その1 植松電機研究中間報告


空想教室


先日、「これからは植松電機の研究をします!」

と発表しましたね。

その第一回中間報告ですね。

あれからアップされているYoutubeは大体見ました。

また市販されている本はamazonで大方集めたつもりです。

動画は実に面白いですね。

いろいろあってここ10年間の植松電機の歴史を感じさせます・・・。

 

ということで第一回目に取り上げたのは「空想教室」という本。

副題がいいですね。

「好奇心が天職に変える」。

真面目に植松社長と「夢」について勉強したいと思います。

 

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まず冒頭でこの人口グラフが出てきますね。

これ見た瞬間に思いました。

「何だ!私と同じネタだ!」

と人口減少問題はもうかれこれ10年以上語っていますからね。

 

でもこんな室町幕府時代の818万人のときから並べているグラフは

初めて見ました。

確かに2004年12月をピークに急激に落ち始めているのです。

2030年、1億1522万人(高齢化率31.9%)

2050年、9515万人

 

2000年までは人口が増え続けていたから日本経済は成長していたのですね。

 

 

でもこの「人口減少問題」に対する植松社長の突込みは

かなり鋭いです。

こういうことを指摘している経済学者もあまりいないのでは?

とまで思います。

 

このあたり講演会ネタで何度もお聞きしました。

 

Nasa 

 

そこは、この本より前に書かれた

「NASAより近い町工場」を読んでいただくとよく分かります。

 

戦後まで遡ります。

「焼け野原」になった日本はとにかく「モノ」が必要でした。

たくさん「モノ」が必要なため、「一」というモノを「10」にしたり、

「100」にしたりすることが大切なことになりました。

精度の高い製品を安定して供給するということができたから

日本はいち早く復興できたのですね。

しかもグラフでお分かりの通り、人口の爆発的増加です。

つまり、「大量生産・大量消費時代」の到来ですね。

「大量生産・大量消費時代」により確かに日本は経済的には

急成長したのです。

でもこれにより「モノづくり」については

日本はダメになったという植松社長指摘です。

ここが実に面白い視点です。

 

「モノづくり」の企業は、本来は「よりよく」を求めるべきなのだが、

「よりよく」ではなく「安い」、「早い」を求めるようになる。

「安い」と「早い」しか売り物がなくなると、本来は発展になるはずの

「失敗」というものが全部「クレームの種」になるというのです。

これ分かりますか?

失敗は改善すればよくなるのに、クレームは解決するために必要なのは

お金と土下座だけだからです。(ここは講演会で爆笑でウケるところ・・・)

 

だからそんなことをやりたくないから、クレームを避けるために

「実績」と「前例」が大事になるということです。

そうなると「よりよく」を求めなくなってしまったのです。

だから「日本のモノづくり」が駄目になってしまったというのです・・・。

 

さらにいうと、そういう「実績」と「前例」が大事にする企業は

従業員に対して、個性は必要としないのです。

「よけいなことはするな」

「口答えするな」

「いう通りにしろ」

「勝手に判断するな」

 

20220607-095127

 

従業員は皆個性のない「ショッカーになった・・・」

(これも講演会ではウケるところ)

これでは「よりよい」ものなんか生まれるはずないですね・・・。

 

さらに不景気が訪れないようにするために恐ろしいことを

考えつきます。

モノの寿命を短くするために

「壊れやすいもの」を作るようになった・・・。

これはモノ作りに対する強烈な皮肉です。




その2 日本人ショッカー論


20220608-102822

 

植松社長の「日本人ショッカー論」。これが実に面白いですね。

こんなこと言う人は誰もいませんでしたからね。

私が植松ファンを自称するのは、こういうところからきます。

 

「ショッカー」とはご存じの通り、特撮ドラマ「仮面ライダー」のカタキ役、

世界征服を目指す謎の組織ですね。

何だか得体のしれない人種です。真っ黒で個性も何もないですね。

 

人口増加により、日本人は皆「増幅されたショッカー」

ばかりになったというのですね。

どういうことでしょうか。

 

