その1 ビズ〜♪ リ〜チ♪!
ビジョナルという会社はご存じでしょうか?
まずこのCMを言った方が分かりやすいですね。
女優の吉谷彩子さんの
「ビズリーチのCM」ですね。
「中途採用の面接の方がいらっしゃっています」
「どうせ、たいしたことないだろう・・。えっ!これは?」
「ビズリーチ‼」
何となく何度も見ていませんでしたか。
結構長くやっているCMです。
見るたびに中途採用の広告か・・・。
多分その程度の認識だったのでしょうね。
でもこの本を読んで分かったことなのですが、
中途募集というと、今までは「人材紹介会社」を利用するか、
「求人広告」しか選択肢がなかったのです。
私自身中途募集をしたことがあるので、この実態はよく分かります。
人材紹介会社には年収の最低3割と結構高い報酬・・・。
求人広告も一回数十万円と高い料金・・・。
そんな高額な料金を払っても、まったく募集はなかったり、
応募が来てもなかなか良い人は来ない・・
「中途募集のマーケット何て、こんなものか。」
誰でも思ってきたのではないでしょうか。
その中途採用の世界をビズリーチは
ガラリと変えていたのです。
これご存じでしたか?
それ知るだけでもこの本の価値は十分にあります。
「インターネットを利用した従来にないビジネスモデル」
なのです。もっと分かりやすく言えば
「求職者と企業がオンライン上で直接つながることのできる」
仕組みのです。
「どうして今までなかったの?」
そう思いますよね。
求人業界を今までリードしてきたのは、先日ご紹介した
「リクルート」でしたね。こちら
リクルート出身の方々がこの業界を作ってきたといっても
いいくらいです。
ですから、中途募集市場はすでに確立されてきたと思うのですが、
まったく違ったのですね。
それを思いついた今回の主人公は南壮一郎氏。
実は、今まで求人会社で働いた経験もない方です。
この方が2009年にビズリーチを創業して、わずか12年で、
今年の4月22日にマザーズ市場に上場しました。
企業が直接声をかけることができる会員数は、なんと123万人。
累積導入企業は1万5500社。
1976年生まれ。まだ45歳なのですね。
同世代にはグリーの田中良和社長、マネーフォワードの辻社長などが
います。
「ポスト楽天」、「ポストヤフー」世代といわれる経営者の一人です。
「ポスト三木谷」の最有力候補らしいですね。
ではその「ポスト三木谷」をご紹介していきましょう・・・・。
その2 外資系証券会社から楽天球団へ!
どうしてこういう経営者が育ったのか、
それにまず非常に興味を持ちました。
「こんな経営者がいるのか・・・」
素直に感動し、心から驚いたからです・・・。
まず、南氏の生い立ちが面白い。
1976年生まれ。父親の仕事の関係で、幼稚園から中学まで
家族とカナダで育ちます。
当時の環境は、アジア人ただ一人。
強烈な「マイノリティー」としての考え方が、南氏のその後の人格形成に
大きな影響を受けているそうです。
ここまで書いて、すぐ気が付きましたけど、
前回ご紹介したソニーの平井前社長と環境が似ていますね。
中学でいったん帰国します。
帰国したのは静岡県。サッカーの盛んな県ですね。
そこで中学、高校はサッカーに打ち込みます。
しかし、大学では再び海外を目指し、1995年米タフツ大に入学。
卒業後は投資銀行のモルガンスタンレー証券に入社。
投資銀行部でM&Aアドバイザリー業務に従事。
当時インターネット黎明期。ITバブルへとつながり、証券会社では
仕事はいくらでもあったでしょうね。
週100時間を超えるハードワーク。今なら問題になりそうですね・・・。
ただもともとはスポーツマン。スポーツビジネスに携わりたいという希望があり、
2003年退職。ここでスポーツビジネスの会社「S−1スポーツ」を立ち上げます。
しかし、起業はそう簡単にはいきません。
でも、幸運なことに南社長を引き上げる方がいたのですね。
こういう方こそが大事なのです。
カルチェア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の常務の喜吉憲氏。
その方の紹介でCCCの増田宗昭社長に会うことができたのです。
これ以降のお話はこの本には書いてありません。
興味を持って南壮一郎氏を調べていたらネットで見つけました。
昔小泉元首相が作った組織ドリームゲートの公式HPに
今でもアップされてます。
非常に面白い記事です。読むだけで勇気が湧きます。
三木谷社長からその時にかけていただいた言葉は今も忘れません。
「世間は私が日本興業銀行を辞め、すぐに楽天を創業して成功したと
見ているが、それはとんでもない誤解だ。本当に、色々な苦労があった。
そして、その時に大変お世話になったのが、増田社長だ。
時代が巡って、今度は君のような若い金融マンが安定した生活を捨て、
新しいことに挑戦しようとしている。今度は私が君を助けてあげる番だ」。
泣きそうになるくらいにいいお話ですね。
即座に楽天から企業買収に関する契約してもらい
資金援助してもらったのです。
その縁で2004年9月楽天球団の創業メンバーに。
創業メンバーはわずか10名。
最初のオフィスは楽天本社内のわずか10畳。
その時南社長は28歳・・・。
28歳で三木谷社長のサポート役兼弟子。
「ポスト三木谷」と呼ばれる理由が分かってきましたか・・・。
その3 楽天球団で日本最高の帝王学!
