。
メディアに取り上げられるように活動した結果、
ニュース番組や新聞の全国紙にも取り上げられたそうです。
なかなか楽しいプレートですね。
このまな板により西島木工所は復活したのです・・・。
その4 自販商品の開発
以上2つの成功例をご紹介しましたが、
金谷氏の「倒産廃業のピンチ」から生き残りの道を見出す方策
として、こういう新規参入(ブリッジング)を勧めるのだそうです。
なかなかこれは経営者としては勇気がいることでしょうね。
最初にご紹介したキッソオを
「眼鏡の材料を扱っている会社」から
「眼鏡の材料であるセルロースアセート素材を扱い、
加工に秀でた会社」
に変えたのですね。
ここがデザイナーとしての優れた手腕なのでしょう。
さらに、金谷再生術として、大事なことは耳かきやまな板のような商品、
「自ら販売(卸)もしている自社商品」を
開発させるのです。
これを金谷氏は「自販商品」と呼んでいるのですが、
しかし、例で挙げたように自販商品は必ずヒットするものでも
ないと思うのです。
そうそう商売は簡単ではありません。
ただなんでも作ればいいものでもなさそうです。
「企画の感じられない商品」
「流通を考えてい居ない商品」
「生産を考えていない商品」
こんな「とりあえず」作ったような商品はダメなんだそうです。
売れなくても、「こういうことができるよ!」というアピールする
ための商品がポイント。
理想としてはメディアに取り上げられそうな商品を作ることです。
一番最悪なのは「富裕層に売りたいでつくる」のが一番いけないそうです。
これは何となくわかりますね。
では最後に金谷再生術のキモをご紹介して終わりましょう。
この図を見てください。
「コト モノ ミチ」
これは金谷氏の一番主張するフレーズです。
自分の会社が得意とする技術=ことをまず見つけるのです。
その技術に合わせた意匠=モノ を作り上げるのです。
あとはそれをどうやって販売するのか 販路=ミチ なのですね。
「なるほど!」
と確かに思います。
これをすべてサポートして「デザイン」なのです。
それをプロデュースする方がまさに「デザイナー」なのです。
デザイナーの概念が変わりましたね。
東京オリンピックのロゴを考えるのがデザイナーではないのですね。
がけっぷちの会社を救うこんな素敵なデザイナーが
世の中にはいるのですね。
なかなか勉強になりました。
ありがとうございました。
(がんばれ!生き残りシリーズ おしまい)