「大量生産・大量消費」で日本経済は成長し続けます。

でも、大量生産されたものは皆コピー商品ばかり。

トランジスタラジオ、洗濯機、テレビ、冷蔵庫だけでなく、

電気自動車も家庭用のゲーム機も、そして原子力発電所も

日本人の発明ではないのです。

うまくコピーできた企業は大儲けし、

さらに、安いものを作ることにより消費者から絶大な支持を受け、

「たくさん」の人を雇ってさらに「たくさん」生産し拡大します。

よって「安い×たくさん」の企業がどんどん成長します。

モノが行き渡ると、今度は「壊れやすいもの」まで作って

市場を確保します。

 

本来なら知恵と工夫で「高い×少し」という勝負すべきところですが

その「よりよく」を考えることは求められず、

ひたすら「よけいなことはするな」、「口答えするな」

「いう通りにしろ」、「勝手に判断するな」・・・。

結局何も考えない「ショッカー」ばかり。

 

従業員は「ショッカー」ばかりだけど、そういう企業が

やがて「一流企業」や「大企業」と呼ばれるようになります。

 

それでもそれらの大企業は

「安定して楽してお金をもらえる」

大人気企業になります。

学生が殺到して、あまりに殺到するため、採用の手間を考え、

東大など一部の有名大学しか一次試験をしなくなります。

そうなるとそういう一流企業は「学閥」が当然はびこり、

「年功序列」の悪しき慣習が生まれます。

 

それでも、「自分の子供が幸せになってほしい」と思う親は皆

「安定して楽してお金をもらえる」

一流企業に自分の子供を入れたいと願います。

 

そうするとにかく東大など一流大学が

「大学は学問を探求する場所」ではなくなり、

「いい会社に入るための資格」になってしまったのです。

 

すると

「高校は大学に入るための資格」に

「中学は高校に入るための資格」に

なってしまった・・・。

 

結局、日本人は「何も考えない」ショッカーばかりに

なったというのです・・・。





その3 東大に入ることが夢?


「いい学校はいい会社に入るための資格」

 

これは強烈な皮肉ですね。

個人的には植松イズムの大好きなところですね。

 

日本経済は「学歴社会」、「年功序列」など悪しき慣習のもとに

発展したのですね。

 

植松社長の動画に必ず出てくるお話。

小学校の時に作文で

「将来潜水艦を作りたいです」

と書いたら職員室に呼びだれて怒られたお話。

実に可愛そうですね。

 

夢見る子供だったのに先生から

その夢をいともあっさりとつぶされてしまったのですね。

3歳の頃にさかのぼります。

大好きなおじいちゃんに

アポロの着陸の場面を一緒に見ます。

「ほらお前も月にいけるぞ」

一緒に夢を見たのですね。

 

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覚えていますか?

1969年7月20日、アームストロング船長が

月に降り立ったのですね。

私もその時8歳でしたが、今でもよく覚えていますね。

 

その翌年大阪万博で、その持ち帰った月の石を見て

さらに興奮した記憶があります。

 

それを見て植松社長がロケットや飛行機に興味を持ったのです。

小学生になると「よく飛ぶ紙飛行機集」を見て

飛行機制作のとりこに・・・。

 

夢多き少年だったのがいつのまにか

こうやって先生や親が、それを打ち消してしまうのですね。

 

たいていの家庭では

 

「夢なんか見ていないで勉強しなさい」

「いい大学に入れないと幸せになれないよ」

 

植松社長が、飛行機やロケットを将来やりたいと言ったら

 

「お前の頭では東大に入れないから無理だ!」

 

バッサリ夢を壊されますね。

 

これも厳しすぎますね。

 

受験戦争が「夢を見ないショッカー」を増幅してしまったのですね。

 

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こういう文句を首相に言っても仕方ないですか。

3度も東大を受験した「東大一直線」の方でしたからね・・・。

 

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 (私が高校生の頃はやったマンガ)

 

ただ東大を批判している訳ではないのですね。

でも夢を見ることをショッカーたちは

皆忘れされてしまったのです。

ということは

 

「東大に入ることが夢」

 

の時代は終わったということなのでしょうか・・。




その4 夢を見ることを忘れてしまった?