2003年に南社長が三木谷さんに見いだされたことが
大きかったでしょうね。
楽天の三木谷氏はこのブログでも何度も取り上げましたからね。
三木谷さんというと必ず言うネタ。 こちら
1995年に日本興業銀行を退社した後、
1997年に楽天を立ち上げますね。
1997年5月にオープンした楽天のショッピングモールは
店舗数13店舗!
売上高14万円!
これはもう何十回も、何百回も言っていますね。
しかし楽天のショッピングモールを開業して
まだ6年しか経っていない頃なのです。
当時誰もが必ず失敗するとみられたネット販売。
三木谷氏もたった6人で始めたまさにベンチャー企業でした。
その急成長するベンチャー企業をまじかで体感できた経験は大きいでしょうね。
当時楽天球団社長は島田亨氏。
この方は人材会社インテリジェンス(現パーソナルキャリア)の
創業メンバーなのですね。
しかも、個人投資家として起業家支援をしていた方。
事業として成長させるマネジメントの要諦を島田社長から
教わります。
結局「実現不可能だと言われていた球団の初年度黒字化を
達成」することができたのですからね。
島田氏はその後楽天の本社の副社長になり、三木谷社長を補佐した後、
2017年にインテリジェンス創業当時のメンバーであった
宇野康秀が経営するUSEN―NEXTホールディングスの
副社長になったのですね。
これも以前ブログで学びましたね。(こちら)
さらに三木谷氏は小沢隆生氏を楽天球団に送り込みます。
小沢氏このときまだ32歳。
でも事業立ち上げのスペシャリストでした。
もともと小沢氏はネット―クションのベンチャー企業を立ち上げたのですが
楽天に買収されていたのです。
この4つ上の兄貴分である小沢氏からも、徹底的にビジネスを学びます。
「いいか、うまくいっているビジネス、成功している事業には
必ず理由がある。それが何か探り当てることから始めろ。
徹底的に調べ上げて掘り下げて、その本質を見つけ出せ。」
これを小沢氏は「要素分解」と呼ぶのだそうです。
ここは詳しく書いてあります。勉強になります。
しかし、すばらしいアドバイスですね。
こんな上司に仕えたかったですね・・・。
小沢氏はその後2006年に楽天グループを退社し、起業。
その会社がヤフーに買収されたことでヤフーの経営に参画。
何と、楽天のライバルであるヤフーショッピングの
COO(最高執行責任者)になっています。
南氏は2006年に楽天を退社するまでの3年間。
三木谷、島田、小沢の素晴らしい経営者たちに鍛えられます。
「3人から日々難題が降ってくる」
「がむしゃらに難題に取り組み、何度も挫折し、
放り出しそうになっても、あきらめずに困難に立ち向かっていけば
何とか道が開けていく・・・」
こうやって南社長は、楽天イーグルスの創業に関わりながら、
「ビジネス上の素晴らしいコーチ陣」に鍛えられて
日本で最高の帝王学を学んでいくのです・・・・。
その4 そこに大義はあるんか!