いつから日本人は夢を見ることを忘れてしまったのでしょうか?

 

「夢みたいなこと言っていないで勉強しなさい!」

 

「いい大学に入れないと幸せになれないよ!」

 

やはり教育が悪いのでしょうか・・・。

 

アメリカの辞書には

「夢とは強く願い、努力すれば実現するもの」

と書かれているのに対して

日本の辞書には

「夢とははかないもの、叶わないもの」

と書かれているそうです。

 

日本人は「あきらめたんではなくて」、「あきらめされた」の人の方が

よっぽど多いと植松社長は言っています。確かにそうかもしれないですね。

理由は何度も書きますが、

「ショッカー」には夢なんていらないからなのですね。

 

「日本経済が低迷しているのは、日本人が夢を見ることを

忘れているから」

という植松理論に大変感心するのです。

だからこそ、赤平という北海道の過疎地で(失礼!)

あえてロケットを飛ばしているのです。

そこに感動すら覚えるのですね。

 

植松社長の動画に必ず出てくる言葉。

 

「思いは招く」

 

夢を描くことで思い込むのです。

それをすることで実現することに近づくのですね。

夢を見なければ、それこそ思いもしなければ

夢なんか叶う訳ないのです。

 

20220610-095646  

 

そしてこれも必ずいう言葉。

 

「Dream can do, Reality can do」

「思い描くことができれば それは現実にできる」

 

アメリカのNASAの門に刻まれる言葉です。

いい言葉ですね。

 

そういえばウォルト ディズニーも似たような有名な言葉が

あります。

 

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「If you can dream it, you can do it」

「夢を見ることができれば、それは実現するのです」

 

 

「夢を見ること」はやはり素晴らしいのです。

最後に「吉田税理士事務所の門」にも刻まれている言葉を

ご紹介しましょう。

 

「夢をかなえるゼイ!!」

 



その5 どーせ無理とは思わない


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植松社長の主張

「思いは招く」

日本人が忘れてしまった・・・

そうではないですね。「忘れ去られてしまった」夢を

描くことの大切さを教えてくれましたね。

 

「夢を描く」ことと対義語でもう一つ主張されている言葉が

ありますね。

かならずyoutubeで出てきます。

「どうせ無理」を無くそう!

これは非常に共感しますね。

 

これは植松社長の半生に基づく実体験からきていますからね。

非常に説得力あります。

 

小学生の時に

「将来潜水艦を作りたい!」

どうせ無理!!

 

中学生の時に

「将来ロケットや飛行機の仕事をしたい!!」

「お前の頭では東大に入れるわけないから、どうせ無理!!

 

高校生の時に

「国立大学に入りたい!」

「お前の成績ではどうせ無理!!

 

大学生の時に

「飛行機の仕事をしたい!」

「お前はこの大学に来た段階で、どうせ無理!!

 

学生時代はそれで戦ってきたのですね。

社会人になってもまだまだ夢を見るのですね。

 

「ロケットを飛ばしたい!」

 

どうせ無理!!

このどうせ無理と生涯戦ってきた方なのですね。

しかも今も戦っているのですね。

 

北海道の赤平という過疎地で(失礼!)

あえてロケットを飛ばす植松社長に勇気をもらいませんか。

 

ロケット教室を行って子供たちに

「自信」と「勇気」と「感動」を与え

さらには「やさしさ」を教える・・・。

 

「学校で『どうせ無理』というのを無くそう!」

 

素晴らしいですね。





その6 ベンチャービジネス論


「どうせ無理!!」

とハナから諦めることをやめようということは

どういうことか分かりますか?