この本は「東北楽天イーグルス」の箇所が一番面白いのですね。
三木谷、島田、小沢という当時最高の上司に鍛えられるところです。
当時パリーグは全球団が赤字でした。平均額40億円。
つまり、「野球は企業名を知らしめるための広報事業」という
意味合いが強かったのです。
そこに、「球団運営もビジネスである」というビジネスマインドを持った
プロの経営者が参入したのです。
実質ゼロから作り上げたチームが
売上高73億8500万円
営業費用72億2900万円
営業赤字1億5600万円
なんと初年度から黒字です。
伝統的なプロ野球の常識や慣習を打ち破り黒字を達成したのです。
ゼロから球団を立ち上げるということは、
ゼロかベンチャービジネスを立ち上げるということと同意義なのです。
そこにベンチャービジネスの師匠である三木谷社長が
目の前にいたのです。
こんな贅沢な経験はなかなかできないでしょうね。
三木谷社長からは「大義」という言葉を教わったそうです。
「いいか、南。課題は無数にある。問題はそこからどれを自分の課題として
選ぶかだ。
それはどれだけの人の課題を解決するのか。事業としてやる以上、
社会にインパクトを与え、世界を変えるようなスケールの大きな
問いに向き合わなくては意味がない。そこに大義はあるのか?」
これは三木谷社長の経営学そのものなのでしょうね。
「そこに大義はあるのか?」
何だか「そこに愛はあるのか?」というアイフルのコマーシャルのようですが
毎日鍛えられたのでしょう。
また三木谷社長は、小澤氏や島田氏と同様に調べぬくことの
大切さを南氏に教えたそうです。
「俺が知りたいのはお前のアイデアではない。なぜ、この課題が
まだ存在しているのかということだ。お前が考えていることなんて、
既に何万人もが考えている。それなのに、なぜ今もその課題が
解決されずに存在しているのか。業界の構造や歴史を徹底的に
要素分解しろ」
さらに、三木谷氏は
「立てた課題の達成度合いを計測できるよう、必ず数字に落とし込んで
いくことを求めた。」
さらに、三木谷氏からスケールの大きな課題に取り組む大切さを
学んだそうです。
「三木谷さんには、会うたびに『現状で満足しているわけじゃないよな?』
問われた」
そうです。
すばらしいですね。
三木谷、島田、小沢という素晴らしい経営者に鍛えられた3年間は
かけがえのない経験になったと思うのです。
この3年間の経験こそ、南社長の起業家としての原体験であり、
その後のビズリーチ創業につながる大きな物語の原点なのですね。
振り返ってみて、若いころこんな上司に鍛えられた方は
なかなかいないと思います。
読みながら思い出しましたが、南氏と同じように私も28歳から3年間
野村証券グループの新規設立の子会社で働きました。
ゼロからのスタートでしたので様々なことを学びました。
誰よりも仕事をした自負はあります。
でも残念ながら、三木谷さんのような素晴らしい経営者には
鍛えられなかったのです・・・。
南氏が非常にうらやましく思えます・・・。
その5 1年間働かず世界を放浪!
南社長がビズリーチを創業する過程が実に面白い。
「ベンチャービジネス成功のための起業ノウハウ」
ですね。
この時南社長31歳と若いです。
「この先1年間は働かないと決め、世界中を旅します」
実にかっこいいですね。
私も31歳の時に野村証券を脱サラしました。
「この先1年間は働かないと決め、大原簿記学校に通いました」
同じ31歳の決断なのですがまったく違いますね。
この時「起業しようと思ったら別の人生があったのでしょうね。
ただこの時南社長は独身。結婚は2017年だそうで40台に
なってからですね。
私も1年間世界の放浪の旅がしてみたかったですね。
でもそれは絶対できなかった。でもあの頃私は結婚していて
二人の子供もいましたからね。
「とにかく働いて家族を養おう!」
そっちが優先してしまいますからね・・・。
これから起業をしようという方には参考になりますね。
「世界を旅しながら、興味ある分野について片っ端から
調べていった。環境、エネルギー、医療・・・」
そこで何について着目したでしょうか?
ここですすね。
時代の先を読み解く感性ですね。
米国で流行していたLinkedIn(リンクトイン)
という「ビジネス版フェイスブック」。
「リンクトインはこの職務経歴情報を、人材を採用したいという企業に
向けて提供し、起業が直接、利用者にコンタクトできるサービスを
有料で提供」
していたのですね。
何となく今のビズリーチのようなヒントをつかんだのですね。
でも日本の転職マーケットの現実に落とし込んでみると、
「実名で自分の職務経歴書を公開する」というカルチャーは日本には
ないのですね。
でも今度は実際に南社長が転職活動してみて掴んだこともあったのですね。
27社もヘッドハンターに実際会って転職活動を繰り返してみて
日本の転職マーケットが良く分かったのです。
ここで課題を見つける作業ですね。
ココは参考になりますね。
「センターピンを見つけること」これが最重要なのです。
課題を解決した結果、
「企業が求職者を直接採用する仕組み」
を考えに考え作り出していったのです・・・。
でも次の課題がありますね。
起業開業はそう簡単ではないのです。
しかも、一人ではできません。
仲間も絶対必要です・・・。
その6 事業と人はセット!