 

今の若者は、夢を見ないどころか、すぐ諦めてしまうのです。

何度も書きますが、「諦めさせられてしまった」ということの方が

適切かもしれせんが・・・。

 

「どうせ無理!」というのが染みついているというのです。

「どうせ無理!」と最初から思ってれば、無駄な努力をしないで

すみますからね。楽なのです。

 

同様に、すぐ

「できません!」

「分かりません!」

と言ってしまうのです。

 

「できません!」といえば、それ以降のことをやらなくて済みます。

「分かりません!」と答えれば、もう余計なことすら考えなくて済みますから。

 

このあたり「なるほどな!」と思いませんか・・・。

学校生活だけでもないのです。社会人になっても、すぐ

「できません!」

「分かりません!」

と言う人も多いのです。人は皆楽をしたいから・・・。

 

 

「日本のメーカーはコピー商品ばかり作っていますが、

アップルやダイソンという会社は『わけのわからんこと』を

やります。だから彼らは一番なのです。」

 

「世界はこのことに気が付いたのです。だから世界は今、考える人を

探しています」

 

 

どういうことでしょうか?

 

「いま世界が真剣に探し求めているのは、

『やったことがないことをやりたがる人』

『あきらめずに工夫する人』

です」

 

ここまで読んで分かりますね。

植松社長の経営学は「ベンチャービジネス理論」ではないかなと

気が付きませんか。

 

植松社長は、当初家業である自動車部品の修理の仕事をしていました。

仕事が減っていくものだから、余った時間を使ってリサイクルの

研究をしたのです。

そしてリサイクルから宇宙開発の仕事へ。

 

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植松社長のyoutubeに必ず出てくる図です。

一つの仕事の寿命は20年と考えるのです。

「一生続く仕事はない」、「どんな仕事も必ず変化する」

そう考えることも必要かもしれないですからね。

 

では20年の仕事の山が終わってしまうと

「どん底」が訪れてしまいますね。

そうならないようにするために

「山をかぶせてしまえばいい」

と植松社長は考えているのです。

下の図です。余裕のあるうちに次の仕事のことを考えるのですね。

コロナ後一つの方向性を教わりましたね。

 

つまり、

「変化を追い越したものだけが生き残れる」からなのです・・・。





その7 二兎を追うものは・・・


 植松社長の

「現行のビジネスをやりながら次のビジネスを考える」

これは驚きませんか?

 

これもコロナ後の会社経営の方向性ですね。

つまり、

 

「50%の力で今の食い扶持を稼いで、50%の力で

未来の仕事をつくればいい」

 

この発想ですね。

でもこれに対して本でもyoutubeでも

予想された反論。

 

「余計なことしていないで、本業を一生懸命やれよ。

お前は『二兎を追う者は、一兎も得ず』って言葉知らないのか?」

 

まあそうでしょうね。

昭和の経営者なら、「一生懸命」という言葉が、

大好きなのですね。

 

植松語録で「一生懸命」という言葉が

がよく出てきます。

「一生懸命は一つのことだけをやる」

「一つのことしかやっちゃだめといういみではない」

 のですね。

これ分かりますか?

 

私もそうですが昭和の経営者・ビジネスマンなら

「24時間戦えますか!」の世代ですね。

仕事に集中して24時間仕事のことばかり考えるのです。

一心不乱に仕事に集中するので家庭なんか顧みる暇も

ありません。

 

「子供の運動会も学芸会も行ったことがない」

と自慢げに話す昭和のビジネス戦士をよく見かけますからね。

 

でも時代は変わっているのです。

冒頭に申し上げた、「高度成長期の日本」ではないのです。

「一生懸命」やって、皆「ショッカー」になったとしても

幸せに過ごせた時代でもなくなっているのですね。

 

もし一つの仕事の寿命を20年と考えているとしたら

今の仕事をやりながら、次の手を打つ必要もあるのでしょう。

 

でも皆「二兎を追う者は・・・」とか

「一生懸命やらないと・・・」

と言いながら他のことを考えようともしないのです。

つまり、「一生懸命」という言葉を言い訳に使っているだけなのです。

 

youtubeでもまたウケルところ。

 

「二兎を追う者は・・・とご親切に忠告してくれた会社は

皆潰れました・・・・:





その8 ビジネス二刀流



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植松経営学で「本業以外の次のビジネスを同時にやる」

ということを主張されていますね。

これは私があえて名付けましょう。

「ビジネス二刀流作戦!」

コロナ後は、流行るのでしょうか??