このビズリーチの急成長の理由。
読んですぐ分かりました。「人」ですね。
人材こそが「人財」。
経営組織に必要な三要素で必ず言われる言葉「人、物、金」。
ベンチャービジネスを立ち上げてまず必要なのは第一番目の
「人」ですから。
つまり、
「事業を立ち上げるには仲間が必要」
これを南社長は十二分に理解していたのですね。
いままでいろいろな経営者本を取り上げてきました。
でも南社長ほど「人が一番大事」と自覚して起業した方は
あまりいなかったです。
では、その仲間を見つけるにはどうするか?
これはぜひ参考にしてください。
「誰よりも熱意をもってビジョンを語る」
南社長の思いついたアイデア「求職者と企業をつなぐサービスのコンセプト」
を熱く語り続けたのですね。
そこで創業メンバーとなる佐藤和男(現執行役員)と出会います。
佐藤氏もすでに就職活動支援のスタートアップで働いていたのです。
さらにもう一人創業メンバーの永田信(現ビジョナルインキュベーション社長)に
出会います。
永田氏はすでに婚活サイトの日本支社のCOOで働いていた方。
インターネットの知見がありいずれは起業したいと思っていたほど。
ここで南氏の構想力や突破力で永田氏を口説き落とすのです。
「南氏のパワーに自分のインターネットの知見を組み合わせれば・・・」
そう思わせたのです。
これで創業メンバー3人ですね。
普通のベンチャーならこのまま3人で猪突猛進突き進むのでしょうね。
さすがは冷静沈着な南社長ですね。
「仲間づくりの最難関はITエンジニアをどうチームに巻き込んでいくか」
ということを理解していたのです。
そこで目を付けたのがビズリーチでCTO(最高技術責任者)となる
創業メンバー竹内真氏ですね。
でも、竹内氏はすでに自ら創業したシステム会社を経営していて、
リクルートなどの大手からも仕事を受注するほどのスパーエンジニア
だったのです。
でも竹内氏の記述が面白い。
「エンジニアの多くは、南のようなタイプの人間は嫌いだ。」
「朴訥なエンジニアから見ると、南は自分たちを利用してやろうという
魂胆が見え見えの油断ならないヤツに映った」
「できるだけ関わりたくないというのが本音だった」
結局いったん諦め、IT関係はすべて外注することで起業準備に入ります。
しかし、時は2008年。お分かりですね。
リーマンショックの年です。
そのおかげで外注したシステム会社が離脱したのです。
普通ならこのままビズリーチは日の目を見ることなく終わったのでしょう。
南社長はここで不退転の決意で、竹内氏を口説き落とします。
「あなたがいなければだめなのです。」
竹内氏を動かしたのは情理でした・・・。
竹内氏の加入でビズリーチは変わります。
計画していたビズリーチの初期システムは、エンジニア5人がかりで
半年はかかると言われていたものを竹内氏はたった一人で作り上げます。
南氏は語ります。
「竹内がいなければビズリーチは生まれなかった。
彼が会社を牽引したエンジンであり、ビズリーチ精神そのもの」
また永田氏がマッチ・ドット・コムで培った最先端のインターネット・
マーケットィングのノウハウにも南氏は感動します。
「インターネットやモノづくりを何も知らない自分が、
ビズリーチを創業して成功できた最大の要因は、
創業メンバーに出会い仲間に加わってもらったことにある」
これはまさに真理です。
彼の言う「事業と人はセット」。
納得しますね・・・。
その7 ネット企業こそ営業!
ところでビズリーチの仕組みのどこがすごいのか?
解説してみましょう。
これ知って思わず私はうなりました・・・。
この絵を見てください。
実に分かりやすいですね。
ビズリーチを取り巻く「転職マーケットの図」です。
今までの転職マーケットは(多分今でもあると思いますが)
企業が人材紹介会社に多額の費用を払って人材を見つけていました。
例えば年収の30%〜35%くらいが相場でしょうか。
ですから、年収1000万円クラスの方を採用するのに
300万円〜350万円くらいは、あたり前にかかっていたのですね。
この仕組みをビズリーチは変えました。
ビズリーチはまず@求職者から課金するシステムにしたのです。
年収1000万円以上のクラスの方なら、
それこそフィー払っても探したいと思うのですね。
それにAヘッドハンター(人材紹介会社)からも課金します。
当然最終的にはB企業からも課金。
素晴らしいですね。
この仕組みで2009年4月に
「プロフェショナル人材を企業とつなぐ転職サイトBizReach」
の開始です。
ネットだけで@求職者の登録は2年で5万人にも増えたそうです。
しかも、企業からの成功報酬を当初20%に抑えたそうです。
通常30%〜35%払わなければならないのに安いですね。
それでも企業からの評判は良くなかった。
どうしてか分かりますか?
「ネット企業の陥るワナ」ですね。
つまり、
「サービスに魅力を感じても結局は利用方法を習得できずに疎遠になっていく」
ネットサービスの弱点ですね。
これ私自身もよく感じます。若い方はともかく、年配の方はネットサービスを
使いこなすのは面倒ですからね・・・。
でもここは大事なところですね。最近の論調として、
「インターネットやAIが拡大すれば、ゆくゆくは人の営業はゼロになる」
これがありますからね。
若い竹内氏など技術者から見たら、
「営業はインターネットがやってくれる」
と信じていたようです。
つまり、「多くのインターネット企業が目指すプラットフォームサービスは
サービス提供者とユーザーが直接つながり中抜きが発生する」
からですね。
でも、「これは消費者向けのサービスで企業向けのサービスには
営業こそ不可欠である」と南社長は気が付いていくのです。
ここで採用された方が現在のビズリーチ社長の多田洋祐氏。
もともとビズリーチを利用していた顧客で
すでにヘッドハンティングの会社を起業していました。
ピカイチのヘッドハンターだったらしいです。
この多田氏がビズリーチの営業を組織として強くしていきます・・・。
その8 100回変わる会社でいたい!
いろいろ書きたいことはたくさんあるのですが
もう緊急事態も今日でも終わりなのでまとめましょう。
ビズリーチは有名なあのCMの大ヒットだけで営業を
伸ばしたのではないのですね。
CMの作成秘話は面白かったのですが、そのCM効果を最大限に
活用する組織作りがあったからこそだったのです。
やはり営業のトップである多田氏の功績は大きかったのです。
多田氏が目指した営業は「個の力に依存しない組織」。
これ勉強になりました。
営業の会社ではありがちな「トップセールスに頼る」ではないのですね。
そのための要件は二つ。
@ 営業に関する行動を要素分解して定量化し、成果を生み出す仕組みを作る
A メンバーの意識を高める組織づくり
この@は日本にはない営業手法ですね。
マイクロソフトやセールスフォース、ドットコム、オラクルなど
海外の企業向けサービスに強いインターネット企業が導入している営業手法で
「データに基づいて営業を科学的に分析」
しているそうです。
私のような「昭和の根性営業」しか知らないものは驚きですね。
いまでも「ひらめき筋を鍛える」ことこそが営業・・・。
と信じている昭和のおじさんも多く残っているでしょうけど・・・。
ただ「メンバーの意識を高める組織づくり」には、
やはりチームリーダーの役割が大事なのだそうです。
チームリーダが組織に勝ちグセをつけていくのですね。
多田氏により、「データに基づいて論理的に動く、勝ちグセのある組織」
をビズリーチは構築していきます。
このあたり、営業成績の上がらない中小企業の経営者には
参考になるお話なのではないでしょうか・・・。
こうして短期間に急成長した南社長だったのですが、
2020年2月に、ビズリーチをその立役者となった多田氏に任せて、
新社名「ビジョナル」としてグループ企業経営を目指すことになりました。
これ読んでいて驚きました。
ビズリーチを創業からわずか10年で1400人規模の会社に
短期間で急成長させたのにそれを持ち株会社の傘下にしてしまったのですね。
つまり、「ビズリーチ」としてのブランドに固執しなかったのです。
2020年2月から次のようなグループ体制になります。
同時にあの楽天球団で世話になった元楽天球団社長の島田亨氏を
取締役として招聘しています。
元楽天副社長で、現USEN−NEXTの副社長の方です。
一方でヤフー(現Zホールディング)と提携して検索ビジネスに進出しています。
ZホールディングはLINEと統合したばかりですからね。
楽天、ヤフー、LINE、USEN・・・どことも提携して
新しいことは何でもできそうですね。
南社長はいったいどこに向かっていくのでしょうか・・・。
「100年続く会社よりも、100回変わる会社でいたい」
最後に南社長の名言をお伝えして終わります・・・。
(ガンバレ! ビズリーチシリーズ おしまい)