 

では「その次のビジネスはどう見つけたらいいのですか?」

皆そう思いますよね。

今取り組んでいる本業以外のビジネスを

そう簡単には始められないですよね。

ここでこの本の中で非常に参考になる点ですね。

 

植松社長はリサイクの仕事に役立つマグネットを作り始めましたね。

ゴミの中から鉄くずを取り除くためのマグネットです。

どうしてその製品が生まれたかというと

リサイクルの仕事を手伝ってみて、

「これはあぶないから、人間がやらない方がいいのでは」

という点をいっぱい見つけたのです。

 

「いやなことと出会ったら『なんでいやだと思うのかな?』と考え、

それが人を助ける発明のきっかけになった」

そうです。

 

それで、その特許まで取ってしまったのです。

そのおかげか、

「今では不思議なことに競争相手がおらず、植松電機のマグネットは

日本中で、そして世界で使われている」

そうです。

だからこそ、いやなことがあったらチャンスなのです。

そんなときこそ、いっぱい考えたらチャンスが訪れる

ということなのでしょう。

 

でも、ここでもう一つ大事な経験をされています。

そのマグネットは、はじめはまるっきり売れなかったのです。

理由は分かりますね。

 

「本当の新製品はだれも知らないから」

 

ですので、

 

「本当の新製品を買ってもらうには、知ってもらう努力が

必要だった」のです。

 

でも知ってもらったら、あっという間に売れたそうです。

 

ここで植松社長は気が付いたのです。

 

「新しい製品やサービスを考える時に『売れそうかどうか?』を

考えなくていい」

ということ。

 

「売れそうだなと思えるものは、その時点で負け。

たいていは二番煎じ、パクリ商品。とっくにブームは終わっている」

ということ。

 

本物の新製品は「悲しみや、苦しみや不便の解決」から生まれる

ということ。

 

これがあったら新しいということを考える。

 

どうでしょうか?

そんな観点から、コロナ後は「ビジネス二刀流」を目指してください・・・。





その9 だったらこうしてみたら


植松社長のことまだまだいろいろ書きたいのですが

熱く語りすぎたようなので、そろそろまとめましょう。

自称植松ファンの研究報告つまり、「第一回中間報告」ですから。

youtubeでバズッたネタを中心にご紹介したつもりですので

その後の植松社長もウオッチしていきましょう。

 

結論は何度も書きましたから、植松社長の一番言いたいことは

分かりましたね。

 

「どうせ無理」

 

と言わないことなのですね。

やったことない人が、「やらない言い訳」を

ただ言っているだけというだけです。

 

この「どうせ無理」という言葉がなくなったら

「いじめや暴力や戦争がなくなるかもしれない」

 

素晴らしいですね。

植松さんの講演のロシア語版のyoutubeを至急作ってほしいですし、

植松社長に「ロシア講演」もぜひ実現してほしいですね!

ロシアの方にも考えてほしいですし、間違って

プーチン大統領も見てくれるかもしれません・・・。

 

「どうせ無理」とは言わないで

 

「だったらこうしてみたら?」

 

というのですね。

多くの学校の先生に読んでほしいですし、

youtubeも見てほしいですね。

 

 

教育問題だけでなく、これも何度も書きますが

ビジネスにも立派に通用する考えでもあることが

分かりましたね。

 

「ビジネス二刀流」を実践するために

いやなことにあったら

「どうせ無理」

とは思わないことなのでしょうね。

 

「だったらどうしたらいいのだろう?」

 

そう考えることです。

あと付け加えると、会社内で

 

「分かりません」

「できません」

 

という雰囲気も無くすことも大事なのです。

勉強になりました。

私自身も税理士として、関与した会社に

頭ごなしに無理とは言わずに

「こうしてみたらどうでしょう?」

 

とアドバイスできるように努力していきます。

 

(がんばれ!空想シリーズ おしまい)

 

 

 



 

 

 

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